川澄奈穂美について
名前 | 川澄奈穂美 |
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生年月日 | 1985年9月23日 |
国 | 日本 |
出身 | 神奈川県大和市 |
プロフィール | 3歳上の姉の影響でサッカーを始め、小学6年生の時に出場した全国少年少女草サッカー大会「清水カップ」で優勝。地元に新設されたチーム「大和シルフィード」に所属し、高校時代はフットサル大会で優勝経験を持つ。
08年にINAC神戸レオネッサに入団するとスーパーサブとしてチームに貢献し、翌09年からウイングのレギュラーを掴む。10年になでしこベストイレブンに選出され、11年にはチーム初のリーグ優勝に大きく貢献。同年7月に行われた女子ワールドカップ・ドイツ大会では日本の初優勝にも貢献した。その後、シアトル・レインFCなどに移籍し活躍の幅を世界に広げている。157センチ、51キロ。 |
姉の影響でサッカーをプレー。小学6年生で早くも日本一に
川澄奈穂美がサッカーを始めたのは小学2年生の時、3歳上の姉の影響からでした。川澄の地元である大和市にあった少女サッカーチームに入団すると、川澄はここで後のチームメイトである上尾野辺めぐみと知り合います。このチームで小学6年生の時に川澄は静岡で開催された全国少年少女草サッカー大会「清水カップ」で優勝し、日本一を達成しています。
中学進学時、川澄はさらにレベルの高いチームでプレーしたいという意向で女子サッカーの名門チームである日テレ・ベレーザの下部組織のセレクションを受けますが、残念ながら落選してしまいます。サッカーを断念するかもしれない状況に追い込まれますが、川澄の才能を惜しんだ小学生時代のチームの代表が新チーム「大和シルフィード」を新設、川澄は高校卒業までこのチームでプレーし続けます。
高校生になった川澄は大和シルフィードとしての活躍とフットサル部を掛け持ちし、フットサル部では「ティファール・カップレディースフットサル大会(現全日本女子フットサル大会)」を優勝という輝かしい実績を持っています。
高校卒業後に日本体育大学へ進学し、4年連続で川澄は全日本大学女子サッカー選手権大会に出場を果たします。04年と07年に優勝するという断トツの実績を誇ります。
プロ転向後、2年でレギュラー定着
2008年、川澄奈穂美は大学卒業と同時に女子サッカーチームINAC神戸レオネッサへ入団しました。練習を見学した当時から「スピーディーで攻撃的で楽しそうだった」と好印象を持っていた川澄は1年目こそスーパーサブとしての出場がほとんどで、21試合に出場して3得点という成績でした。ちなみにこの年にはなでしこリーグオールスターのなでしこWESTチームに選出され、途中出場で1得点を挙げ、後のストライカーとしての片りんを見せていました。
翌09年、前年の活躍が認められた川澄は背番号を9に変更されました。この年から川澄はウイングのポジションを獲得し、米津美和、高瀬愛実らと3トップを形成するようになりました。リーグ戦21戦で10得点を記録した川澄はこの年のオールスターにも選出され、先発出場を果たすなど、女子サッカー屈指の人気選手となりました。
10年になると、川澄は出場試合数こそ減りましたが、18試合で8得点を記録するという相変わらずのストライカーぶりを発揮します。この活躍が認められてオールスターの先発出場はもちろん、自身初となるなでしこリーグベストイレブンという偉業を成し遂げました。
なでしこジャパンの中心としてW杯優勝
2011年、プロ4年目を迎えた川澄奈穂美。選手としてもこの年がベストイヤーと言える成績を残します。キャプテンを任命されて迎えたこのシーズン、自身の成績とチームのメンバーのことを考えながらプレーすることになった川澄ですが、チームを俯瞰して見るようになったことで成績が向上。そして、夏に行われた女子ワールドカップ・ドイツ大会で川澄の知名度が急上昇します。
この大会、日本代表のメンバーに選出された川澄は大会当初、ベンチメンバーとしてサブ要因に甘んじていましたが、準決勝のスウェーデン戦でスタメン起用されると、前半18分に同点ゴール、さらに後半64分にはダメ押し点となるロングシュートを決めるという大活躍をみせます。これでシンデレラガールと称された川澄はこの勢いのまま決勝のアメリカ戦でも川澄はフル出場を果たし、チームは見事に優勝を飾りました。なでしこジャパンの一員として、川澄は世界一に輝きました。
ワールドカップ終了後、川澄はINAC神戸に戻ると、キャプテンとしてチームをけん引します。自身の26回目の誕生日となる9月23日には2ゴールを決めてチームの勝利に貢献すると、11月6日、勝てば優勝が決まるという大一番の日テレ・ベレーザ戦でも川澄は先制ゴールを決めて爆発しますが、チームは引き分けに終わります。
しかし、11月12日のASエルフェン狭山FC戦を勝利してチーム悲願のリーグ優勝を遂げました。川澄はこの年、12ゴールを決めてチームメイトの大野忍とともにリーグ得点王のタイトルを獲得、さらに年間表彰式ではMVP、ベストイレブンにそれぞれ選出されて個人タイトル3冠を達成しました。押しも押されぬ女子サッカーのスター選手となりました。
さらに第33回全日本女子サッカー選手権大会では準々決勝で相手選手との接触で左手甲を負傷し途中交代するアクシデントがありましたが、川澄は準決勝で2ゴール1アシストの活躍を見せ、返す刀で決勝戦でも攻撃の起点となり、チームの大会連覇とリーグとの2冠に貢献しました。まさに川澄はこの年、ベストイヤーと言っても過言ではない活躍を見せました。
アメリカへ移籍後も中心選手として活躍
2012年、川澄奈穂美はロンドンオリンピック出場のために負担軽減を考えてキャプテンを退任し、オリンピックに専念します。そのロンドンオリンピックで川澄は日本代表として出場し、日本代表初となる銀メダル獲得に大きく貢献します。国内リーグでも川澄は全試合に出場し、チームの2連覇に貢献します。
13年、川澄はキャプテンとして再びチームをけん引し、INAC神戸のなでしこリーグ、なでしこリーグカップ、国際女子サッカークラブ選手権、そして皇后杯の4冠を史上初達成の原動力となりました。
翌14年から川澄の目は世界に向き、3月にはアメリカのプロリーグ、NWSLのシアトル・レインFCへ期間限定移籍を果たします。20試合で9ゴール5アシストを決めてチームのシーズン1位に貢献します。この活躍が認められ、リーグのベストイレブンに選出されました。さらに2年後の6月にはシアトル・レインFCへ完全移籍を決断し、7月3日には先発出場で本格デビュー。川澄はこの試合で2ゴールを決めるという派手なデビューを飾り、日米を股に活躍しています。