名前佐々岡真司(ササオカシンジ)
生年月日1967年8月26日
日本
出身島根県
プロフィール小学3年から野球を始め、浜田商業高校2年で投手に転向。3年夏はベスト4で甲子園出場経験なし。NTT中国に入社。1989年全日本入りし、同年ドラフト1位指名で広島に入団。

1990年西武とのオープン戦で初登板。同年17試合連続セーブポイントの日本記録を達成。1991年最多勝利、防御率1位、沢村賞、ベストナイン、MVPでリーグ優勝に貢献。1999年5月対中日戦でプロ野球史上67人目、78度目のノーヒットノーランを達成。

2000年、通算100勝を達成。2003年、100セーブに到達し、史上6人目の100勝、100セーブ達成。2007年、キャリアワーストの12試合出場に終わり、同年限りで引退。2015年から広島二軍投手コーチに就任。

通算成績は570試合、138勝153敗106S、5ホールド、防御率3.58、2,344回1/3、1,806奪三振。最多勝1回、最優秀防御率1回、MVP1回、沢村賞1回、ベストナイン1回。浜田商卒、184センチ、88キロ、右投右打

高校2年から投手を始め、社会人時代にスライダーを極める

佐々岡真司は、島根県に生まれ、小学3年生から野球を始めます。5年生からは、地元の野球チームに入って内野手を務めていました。浜田商業高校へ進学すると、2年生から投手へ転向します。3年にはエースとなり、県下有数の投手に成長しました。夏の甲子園を目指し、準々決勝でも1点差で何とか勝利します。しかし、大社との準決勝では、2回に先制点を許し、6回にも大量点を奪われて敗れ、甲子園出場は叶いませんでした。

NTT中国へ進むと、決め球スライダーに磨きがかかり、自身の伝家の宝刀となります。ソウル五輪日本代表には選出されませんでしたが、1989年の都市対抗で実力を見せ付けました。三菱重工広島の補強選手として出場すると、与田剛率いるNTT東京と1回戦で対戦します。先制アーチを許しましたが、失点をその1点に抑え、見事勝利に貢献しました。準々決勝では敗戦投手となりましたが、秋のドラフトへ向けていいアピールとなりました。

初登板を完投勝利で飾り、後に守護神を務めるなどフル回転

そして、後に史上最高の大豊作と言われた1989年のドラフト会議を迎えます。野茂英雄に8球団が1位指名で競合する中、広島東洋カープは単独1位で佐々岡真司を指名しました。相思相愛で入団が決まると、即戦力の噂どおり、いきなりチームの戦力になります。1990年の開幕第5戦に、初登板初先発すると打線の強力援護もありましたが、初完投勝利という偉業を達成しました。

その後もローテーション投手として、先発を務めていましたが、前年のセーブ王・津田恒実が故障を負い、突如クローザーを任されます。急な配置転向にも関わらず、5月に初セーブを挙げると、当時のプロ野球記録となる17試合連続セーブポイントをマークするなど守護神を務めました。終盤には再び先発登板するなどフル回転し、すべてチームトップの44試合に登板、13勝17セーブ、防御率3.15と新人らしからぬ成績を収めます。通常の年ならば、間違いなく新人王でしたが、中日に入団した与田剛が31セーブで最優秀救援投手のタイトルとダブル受賞しました。

2年目のジンクスは関係なく、MVPに沢村賞でリーグ優勝へ導く

新人で好成績を収めたプロ野球選手は、相当に研究されて2年目のジンクスに陥ることが多いです。しかし、佐々岡真司にいたっては全く逆で、さらにギアを上げてチームに大きく貢献しました。同年の広島は、津田恒実と大野豊のダブルストッパー構想でスタートします。しかし、津田は不調で離脱すると、その後不治の病であることが発覚しました。

まさかの事態にチームは一丸となり、津田のために優勝することを誓います。佐々岡は、先発の柱としてリーグ最多の240イニングを投げぬくなど大車輪で活躍しました。17勝で最多勝、防御率2.44で最優秀防御率と投手タイトル2冠を奪い、オフにはMVP、沢村賞、ベストナインとタイトルを総なめにします。同年は、北別府学が最高勝率、川口和久が最多奪三振、大野が最優秀救援投手とチームで投手タイトルをすべて奪い、見事リーグ優勝を実現しました。

チーム事情に応じて、先発とリリーフを巧みにこなす器用さを披露

プロ3年目も12勝を挙げて、3年連続二桁勝利を達成します。しかし、年々、防御率を悪化させており、4年目には5勝17敗でリーグ最多敗戦数を喫し、防御率4.33と初めてプロの壁に苦しみました。それでもチームの中心的存在の佐々岡真司は、5年目も前半は、先発と中継ぎを掛け持ちし、後半からはリリーフに専念するなどチーム事情によって器用に役割を演じます。1995年には、自身初の開幕投手を務めましたが、抑え投手が不調に陥ると、自らが取って代わりました。

非情に慌しいシーズンを過ごしていましたが、1996年から抑え投手として固定されます。するとチーム最多登板の49試合に出場して5勝23セーブ、防御率1.70と見事な守護神振りを発揮しました。リリーフ専念3年目の1998年、不調に陥ると再び先発に復帰して再起をかけます。同年は不本意な成績に終わりましたが、1999年はノーヒットノーランを達成するなど15勝に、リーグ5位の防御率3.27と変わり身の早さを見せました。

史上6人目、広島では大野豊に続く通算100勝&100セーブを達成

2000年、自身2度目の開幕投手を務めるなど順調にスタートを切ると、6月には通算100勝をマークし、同年は2年連続5度目の二桁勝利を達成します。先発一本に専念していれば、もっと早い達成となっていましたが、プロ11年目でした。その後も、先発の一角としてローテーションを守ります。しかし、2003年、再びチーム事情によってリリーフに転向すると、通算100セーブも達成したことで、史上6人目の100勝100セーブという偉業を成し遂げました。

現役時代、故障などで長期離脱することなく無事是名馬を具現化

入団以来、大きな怪我のない佐々岡真司は、ベテランとなっても強さを見せ付けます。2006年には、チーム最年長選手となりましたが、先発としてローテーションを守り、規定投球回もクリアしました。同年は江夏豊以来二人目となる、先発100勝かつ100セーブを達成します。2007年も、開幕から先発ローテーション投手を務めましたが、鉄人にも年齢の衰えが顕著となりました。キャリアワーストの12試合登板に終わり、ついに現役引退を決意しました。

通算18年のプロ野球生活で、138勝153敗106セーブという素晴らしい成績を収めました。数字以上に賞賛すべきは、毎年欠かさず、一軍で登板し戦力であり続けたということです。優勝を味わったのは2年目の1991年のみに終わりましたが、大きな怪我や故障もなく、まさに無事是名馬を具現化しました。現役引退後は、しばらくの間解説者として過ごし、2015年からは広島の二軍投手コーチに就任し、2016年、25年ぶりの優勝に貢献しました。

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