ボブ・デヨングについて

名前 ボブ・デヨング
生年月日 1976年11月13日
オランダ
出身 オランダ・レイマイデン
プロフィール 4歳からスケートを始める。1997年スピードスケート世界距離別選手権男子1万メートルで銅メダルを獲得。’98年長野五輪1万メートル銀メダル、5000メートルで4位。世界距離別選手権は1万メートルで銀メダル。’99年世界距離別選手権1万メートルで初優勝、5000メートルは銅メダル。

2000年世界距離別選手権は5000メートルと1万メートルともに銀メダル、2001年は5000メートルで金メダル、1万メートルで銀メダル。

2002年ソルトレークシティ五輪では1万メートル15位、5000メートル30位。ソルトレークシティ五輪後はプロを辞め、土木技師として生計を立てつつ競技を続ける。

2003年世界距離別選手権1万メートルで金メダル、5000メートルで銀メダル。

2004年世界距離別選手権は1万メートルで銀メダル、2005年は1万メートルで3度目の金メダル、5000メートルで銀メダルを獲得。2006年トリノ五輪は1万メートルで金メダルを獲得、5000メートル6位。2008年、

2009年は世界距離別選手権1万メートルでともに銅メダル。

2010年バンクーバー五輪は1万メートルで銅メダル、5000メートル5位。2011年世界距離別選手権は5000メートルと1万メートルで2冠を達成、2012年は5000メートルで銀メダル、2013年は1万メートルで銅メダル。

そのスタミナから“ディーゼル”の異名を持つ。181センチ、83キロ。

長野五輪銀メダルで頭角を現す

ボブ・デヨングがスケートを始めたのは4歳のころ。この頃からスケートに熱中したデヨングは冬こそ祖父母の家の近くの湖でスケートの練習をして、夏にはローラースケートで練習をするという熱の入れよう。そのためか、スピードとともにスタミナが付きだし、いつしかデヨングは誰よりも長く滑れるスケーターに成長していきました。

スタートダッシュが問われるスピードスケートの短距離戦は不向きなデヨングでしたが、逆に無尽蔵のスタミナが彼の最大の武器。そのためデヨングがメインとしたのは10000mというスピードスケートの中でも長距離の種目。競技人口があまりいないジャンルで下が、デヨングはその中で活路を見出していきました。

最初にデヨングが表舞台に出たのは95年の世界ジュニア選手権。この大会で圧倒的な実力を見せたデヨングは優勝を果たします。さらにこの年にはシニアの国際大会にもデビューし、ワールドカップでも総合3位入り。さらに長野オリンピック前年の97年に行われたスピードスケート世界距離別選手権で男子10000mに出場したデヨングは初出場ながら3位に入り銅メダル獲得。21歳にして無尽蔵のスタミナを誇るデヨングに誰もが驚かされました。

そして迎えた長野オリンピックでオランダ代表に選出されたデヨングは晴れてオリンピック初出場。ここでデヨングは10000m戦で見事に銀メダルを獲得。その圧倒的なスタミナは話題になり、いつしかディーゼルという通称で知られるようになりました。

プレッシャーに押しつぶされ、ソルトレイクシティ五輪大敗

スタミナ自慢のスケーター、ボブ・デヨングの勢いは止まらず、99年の世界距離別選手権では10000mで初優勝を飾り、金メダルを獲得。なお、この大会では5000mでも銅メダルに輝き、5000m以上の距離では抜群の実績を残していきました。

また、00年にも世界距離別選手権に出場すると5000m、10000mでともに銀メダル。01年の世界距離別選手権ではリベンジを果たして、5000mで優勝、5000mで銅メダルを獲得し、5000m以上の距離ならばほぼ負けないという実績を作っていきました。

そして迎えた02年のソルトレイクシティオリンピック。これまでの実績を考えれば、デヨングの金メダルはほぼ間違いなし。二冠を取るのは既定路線とまで語られていました。

しかし、メダル間違いなしというプレッシャーからか、デヨングは確勝を期したはずのオリンピックでまさかの惨敗を喫します。5000mでは30位に沈み、10000mでは巻き返しましたが、それでも15位と到底メダルには及ばず。まさかの無冠でオリンピックが終わりました。

その後、デヨングはプロ活動ではなく、土木技師として生計を立てつつ、競技を続けるように方針を転換。スケートのことばかり考えないような環境に置くことがこの時の狙いとも言えました。

トリノ五輪で悲願の金メダル

ソルトレイクシティオリンピックで惨敗を喫したボブ・デヨングですが、03年の世界距離別選手権10000mで復活。この大会で金メダル、5000mで銀メダルを獲得し、その実力の高さを実証します。

世界距離別選手権でのデヨングの実績はまだまだ続き、04年には10000mで銀メダル、05年には10000mで3度目となる金メダル、そして5000mで銀メダルと数々のタイトルを積み重ねて、06年のトリノオリンピックに出場を果たします。

前回のソルトレイクシティオリンピックはプレッシャーに押しつぶされ、ふがいない成績に終わったデヨングでしたが、この大会では精神的に成長。5000mこそ6位のと今一つの成績に終わってしまいましたが、本職とも言える10000mでは本来の強さを発揮して見事に優勝。念願のオリンピック金メダリストに輝きました。

ソチ五輪で4大会連続出場&3大会連続メダル獲得を達成

悲願とも言えたオリンピックの金メダルを獲得したボブ・デヨング。その後も協議を続け、08年には世界距離別選手権で10000mで銅メダル、翌09年も10000mで銅メダルを獲得しました。

スケーターとして30歳を超えたあたりから取りこぼしが目立ちだしたデヨングですが、それでもまだ協議をやめるつもりはなく、4大会目の出場となった2010年のバンクーバーオリンピックでは5000mで5位入賞を果たすと連覇を狙った10000mは銅メダル。惜しくも敗れましたが、2大会連続のメダル獲得にその実力の高さが現れていました。

翌11年、デヨングは世界距離別選手権で5000mと10000mに出場してなんとどちらも優勝。自身初の二冠を達成します。これを評価されたデヨングはその年に傑出したパフォーマンスを見せたスピードスケート選手に贈られるオスカー・マティセン賞を授与され、オランダのスポーツマンオブザイヤーにもノミネートされるほどの実績を残しました。

翌12年も5000mで銀メダル、13年は10000mで銅メダルと着実にタイトルを積み重ね、14年のソチオリンピックでも10000mで銅メダルを獲得。初めてメダルを獲得した長野オリンピックから16年の時を経ても未だトップクラスの実績を残すデヨングに誰もが驚かされました。

次なるデヨングの目標はもちろん、18年に行われる平昌オリンピックの出場。5回連続出場、そしてメダル獲得が期待されています。


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