テッサ・ヴァーチュについて

名前 テッサ・ヴァーチュ
生年月日 1989年5月17日
カナダ
出身 オンタリオ州ロンドン
プロフィール 6歳でスケートを始めると、97年、8歳のころにスコット・モイアとペアを組む。03-04シーズンからジュニアグランプリシリーズに出場し、05-06シーズンにはジュニアグランプリファイナル優勝。

シニアに変わってからもバンクーバー五輪金メダル、ソチ五輪個人、団体ともに銀メダル、世界選手権金メダルなどの輝かしい実績を残した。165センチ、50キロ。

8歳からスコット・モイアとペアを組む

テッサ・ヴァーチュがスケートを始めたのは6歳のころ。フィギュアスケートを本格的に始めるにはやや遅めのスタートとなりましたが、その華麗なスケートはすぐに指導者たちの目に留まります。彼女一人のスケートではなく、ヴァーチュは8歳になった年から2つ上の地元の先輩、スコット・モイアとのカップルでペアとしてアイスダンスに出場するようになりました。この頃は大きな大会に出場しても好成績を挙げることはありませんでしたが、場数を踏むことでこのカップルは徐々に台頭していきました。

ヴァーチュたちが初めて活躍したのは03-04シーズン。この年からグランプリシリーズに出場しはじめると、身体の成長もあって徐々に成績を残していきます。この年にはヘルシンキで行われたジュニアグランプリファイナルで銀メダルを獲得、さらに世界ジュニア選手権でも銀メダルに輝きました。

ヴァーチュの表現力豊かな演技はジュニアの領域を超えていて、05-06シーズンになるとジュニアグランプリシリーズで3大会連続の優勝を果たすという快挙を達成。これが決め手となってこの年のジュニアグランプリファイナルで優勝。この勢いに乗ったまま出場した世界ジュニア選手権でもヴァーチュのペアは優勝するなど大活躍を収めました。

地元バンクーバー五輪でアイスダンス史上最年少の金メダル

わずか16歳にしてテッサ・ヴァーチュはジュニアグランプリを制すると、翌06-07シーズンからヴァーチュのペアはシニアのグランプリシリーズへ参戦するように。手始めに出場したカナダ選手権で2位に入ると、初出場となった世界選手権では6位に入ります。まだ10代のコンビとしては上々の出来とも言えますが、翌07-08シーズン、ヴァーチュたちはさらなる進化を遂げました。

このシーズン、まず快挙となったのが地元のスケートカナダ。ここで優勝したヴァーチュたちはグランプリシリーズ初勝利を挙げ、2戦目のNHK杯は2位入り。これでグランプリファイナルの切符を掴みました。結果こそ、総合4位と惜しくも表彰台を逃しましたが、この悔しさをバネにヴァーチュたちはカナダ選手権、そして四大陸選手権で初優勝を飾り、さらに世界選手権では2位。前年届かなかったメダルを獲得するまでになります。

ここまでの好成績を残せば当然、オリンピックも視野に入ってきます。しかも2010年の開催地はヴァーチュたちの地元であるカナダ・バンクーバー。地元開催ということで気合の入るヴァーチュでしたが、そのオリンピックイヤーに当たる09-10シーズン、ヴァーチュたちは絶好調。グランプリファイナル2位、カナダ選手権で3連覇と好調のままバンクーバーオリンピックに臨むとメダルを期待する声援に応え、パターンダンス2位、オリジナルダンス1位、フリーダンスも1位に入り、圧倒的な差を付けて優勝。金メダリストに輝きました。

ちなみにヴァーチュたちのメダルはアイスダンスでは史上最年少、そして北米史上初となるという偉業。この勢いを駆って臨んだ世界選手権ではオリジナルダンスで史上最高点となる70点台を記録して、初の優勝を飾りました。

故障に見舞われながらもタイトルを積み重ねる

歴史的偉業を成し遂げたテッサ・ヴァーチュですが、その反動が大きかったのか10-11シーズンはヴァーチュにコンパートメント症候群の症状が出たため、2度目の手術を敢行することに。これでグランプリシリーズを欠場、さらにカナダ選手権欠場。4連覇の夢はこれでついえてしまいました。

ヴァーチュが復帰したのは四大陸選手権。ここでショートダンスでは1位で通過しましたが、フリーダンス中のリフトアップに対して体が違和感を覚えたという理由でヴァーチュペアは棄権するという憂き目に遭いました。しかし、その無念を晴らすかのように世界選手権では2位に入り、4大会連続のメダル獲得を果たします。

ケガも癒えた11-12シーズン、ヴァーチュはグランプリシリーズにフル参戦し、初戦のフィンランディア杯を制すると、グランプリシリーズのスケートカナダ&エリック・ボンパール杯で優勝。グランプリファイナルでは惜しくも2位だったものの、完全復活をアピールします。この後に出たカナダ選手権では無類の強さをみえて4度目の優勝。さらに世界選手権でも2年ぶり2度目の優勝を果たしました。

これまで故障するというとヴァーチュばかりでしたが12-13シーズンはパートナーのスコット・モイアの故障で出遅れ、フィンランディア杯を欠場。しかし、モイアが復帰するとヴァーチュたちの強さは変わらず、グランプリシリーズは優勝し、グランプリファイナル2位、カナダ選手権で5度目の優勝、四大陸選手権2位という素晴らしい実績を残しました。

ソチ五輪後に休養も、全盛期と変わらぬ演技を披露

自身、パートナーの故障に見舞われながらもテッサ・ヴァーチュたちのアイスダンスでの成績は抜群。ここまでくると次は14年のソチオリンピックでの連覇が期待されます。

そうして迎えた13-14シーズン、ヴァーチュたちはフィンランディア杯で2回目の優勝を飾ると、グランプリシリーズでは2連勝して勢いに乗ってファイナルは2位。これで連覇へと臨んだソチオリンピックですが、ショートダンス、フリーダンスともに団体戦にも出場。団体では銀メダルを獲得するのに貢献しましたが、個人でも銀メダル。あと一歩のところで連覇を逃してしまいました。

これでモチベーションが下がったのか、14-15シーズンは全ての大会を欠場。そして15-16シーズンも当初は欠場し、あわや引退かとささやかれましたが、16年の2月に現役復帰を発表。コーチを変えて臨むことも同時に決まりました。

そして16-17シーズンで3季ぶりに戻ってきたヴァーチュたちはグランプリファイナルを制し、念願のグランプリファイナル優勝。そして世界選手権でも5年ぶりの優勝を飾りました。18年開催予定の平昌オリンピックに向けて万全の状態をキープしています。


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