ソン・リンリン(孫琳琳)について
名前 | ソン・リンリン(孫琳琳) |
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生年月日 | 1988年10月3日 |
国 | 中国 |
出身 | 黒竜江省七台河市 |
プロフィール | 2010年バンクーバー五輪スピードスケート・ショートトラック女子3000メートルリレーで金メダルを獲得。161センチ、56キロ。 |
生まれ育った黒竜江省で見いだされる
ソン・リンリン(孫琳琳)が生まれ育ったのは中国の黒竜江省。広大な中国大陸の中でも最も寒い地域と言われるエリアで、省都のハルビン市は通称「氷の街」とも呼ばれる厳しい寒さで知られています。そのため、黒竜江省は昔からウインタースポーツが盛んで、街にはスケートリンクが多め。この辺りの子供たちはそこで遊ぶことで自然とウインタースポーツになじんでいきますが、ハルビン市の隣である七台河市で生まれたソンもまた、スケートからウインタースポーツに入ったクチでした。
幼少期から始めたスケートですが、ソンには特別な才能があったと言わざるを得ないでしょう。オリンピック出場時のプロフィールが161センチ、56キロと決して大きな体ではないソンですが、爆発的ともいえるスタートダッシュが最大の武器。幼いころからのスケートで培われた能力は中国のナショナルチームの目にもすぐに止まり、ソンは間もなく中国ナショナルチーム入り。そしてオリンピックへの出場を目指し、日々努力することになりました。
ナショナルチームの練習に耐え、メンバー選出
ソン・リンリン(孫琳琳)が所属することになったナショナルチーム。もともと中国は国家をアピールできるためか、オリンピックに対するモチベーションが非常に高い地域として知られ、才能あふれる選手は諸外国への流失を防ぐためにも自国のナショナルチームで育成することが主流。これはどの競技にも当てはまることで、国を挙げた選手育成は他の追従を許さず、オリンピックのメダル総数は夏季冬季合わせてなんと526個。その中でも金メダルは213個と驚異的な数を記録しています。
ソンがメインとするスピードスケートはまさに中国のお家芸とも言える得意ジャンル。選手を育成するノウハウに長けているためか、冬季オリンピックに初参戦した80年のレークプラシッドオリンピックから毎年のようにメダルを獲得し、特に2000年代以降のスピードスケートはまさに中国の独壇場。ソンが加入した時期もまさにこの頃だったため、時代のメダリスト候補としてソンは大いに期待されていました。
しかし、オリンピック強豪国と言っても出場選手の数には限りがあります。トリノオリンピック時、17歳だったソンは時期尚早と言う理由からメンバー入りできず、オリンピックを逃します。しかし、それでもソンはメゲずに国際大会等で着実に実績を残し、トリノから4年後のバンクーバーオリンピックの中国代表選手に選出されました。
バンクーバー五輪で念願の金メダル
21歳で迎えたソン・リンリン(孫琳琳)のバンクーバーオリンピック。彼女が出場することになったのは女子1000m、1500m、そして3000mを4人で走り切るリレーの3種目。ちなみにソンとともに中国代表に選ばれた選手にはスピードスケート界の女王とも称されたワン・メン、そしてチョウ・カイもいました。
バンクーバーオリンピックでは中国代表が絶好調。女王ワンが500mと1000mで金メダルを取り、さらにチョウも1500mで金メダルとまさにスピードスケート大国中国の実力を見せましたが、肝心のソンの成績はというと、1000mは準々決勝3位で予選落ち、そして1500mは決勝まで進みますが、優勝したチョウよりもはるか後ろの10位に終わりました。
ソンにとって、メダルを取るとしたら残る3000mリレーに賭けるしかありません。このリレーでソンはラスト5周を任されるという重要な局面にいました。この時点で中国1位、2位韓国と言う順位。このまま逃げ切れば中国の金メダル確定と言うところで事件が発生します。
それまで2位を走っていた韓国のパク・スンヒがバトンタッチの際、自国の選手であるキム・ミンジョンの腰を力強く押しました。これで勢いがついたキムはアウトコースからインコースへ切れ込み、インを付いていたソンの進路をふさぐ形に。ソンはこれでスピードを落とさざるを得ず、結果的に2位に後退しそのままゴールを迎えました。
しかし、VTR判定の結果、韓国側に反則があったとして失格負け。結果的にソンが1位通過と認定されて中国の優勝・金メダルに変更されることになりました。ややタナボタ的な勝ち方ではありますが、ソンはこれで念願の金メダリストの仲間入りを果たしました。
次回の五輪で復活を期す
団体競技とはいえ、念願とも言える金メダリストに輝いたソン・リンリン(孫琳琳)。当時21歳と言う若さも魅力で、この後も大成することを信じられていましたが、14年のソチオリンピックには彼女姿はありませんでした。しかし、18年の平昌オリンピック時は29歳で迎えるだけに好成績を期待できると言えるでしょう。