朝日健太郎について

名前朝日健太郎
生年月日1975年9月19日
日本
出身熊本県熊本市
プロフィール小学校まではサッカーをやっていたが、中学でバレーボールを始める。

鎮西高等学校3年時に全国高等学校バレーボール選抜優勝大会、インターハイで準優勝。法政大学4年時には、内定選手としてサントリーからVリーグに出場、新人賞、ブロック賞を受賞。

1994年全日本に初選出される。のち全日本の中心選手として活躍し、1999年ワールドカップに出場。2000年から2002年にかけてVリーグでのチーム3連覇に貢献。2002年からビーチバレーに転向し、2008年、2012年に白鳥勝浩とオリンピックに出場。
同年引退。現在は参議院議員、ビーチ文化振興協会理事長、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部事務局次長などの肩書きを持つ。(2017年7月現在)

鎮西高等学校、法政大学、早稲田大学大学院。
センター。199センチ、95キロ。

春高バレー準優勝&法政大で全日本制覇

男子ビーチバレー選手の先駆けとなった朝日健太郎ですが、最初に始めたのはバレーボールでした。それも地元熊本の楠中学校時代からスタートなので、やや遅めのスタートだったと言えるでしょう。この頃から背が伸び出したこともあり、朝日の成長ぶりは目を見張るものがありました。

そして、中学を卒業すると、朝日は高校進学でもバレーボールのプレー環境を第一に考えて進学先を選びます。その結果、熊本県内のバレーボールの名門校・鎮西高等学校を選択し、名門バレーボール部でも男子の主力選手として活躍します。

最初に朝日が頭角を現したのは春の高校バレーでした。ここで朝日はミドルブロッカーとして頭角を現します。攻撃力がものをいうポジションで朝日はスパイクを連発し、春高バレーで名門鎮西高等学校を準優勝に導き、注目の選手として知られるようになります。

さらに夏になると、朝日の実力はさらに伸び、インターハイでもチームを準優勝に導きます。名門校らしい実績を残していきますが、肝心の優勝まではあと一歩届かず、朝日の日本一は大学までお預けとなりました。

94年に朝日は法政大学に進学し、バレー部に所属するとすぐにレギュラーの座をつかみます。そして2年生になった95年、朝日はチームを全日本大学選手権優勝に導き、自身初の日本一の座に就きました。この活躍もあり、朝日はバレーの全日本代表にも選出され、日の丸を背負って戦うようになります。朝日の躍進を見た実業団チームも朝日の争奪戦となり、結果的にサントリーから内定をもらうことになりました。

これで内定選手として朝日はVリーグに出場することが可能になり、朝日は大学4年生時にはサントリーの選手として戦い、新人賞、ブロック賞を獲得する活躍を見せました。

サントリーのVリーグ3連覇に貢献

ビーチバレーに転向。男子ビーチバレーのスターに

所属チームのサントリーのVリーグ3連覇に大きく貢献した朝日健太郎。ところが、3度も優勝すると新しいチャレンジを望むようになります。 

朝日は3連覇を達成した02年、一つのチャレンジをします。それはビーチバレーへの転向という選択でした。バレーボールとは異なり、ダブルスで行うもので、選手の個人技が優先されるスポーツです。アトランタオリンピックより正式にオリンピック種目となったことで話題になりましたが、当時の日本ではほとんど注目されることはありませんでした。 

そこにバレーボール日本代表のスター選手でもある朝日が転向することなり、バレー界はもちろん、ファンの間でも大騒ぎになりました。 

02年の春、朝日は元全日本のリベロだった西村晃一とともにチーム、「ビーチ・ウインズ」を結成します。バレーボールを引退した選手たちの受け皿としてもこのチームは機能していきました。毎年のように朝日はペアを変え、05年は渡辺聡、06年からは白鳥勝浩とペアを組んでプレーするようになりました。

苦汁をなめるも、快挙を成し遂げた五輪出場

ビーチバレーチームを結成し、活躍をしていた朝日健太郎でしたが、次なる目標は自身が出場していなかったオリンピックの出場でした。 

ビーチバレーがアトランタオリンピックの正式種目に選ばれて以来、話題になってきた種目ですが、最初に注目されたのは浅尾美和がプレーしていた女子ビーチバレーでした。朝日の率いる男子のビーチバレーはなかなか認知されず、08年の北京オリンピックで初めて認知されることになりました。 

このオリンピック、朝日は白鳥とペアを組んで参戦しました。その中で朝日と白鳥のペアは日本ビーチバレー史上初となる勝利を飾り、決勝リーグへと進出を決めます。そこで敗れてしまったためにメダルには手が届きませんでしたが、9位という誇らしい成績を残しました。 

それからも朝日の目標はオリンピック出場でした。12年にもロンドンオリンピックの日本代表に選出され、プレーをしました。そして大会終了後の9月に朝日は現役を引退し、選手生活にピリオドを打ちました。

現在は参議院議員に在籍しながら、日本のビーチ活動を支援するビーチ文化振興協会理事長に就任したり、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部事務局次長などを務めており、様々な世界で活躍をしている。

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