シュウ・ヨウ(周洋)について

名前 シュウ・ヨウ(周洋)
生年月日 1991年6月9日
中国
出身 吉林省長春市
プロフィール 2006年ショートトラック世界ジュニア選手権女子1500メートルで優勝。

2007〜2008年シーズンW杯カナダラウンド1000メートルで優勝、アメリカラウンドでは1500メートルを世界記録で制したほか、3000メートルリレーのメンバーとして各ラウンド優勝に貢献。2008年世界選手権は3000メートルで金メダル。

2010年バンクーバー五輪1500メートルで五輪新、3000メートルリレーで世界新をマークし金メダルを獲得。500メートルは5位、1000メートルは8位。

2011年アスタナ・アルマトイ冬季アジア大会3000メートルリレーで金メダルを獲得。165センチ、57キロ。

貧しい一家から生まれた中国スピードスケート界のスター

シュウ・ヨウ(周洋)が生まれたのは中国の吉林省。寒さが厳しい地域で、冬になると公演の街路樹が白く凍るほど。しかし、そんな寒い地域だからこそウインタースポーツの文化が盛んで、その地で生まれ育ったシュウもまた、ウインタースポーツに熱中します。

中でも彼女が最も真剣に取り組んだのがスケートでした。両親は二人とも障害を持ち、貧しい家に生まれたシュウでしたが、彼女にはスケートという天賦の才能に恵まれていました。両親もまた貧しい生活の中でシュウのスケートが希望になっていきました。

しかし、当然ながら練習には施設を借りるなどの費用が掛かります。とてもシュウの家では賄えるレベルではありません。しかし、娘の才能を信じた両親は親族から借金をして、シュウの練習費用を賄いました。そのためシュウは誰よりも両親に対する感謝の気持ちであふれた選手として知られています。

シュウが初めて表舞台に出たのは06年のショートトラック世界ジュニア選手権女子1500m。14歳にして初出場を果たしたシュウはこの大会でなんと優勝を果たします。女子スピードスケートの中でも長距離の部類に入る1500mで勝ったという事実は彼女のシニアクラス昇格後にオリンピック出場への期待がセットになりました。

翌07-08シーズン、シュウはワールドカップカナダラウンドの1000mで優勝。続くアメリカラウンドでは1500mに出場し、なんと世界記録で優勝する快挙を成し遂げます。そして3000mリレーのメンバーにも選ばれたシュウはここでも活躍し、チームの優勝に大きく貢献します。

圧倒的な実力でバンクーバー五輪金メダル

あらゆる大会で優勝したシュウ・ヨウ(周洋)には中国本国からも期待されるように。まだ10代と言う若さ、そしてこの才能を見ると中国のスピードスケート界で向こう10年以上の活躍が期待できます。シュウもまた自身の置かれている立場がよくわかっているようで、その後の成績をさらに伸ばしていきました。

まず、08年には世界選手権に出場すると、女子3000mで優勝。弱冠16歳にして3000mをこなすスタミナがどこにあったのかと驚かされますが、シュウは涼しい顔をして滑り切りました。しかし、これだけ強いシュウの存在はライバルたちに強い刺激を与えたのか、08年のワールドカップではあるトラブルが起こりました。

この大会、シュウは得意の1500mに出場しましたが、レース中にある選手からヘルメットを故意に手で押され、その影響でコースアウト。さらに頸椎脱臼という負傷を追います。スポーツマンシップに反する行為の被害に遭ったシュウでしたが、そうしたアクシデントを乗り越えて、10年には中国ナショナルチームが期待していたバンクーバーオリンピックへの出場を果たします。

そのバンクーバーオリンピック。シュウは個人種目としては500mと1000mと1500m、さらに団体で3000mリレーの選手としてエントリー。ほぼすべてのスピードスケート競技に参戦しているところからもメダル奪取に意欲を燃やしていることは明らかでした。

そしてシュウが持ち味を発揮したのはやはり1000m以上のレース。1000mでは準決勝で世界記録を樹立する圧倒的な成績を残しましたが、決勝で失格となり、結果はまさかの8位止まり。そして500mではダッシュが付かなかったか5位入賞にとどまりました。

しかし、シュウが本領を発揮したのはやはり1500m。決勝で見せたシュウの滑りは圧巻で、なんとタイムはオリンピックレコードであり、なおかつ世界記録と言う大記録。圧倒的な成績で優勝したシュウは金メダリストに輝きます。

さらに返す刀で3000mリレーにも出場したシュウはチームを優勝に導き2個目の金メダルを獲得。ここでもオリンピックレコード&世界記録を樹立するという偉業を成し遂げました。

抗うつ神経症発症。選手としての危機に

弱冠18歳でオリンピックの金メダリストになったシュウ・ヨウ(周洋)。レース後に記者に語ったコメントは「金メダルを獲得すれば、たくさんの事が変わる。私はもっと自信がもてるし、両親の生活を楽にしてあげることができる」。親孝行な彼女らしい殊勝なコメントに中国国民は涙ぐんだともいわれています。

しかし、このシュウのコメントは波紋を広げることになりました。というのも中国のスポーツ当局がこのコメントを聞いた直後「両親よりも国家への感謝が先では」と苦言を呈し、シュウに異例とも言えるコメントのやり直しを命じました。

これによって中国国内では大きなバッシングが起こり、渦中の人となってしまったシュウは精神的に追い詰められてしまい、なんと抗うつ神経症を発症してナショナルチームを離れることに。運悪くこの時期に故障も発症したことで、一時は引退までささやかれることに。選手として栄光の金メダリストになった後の生活は逆に彼女を苦しめることになりました。

しかし、シュウはくじけませんでした。11-12シーズンには復帰して、11年のアスタナ・アルマトイ冬季アジア大会に出場。団体競技の3000mリレーに出場して、チームを優勝に導く大活躍を見せて金メダルを獲得。オリンピック金メダリストの実力をいかんなく発揮しました。

ソチ五輪で連覇達成し、復活をアピール!

天国と地獄を見たシュウ・ヨウ(周洋)。しかしこの経験で精神的に強くなったのか、4年後のソチオリンピックに出場した際は、当時22歳と若い選手ながらどこか女王の風格さえ漂わせていました。

そうして迎えたソチオリンピック。連覇がかかるシュウは1500mに出所すると圧倒的な滑りを見せて2分19秒140という素晴らしいタイムで優勝。韓国の新鋭シム・ソクヒ、イタリアのアリアナ・フォンタナを下して見事に金メダル連覇を飾りました。

そして現在も現役のシュウの目標はもちろん、18年に行われる平昌オリンピックの金メダル。空前絶後の大記録、3大会連続の金メダル奪取は果たして叶うのか、今から注目を集めています。


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