アリオナ・サフチェンコについて

名前 アリオナ・サフチェンコ
生年月日 1984年1月19日
ウクライナ
出身 ウクライナ・キエフ
プロフィール 3歳でスケートを始める。1999〜2000年シーズンよりスタニスラフ・モロゾフとペアを組み、世界ジュニア選手権、ウクライナ世界選手権で優勝。

2000〜2001年シーズンよりシニアに移行し、世界選手権9位、欧州選手権6位。2002年ソルトレークシティ五輪15位。

2003年ドイツに渡り、ロビン・ゾルコーヴィとペアを結成。2003〜2004年シーズンよりドイツ選手権で6連覇。

2005〜2006年シーズンは初出場したISUグランプリ(GP)シリーズ・ファイナルで3位、ドイツ代表として出場したトリノ五輪で6位。2006〜2007年シーズン世界選手権で銅メダル、欧州選手権で優勝。2007〜2008年シーズンはNHK杯などで優勝し、GPシリーズ・ファイナル初優勝。世界選手権初優勝、欧州選手権2連覇。

2008〜2009年シーズンは世界選手権2連覇、欧州選手権3連覇、GPシリーズ・ファイナル3位。2009〜2010年シーズンはバンクーバー五輪で銅メダル、世界選手権で銀メダル、欧州選手権2位、GPシリーズ・ファイナル3位。

2010〜2011年シーズン世界選手権で2年ぶり3度目の金メダル、欧州選手権で2年ぶり4度目の優勝、GPシリーズ・ファイナルで3年ぶりの優勝。2011〜2012年シーズン世界選手権で4度目の金メダル、GPシリーズ・ファイナルで3度目の優勝。

2012〜2013年シーズンは世界選手権、欧州選手権ともに銀メダル。152センチ。

父の指導で才能を現す

現在はドイツ国籍を持つアリオナ・サフチェンコが生まれたのはウクライナのキエフ。ヨーロッパの中でも屈指の豪雪地帯とされるキエフで生まれ育った彼女は父の指導によって3歳にしてスケートを始めます。ちなみに当時のリンクは近くの公園の湖。人が立っても大丈夫と言う点が、いかにキエフの冬が厳しいかを現します。

サフチェンコのスケートに才能を感じた父は娘が4歳になったばかりのころに地元のフィギュアスケートの教室に入れたいと懇願しますが、当時4歳ではあまりに幼すぎるということで入門は1年先延ばしに。

そして5歳になってから教室に入ったサフチェンコは父のもくろみ通りにスケートが上達していき、14歳になるころにはドミトリー・ポーエンコとペアを組んで世界ジュニア選手権に初出場。この時の成績は13位でしたが、来年以降の活躍に期待を持たせました。

そして15歳になった99-00シーズン、サフチェンコは新たにスタニスラフ・モロゾフとペアを組むことになります。そうして臨んだISUジュニアグランプリに出場。初出場でしたが、JGPファイナルでも優勝するなどの目覚ましい成績をあげました。

返す刀で出場した世界ジュニア選手権でも優勝するなど、その実力はジュニアトップクラスに。地元のウクライナ選手権では何とシニアクラスに飛び級しましたが、それでも優勝とその実力の高さを実証しました。

これで自信をつけたサフチェンコは00-01シーズンはオリンピック出場を目指してシニアクラスに移行して大会に出場しますが、残念ながら入賞どまり。これでリズムを崩したか、02年のソルトレイクシティオリンピックには出場こそしましたが結果は15位。シーズン終了後にサフチェンコはモロゾフとのペアを快勝して新たな道を模索することになります。

ドイツ国籍を得てトリノ五輪へ出場

アリオナ・サフチェンコはリベンジを期すため、03年から拠点をドイツに移します。この年からドイツ所属の選手となり、さらにロビン・ゾルコーヴィを新たなパートナーに迎え入れることになり、ドイツの選手として03-04シーズンのドイツ選手権を優勝。ちなみにこの大会は08-09シーズンまで6連覇を飾るという得意な大会となりました。

翌04-05シーズン、サフチェンコはISUグランプリシリーズに出場。その後も表彰台の常連の選手となり、トリノオリンピックが控えた05-06シーズンはスケートカナダでISUグランプリシリーズ初優勝を達成。さらに初出場となったグランプリファイナルでは3位に入り、トリノオリンピック出場を大きく近づけました。そしてこの年の12月にサフチェンコは国籍もドイツに変更。晴れてオリンピック選手になる権利を得ました。

迎えた06年2月のトリノオリンピック。サフチェンコはドイツ代表として出場して結果は6位入賞。惜しくもメダルには届きませんでしたが、当時22歳の女性スケーターということもあり、次回以降の活躍を大いに期待されました。

まさかの取りこぼしでバンクーバー五輪銅メダル

翌06-07シーズン、アリオナ・サフチェンコは欧州選手権に出場すると念願の優勝。さらに世界選手権でも自身初の表彰台となる3位に入ります。続く07-08シーズンもネーベルホルン杯を制し、ISUグランプリシリーズのスケートカナダで優勝。続くロシア杯は2位に終わったものの、3戦目となるNHK杯は見事に優勝。自身3度目のグランプリファイナルでは圧倒的な演技力で他を圧倒し、ショートプログラムもフリーも1位と文句なしのスコアで初優勝を飾りました。

このシーズンの活躍はこれだけにとどまらず、欧州選手権でも2連覇、さらに世界選手権でも優勝。くしくもサフチェンコのコーチであるインゴ・シュトイアーが優勝した97年からちょうど10年後にドイツ選手が優勝することになりました。

08-09シーズン辺りからサフチェンコは無敵の状態になり、世界選手権の2連覇をはじめ、グランプリファイナル以外の大会で優勝する快挙を成し遂げます。バンクーバーオリンピックの出場がかかる09-10シーズンは表彰台にこそ毎回上りますが、グランプリファイナルの2位をはじめ「何かに負ける」という状態に。取りこぼしが目立つようになってきたサフチェンコはバンクーバーオリンピック出場時、「金メダル以外はいらない」という悲壮な思いで臨みましたが、結果はまさかの銅メダル。フリーでのミスが最後まで響く形となってしまいました。

新パートナー&コーチと組んで平昌五輪へ!

思わぬ取りこぼしが目立ちだしたアリオナ・サフチェンコでしたが、10-11シーズンで復活。出場したすべての大会で優勝するという快挙を成し遂げます。中でも圧巻だったのは世界選手権で、フリー、合計得点で当時の世界最高得点を塗り替えるという大偉業を見せて3度目の優勝を果たしました。

11-12シーズンもサフチェンコの強さは変わらず、グランプリファイナルでは優勝。しかし、欧州選手権は直前に脚を故障してショートプログラム前に棄権することに。ですが、世界選手権には間に合い、4度目の優勝を果たします。

その後もサフチェンコは順調にキャリアを積み、迎えたのが14年のソチオリンピック。実はこの大会を最後に引退を示唆していたサフチェンコですが、フリーでの2度の転倒が響いて銅メダルに終わったことがよほど悔しかったのか、すぐに世界選手権への出場を表明します。

この世界選手権は長年組んだパートナーのロビン・ゾルコーヴィの引退となるため、最後の大会となりました。有終の美を飾るべく、サフチェンコは華麗な滑りを見せて5度目の優勝を記録。サフチェンコ&ゾルコーヴィのペアでの8年連続の世界選手権のメダル獲得は歴代1位タイ記録となりました。

ゾルコーヴィの引退で新たなパートナーとして迎え入れたのはブリュノ・マッソ。さらにアレクサンダー・ケーニッヒを新コーチに招聘するなど、現在のサフチェンコは平昌オリンピックへの出場、そして金メダル獲得に意欲を燃やしています。


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