名前細川亨(ホソカワトオル)
生年月日1980年1月4日
日本
出身青森県東津軽郡平内町
プロフィール青森北高1年生秋から捕手に転向。青森大に進学し、2年生時に遊撃手として大学選手権4強入りに貢献、3年生から正捕手としてベストナイン2度。

2001年11月自由競争枠で西武に入団内定。2年目に正捕手・伊東勤との併用で多くの経験をつみ、2004年正捕手を掴む。2006年は、ともに前年ワーストだった盗塁阻止率、捕逸数でリーグトップの成績を残す。2008年は、16本塁打、58打点と打撃でも活躍し、初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞し、チームの日本一に貢献。

2010年オフFA権を行使。逆指名入団選手としては初の移籍となり、福岡ソフトバンクホークスに入団。移籍初年度に、日本一、3年ぶりのベストナイン&ゴールデングラブ賞を受賞し意地を見せる。その後もベテラン捕手として存在感を示すも、2016年オフ戦力外通告。同年、楽天へ移籍しプロ16年目のシーズンを迎えている。

通算成績は1,374試合、3,325打数676安打、83本塁打、365打点、8盗塁、打率.203(2016年まで)。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回。青森大学卒、185センチ、83キロ。右投右打

青森大学時代は、捕手として3度のベストナインを獲得

細川亨は、青森県東津軽郡に生まれ、小湊中学校時代はキャプテンで三塁手や投手を務めていました。青森北高校に進学すると、1年生から試合に出場して県大会ベスト4進出に貢献します。2年時に内野手から捕手へ転向し、初めてマスクをかぶります。2年秋からはチームの主将を務め、4番捕手としてリードしましたが甲子園出場は叶いませんでした。

その後、地元青森大学へ進学すると、珍しい1番捕手として先頭打者本塁打を放つこともあれば、遊撃手を務めるという器用な一面を見せます。1999年には、全日本大学選手権に出場しチームをベスト4に導きました。3年春からは正捕手として固定され、捕手として3度のベストナインを獲得します。大学生活最後の秋季リーグでは、MVPを奪う活躍を見せました。

伊東勤の後継者として西武に入団し、3年目に正捕手獲得

強肩強打の捕手として、プロスカウトの注目を受け、自由獲得枠で西武ライオンズへの入団が決定します。チームには、長年正捕手を務めた伊東勤がいましたが、2001年オフからコーチ兼任が決まり、和田一浩も外野手転向が確定していたため、細川亨は正捕手候補として大きな期待を背負っての入団でした。

1年目から伊東兼任コーチの指導を受けて、捕手としてのレベルをさらにあげます。同年西武はリーグ優勝を決めると、その後初めて一軍昇格して先発マスクをかぶりました。そして2年目の2003年、開幕から積極的に一軍で経験を積みます。伊東との併用で、先輩のスキルを盗みながら、捕手ではチームトップの93試合に出場しました。西武の捕手で伊東が最多出場とならなかったのは、実に1983年以来のことで事実上の正捕手となります。

2004年、伊原春樹に代わって伊東がチームの監督に就任します。開幕スタメンマスクは野田浩輔に譲りましたが、4月にサイクルヒットを達成するなど存在感を見せて、捕手のポジションを奪い返しました。同年はシーズン2位からクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズ進出を果たします。野田との併用ながらも全7試合に出場して、日本一を勝ち取ったことで捕手としてさらに成長しました。

ライバル炭谷銀仁朗が現れるも、正捕手の座をガッチリ掴む

2005年、チームの捕手としては最多出場も、ともにリーグワーストの捕逸数に盗塁阻止率を記録し正捕手を万全のものとできません。同年オフには、高校生ドラフト1巡目指名で、炭谷銀仁朗も入団しました。2006年開幕戦には、炭谷が51年ぶりという高卒新人捕手の開幕スタメンマスクを実現しました。

しかし、屈辱をバネに鉄壁の守備を披露して、すぐに正捕手の座を奪い返します。盗塁阻止率は12球団トップの.469を記録し、さらに捕逸はゼロと両部門とも最下位からトップに浮上させました。こうした成果もあって、翌年からは伊東勤が選手時代に背負った、背番号27を受け継ぐことも決まりました。

WBC日本代表最終候補にも残り、リーグを代表する捕手へ成長

2007年からは2年連続で130試合以上に出場と、チームの正捕手であり続けます。また、5年連続20犠打も記録して、苦手の打撃でもチームの戦力となりました。2008年はキャリアハイの16本塁打、58打点と長打力も披露しました。同年は、パ・リーグを制し、自身2度目の日本シリーズに挑みます。初戦からフル出場を続け、第4戦では岸孝之をリードして完封勝利を達成しました。第5戦で右肩を脱臼し、以後の出場は不可能となりましたが、チームは4年ぶりの日本一を達成します。それでもシーズンを通した活躍が評価されて、ともに初となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞しました。

2008年オフ、第2回WBC日本代表最終候補に選出されます。野村克也が細川亨を捕手として最も評価していましたが、最終メンバーからは漏れてしまいました。前年の負傷から、大きく出場試合数を減らしましたが、怪我が癒えた2010年は112試合出場と正捕手の座を守りました。

FA移籍した福岡ソフトバンクホークスでは、3度の日本一に貢献

2010年オフ、細川亨はFA権を行使しました。30歳と若く、経験を積んだ捕手は、欲しがる球団が多く3球団との交渉の結果、福岡ソフトバンクホークスへの移籍が決まります。そして逆指名入団選手として、初めて移籍したケースとなりました。前年のホークスは、田上秀則、山崎勝己の二人捕手併用体制でリーグ優勝を飾っていました。連覇を狙うチームへの加入のため、プレッシャーを背負っての新天地スタートでしたが、ベテランの意地を見せます。怪我による2度の一軍離脱はあったものの捕手としてチーム最多の97試合に出場し、チームを2年連続優勝に導きます。そして日本シリーズでも優勝、さらには3年ぶりのベストナインとゴールデングラブ賞のダブル受賞と移籍初年度を最高の形で締めました。

その後、打率は1割台が続き、正捕手の座に留まることができないシーズンが続きます。それでも円熟したリードでフル出場した試合を、高い勝率で勝利し存在感を見せ付けます。特にエース攝津正との相性は抜群で、登板時は決まって捕手を務め、2014年からのチームの2年連続日本一にも貢献しました。しかし2015年からは怪我が相次ぎ59試合、49試合と出場機会を減らします。それでも2016年のクライマックスシリーズでは全7試合中5試合にスタメンで出場しました。健闘むなしく、ファイナルステージで敗れると、ファンに衝撃が走ります。球団は細川に対してバッテリーコーチ転向を打診しましたが、それを固辞したため戦力外通告という形となりました。

現役続行にこだわり、故郷東北を本拠地とする楽天へ移籍

現役続行を望んだ細川亨は、2017年から地元東北を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍しました。16年目のシーズンは、37歳と大ベテランとして迎えましたが、正捕手・嶋基宏や若手投手へのサポート役として、好調のチームの屋台骨を支えています。


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