石川佳純について

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名前石川佳純(イシカワカスミ)
生年月日1993年2月23日
日本
出身山口県
プロフィール元卓球選手の両親の影響で、小学1年生から卓球を始める。天賦の才に、母親の英才教育も加わると幼少期から自身より年上の選手たちを打ち負かし、愛ちゃん2世と呼ばれるようになる。

中学生時代からミキハウスに所属しさらに才能を開花させると、高校時代はインターハイ3連覇に全日本選手権ジュニア4連覇。若くして日本代表に選出され、ロンドン五輪では史上初のシングルス4位入賞、団体戦銀メダル獲得に貢献。

リオでも2大会連続のメダルを獲得した。世界ランク最高位3位。四天王寺高校卒業、全農所属、左利き、157cm、49kg

母の英才教育で一気に才能が開花し「愛ちゃん2世」と呼ばれる

石川佳純は、1993年、卓球エリート一家に生まれました。両親はともに福岡大学卓球部出身で、実業団でもプレーしていました。母・久美は結婚を機に一時卓球から離れていましたが、娘が2歳になると、競技を再開し国体にも出場したという実力の持ち主でした。そうした母の姿を見ているうちに卓球に魅せられ、小学2年生の時には本格的に始めることになります。

最高のDNAを受け継いでいたこともあって、両親の予想を超える飲み込みの速さでメキメキと実力を付けていきます。わずか練習3ヶ月で挑んだ全日本選手権バンビの部では山口県予選2位を実現しました。娘の才能に天才肌を確信した両親は、自宅に卓球場を作ってサポートすることを決断しました。そこから母と娘の地獄の特訓がスタートします。毎日の猛練習は当然で、休日に大人相手の試合が繰り返されると、さらに成長スピードが上がり、小学5年生当時で母に打ち勝つまでになりました。

こうして幼い頃から、オリンピック出場は遠い夢ではなく目標に変わっていきました。もはや同年代に敵はおらず、2005年に小学6年生で出場した全日本選手権カデットの部(13歳以下)でも優勝をかっさらいます。飛び級で参加した全日本選手権では、高校生、大学生を次々と撃破するという快挙も実現しました。その活躍は4歳年上だった福原愛になぞらえて「愛ちゃん2世」と呼ばれるようになり、大きく世間に知られるようになりました。

高校時代、あらゆる大会を制覇し名実ともに日本のエースに成長

母との二人三脚で才能を磨いてきた石川佳純は、12歳でかつて福原愛も所属したミキハウスから勧誘を受けます。オリンピック経験者もいて、整備された練習環境に断る理由はなく、中学から大阪へ単身で乗り込むことになりました。寮生活を送りながらも全日本クラスの選手たちと揉みあう事で、さらに一段ギアをあげます。2006年の全日本選手権カデットの部(14歳以下)に全日本卓球選手権大会ジュニアで2冠を飾ると、前年に続いて全日本選手権にも出場して5回戦進出を果たします。さらに翌2007年には全日本選手権で史上最年少ベスト4入りと着実に階段を登り、中学生活を終了しました。

2008年4月に四天王寺高校に進学した頃には、すでに日本代表として世界戦を戦う存在となっていました。57年ぶりに高校1年生ながらインターハイを制すると、国体、選抜、全日本選手権ジュニアと国内4大会完全制覇を達成するという快挙も当然のように成し遂げます。そのまま、全日本選手権ジュニアを4連覇、ならびに史上初の高校総体3連覇など破竹の勢いで勝利を重ねると、高校3年生にしてついに全日本選手権も制しました。目標としていた福原愛よりも先に全日本女王に駆け上がり、一気に日本のエースへと成長しました。

初のオリンピックでは単、団体戦ともに日本史上最高の成績をマーク

ロンドン五輪日本代表選考時点で、日本最高の世界ランキング6位だった石川佳純は文句なしで初の五輪出場が決定しました。そして他のメンバーに福原愛、平野早矢香という前回大会も経験したお姉さんたちが選出され、この三姉妹でメダル目指しての戦いが始まります。するとまず第4シードのエース石川がシングルスで順調に勝ち上がり、準決勝へ進出しました。メダルをかけた戦いに敗れ、3位決定戦でも完敗しましたが日本勢史上最高の4位入賞とチームに勢いを付けました。

そして最後に残された団体戦に挑みます。当時の情勢は圧倒的に中国が抜きん出ており、それに続くのが、中国からの帰化選手3名が中心のシンガポールという2強状態でした。日本は、中国はもちろん、シンガポールの選手たちに団体戦で一度も勝利したことがありませんでした。順調に勝ち進んだ日本女子は準決勝で、その強敵シンガポールと対戦します。劣勢が予想されましたが、まず福原が初戦のシングルスで3-1と完勝しました。さらに2戦目では自身がシングルス3位決定戦で0-4と完敗した相手に、3-0とリベンジし、メダル獲得にあと1勝と迫りました。勢いにのった日本は、平野・石川ペアのダブルスでも3-0と快勝。この瞬間、卓球界初のオリンピックメダル獲得が確定します。決勝では王者中国に敗れ銀メダルとなりましたが、若き日本代表三姉妹は日本を感動の渦に巻き込みました。

リオ五輪では2大会連続のメダル獲得に大きく貢献

大舞台での活躍が自信となった石川佳純は、その後も日本のエースとして卓球界を牽引します。そして中国を倒しての金メダルを目標に掲げ、2013年から全日本選手権シングルスを3連覇するなどその強さをキープしました。特に2015年の同大会ではシングルスだけではなく、ダブルス、混合ダブルスも制覇し、54年ぶりの3冠も達成しました。オリンピック、世界選手権と共に世界四大大会として掲げられるITTFツアーファイナルでも日本人女子初の優勝、さらにワールドカップでも銀メダルと世界大会での実績も積み重ねました。2015年1月には自身最高の世界ランキング4位に浮上し、2大会連続となるリオ五輪出場権を獲得しました。

石川は、第4シードでシングルスに出場しましたが、まさかの初戦敗退を喫しました。そのため福原愛、そして初出場の15歳・伊藤美誠とで臨む団体戦に全てをかけることになりました。気合十分で挑むと、全試合シングルスのみに出場して見事全勝します。しかしチームは惜しくも準決勝で破れ3位決定戦で銅メダルを目指すことになります。チームが初戦敗退して登場すると冷静に勝利して、日本に勢いを呼び込むと、残るダブルス、シングルスでは伊藤が大活躍。ランキング上位の選手を蹴散らし、見事銅メダルを獲得しました。2大会連続となる団体でのメダルは、自身のシングルス全勝がなければ成しえない結果でした。

押し寄せる若い世代に立ち向かう日本女子卓球界のエース

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まさに絶対的なエースとして活躍を続けていますが、若い力が着々と力を付けてきていることも事実です。初オリンピックという緊張の舞台で、実力を出し切った伊藤美誠に、その伊藤と「みうみま」の愛称でダブルスを組んで最年少ITTFワールドツアー優勝経験を持つ平野美宇。自身が4連覇を狙った全日本選手権決勝ではその平野に敗戦を喫し、史上最年少優勝をさらわれました。さらに平野の勢いは留まることを知らず、2017年4月のアジア選手権では絶対的王者で世界1位の丁寧(中国)ら3選手を次々と負かし21年ぶり優勝すら実現しています。石川佳純は、2017年2月に世界ランキングで自己最高の3位に浮上しましたが、今後は自身よりも若い選手たちとしのぎを削ることが、さらなる日本女子卓球界の成長につながっていきます。


VictorySportsNews編集部