川崎宗則について

名前川崎宗則(カワサキムネノリ)
生年月日1981年6月3日
日本
出身鹿児島県
プロフィール鹿児島工高校時代に、薩摩のイチローと呼ばれ、1999年ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。50メートル5秒9、遠投120メートルの強肩を武器に4年目から頭角を現す。2004年には最多安打と盗塁王を獲得し、その後遊撃手レギュラーとしてホークスを支える。オールスターにも8年連続ファン投票で出場し、WBC2大会連続出場、北京五輪など国際大会でも活躍。2012年からはイチローの背中を追い、大リーグへ挑戦。5年間で3チームを渡り歩き、2016年のカブス時代にはワールドチャンピオンとなる。持ち前の明るいキャラクターは日本時代同様で、ファンからの人気を絶大なものとした。2017年からは日本球界に復帰して、古巣のソフトバンクに所属。

NPB時代の通算成績は1,145試合、4,573打数1,343安打、27本塁打、369打点、267盗塁、打率.294(2016年まで)。最多安打1回、盗塁王1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回。MLB時代の通算成績は276試合、633打数150安打、1本塁打、51打点、12盗塁、打率.237。鹿児島工卒、右投左打、180cm、76kg。

高校時代は「薩摩のイチロー」と称されプロ野球選手へ

鹿児島県に生まれた川崎宗則は、幼稚園時代からボールを握ると、壁とのキャッチボールを毎日楽しむようになりました。小学生時代から野球を始めますが、あわせて空手道場にも通い全国大会にも出場する腕前を持つまでになります。小柄な体型から野球では飛びぬけた存在ではありませんでしたが、中学に上がるとその俊足で目立ち始めます。そして当時、プロ野球界ではイチローが史上初のシーズン200安打を達成しており、憧れを抱くようになりました。憧れは目標に変わり、元来右打ちだったにもかかわらず左打ちに変えたほどでした。

高校は当時甲子園とは縁遠い鹿児島工業高等学校に入学します。目立たないことが功を奏したのか、どんどんスキルアップしていきました。最後の夏も、3回戦敗退でしたが、俊足で左の巧打者から、九州では「薩摩のイチロー」と称されるほどになります。そして全国的には注目されることなく、1999年ドラフト会議で地元九州の福岡ダイエーホークスから4位指名を受け入団しました。

主砲・小久保の怪我離脱で、一軍定着のチャンスを掴む

憧れのイチローと1番違いの背番号52をもらいプロ野球選手となりましたが、当初は一軍レベルになく二軍戦で汗を流します。2年目には、ウエスタン・リーグで29盗塁(リーグ2位)を記録し、3年目は首位打者と徐々に力を付けていくと、一軍での初安打も記録します。そして4年目は、自身にとって大きな転機となりました。

当時の正遊撃手・鳥越裕介の故障で開幕スタメンとして出場すると、その後は同じくキャンプ中に大怪我を負った小久保裕紀の代役三塁手として常時試合に出場しました。同年のホークス打線は強力で、チーム打率は驚異の.297で4人が100打点を達成するほどでした。この強力打線の2番打者として打率.294、30盗塁を記録し、チームのリーグ優勝、日本一に貢献しました。

鷹のプリンスとして、球界を代表する遊撃手に成長

その後の川崎宗則は、ホークス遊撃手の絶対的レギュラーとして君臨します。2004年は全試合フルイニング出場して、初の打率3割を達成し最多安打と盗塁王の2冠に輝きました。同年はベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞し一流選手の仲間入りを果たします。2006年以降は、打率トップ10に入ること3回とホークスのトップバッターとして存在感を示しました。2008年の交流戦では、両リーグトップの37安打と大暴れし、チームの交流戦初優勝に貢献しMVPも受賞します。さらに2010年には選手会長に抜擢されて、球団新記録となるシーズン190安打も放つなど、鷹のプリンスとしてその名を馳せました。

すでに人気は全国区となっており、2004年からは8年連続遊撃手部門ファン投票1位でオールスターゲームに出場します。

WBCでは2大会連続出場して日本の連覇に大貢献

川崎宗則は国際大会でも、ハッスルプレーで日本に貢献しました。2006年の第1回WBCでは正遊撃手として全8試合に出場します。特に1番で出場した決勝戦では、「神の右手」と呼ばれたホームへのスライディングで優勝を確実なものとしました。

2008年の北京五輪でも怪我を押しながら出場し、2009年の第2回WBCにも日本代表として貢献します。前回大会よりは出場機会が少なくなりましたが、大一番の準決勝アメリカ戦では2安打1打点1盗塁と活躍しました。このWBCで尊敬するイチローとともにプレーしたことで、さらにその背中を追う決意を固めました。

メジャーリーグ時代、レギュラーにはなれずとも存在感はピカイチ

日本11年間で、1,343安打、267盗塁という好成績を残していた川崎宗則は、2011年オフ、海外FA権を行使してメジャーリーグ挑戦を表明しました。そして希望するシアトル・マリナーズとのマイナー契約を締結し、夢の舞台に飛び込みます。野球少年に戻ったかのように野球を楽しみ、開幕当初からメジャー入りを果たしました。すでに、シアトル12年目で海外でもスターとなっていたイチローとのチームメイトに成ることを実現し、まさに最高の瞬間を味わいます。しかしその時間は短いものとなります。同年7月、イチローはヤンキースとの電撃トレードでチームを去ったのでした。

しかし、ここからは自身持ち前のキャラクターで、アメリカでも唯一無二の存在感を見せ付けます。2年目からは、トロント・ブルージェイズに移ると3年間在籍し、一躍地元のヒーローとなりました。確かな語学力は無くともジェスチャーと川崎流のコミュニケーションはトロントの名シーンとなります。そしてメジャー最後の球団となったシカゴ・カブスでは108年ぶりのワールドシリーズ制覇の瞬間に立ち会いました。ギリギリで登録メンバーから漏れていましたが、ムードメーカーとしての役割を完璧にこなしチャンピオンリングを手にしました。

2017年、日本球界復帰を果たし、ムードメーカーとして期待

メジャー時代に古巣福岡ソフトバンクホークスから再三のラブコールを受けていましたが、2017年ついにそれが実現します。2017年シーズンも海外でのプレーを希望し、キャンプを過ごしていましたが、開幕直前に解雇通告を受けてしまいました。即座に、ソフトバンクは獲得に乗り出し、2017年4月、6年ぶりに日本球界復帰が決定しました。

ソフトバンクは、川崎宗則が日本時代につけていた背番号52を誰にも渡すことなく暖めていました。そして馴染みある番号を背負い、常勝軍団と化したチームにムードメーカーが戻ってきました。


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