名前伊藤涼太(イトウリョウタ)
生年月日1992年7月16日
日本
出身三重県鈴鹿市
プロフィール小学1年からゴルフを始める。

1999年初出場した世界ジュニアゴルフ選手権で8位に入賞。2000年の同選手権9〜10歳の部で優勝。2002年、12歳99日でジョージア東海クラシックに出場してツアー出場史上最年少達成。

2004年、日本アマチュアゴルフ選手権2位となり、全米アマチュアゴルフ選手権にも出場。タイガー・ウッズの記録を更新する史上最年少予選突破。

サントリーオープンでは、14歳2ヶ月で史上最年少予選突破を達成。2005年には、6試合連続で予選突破し、アンダーアーマーKBCオーガスタでは6位タイでフィニッシュ。史上最年少トップ10を達成。左の股関節を痛めると、ツアーから姿を消し、長い低迷期に入る。

福井工業大学附属福井高等学校卒業後、日本大学進学するも中退。2013年プロ転向。2017年にはツアー復帰。石薬師小、白鳥中学、福井高校卒、173センチ、70キロ

世界選手権を制した天才ゴルフ少年は、小学生でツアー初出場

伊藤涼太は三重県鈴鹿市で生まれ、7歳から父の指導によってゴルフを始めます。幼くして才能を開花させると、石薬師小学校3年生で世界ジュニアゴルフ選手権に出場しました(8位入賞)。2000年、2年連続で同選手権に出場して9~10歳の部で優勝を飾ります。かつてタイガー・ウッズも制した大会だったこともあって、天才少年として大きく称えられました。

2002年には7月のアマチュア協議「東海マスターズ」で見事優勝し、「ジョージア東海クラシック」大会への出場権を手にします。実に12歳99日という史上最年少でのツアー出場を果たします。すでに身長も160センチを超え、飛距離も250ヤードとプロと遜色ありませんでしたが、予選突破は実現しませんでした。

中学生時代も国内外で大活躍し、様々な史上最年少記録を樹立

2003年には、東海マスターズゴルフ選手権で連覇を飾り、日本アマチュアゴルフ選手権でもベスト16と末恐ろしい成績で小学生時代を締めくくります。三重・白鳥中学時代には、日本アマチュアゴルフ選手権準決勝で優勝候補と言われた関東アマ王者の額賀辰徳を破り決勝戦へ駒を進めます。そして、韓国の李東桓との初の10代対決となりましたが、完敗し2位に終わりました。

それでも全米アマチュアゴルフ選手権の出場権を獲得すると、タイガー・ウッズの記録を破り史上最年少で予選を突破します。本戦では1回戦で大敗しましたが、天才中学生ぶりはヒートアップしました。2004年9月、中学2年生の14歳2ヶ月でサントリーオープンに出場すると、それまで手嶋多一が保持していた15歳11ヶ月という史上最年少予選突破記録を大幅に更新します。決勝ラウンドの2日間は、ツアープロ並に大ギャラリーを引き連れて堂々とプレーし、ローアマチュアを獲得しました。

6試合連続で予選突破し、最高位は6位に入るなど好調を維持

2005年には、主催者推薦も増えたこともあって、プロツアー参戦を増やします。7月のセガサミーカップゴルフトーナメントでは2日間合計2オーバーの76位タイで、わずか1打及ばず予選落ちしました。しかし、その翌週に出場したアイフルカップでは、26位で予選通過し、29位タイでフィニッシュします。その後、サン・クロレラクラシック33位を経て参戦したアンダーアーマーKBCオーガスタではプロ顔負けのプレーを連発しました。初日から、18番でイーグルを奪うなど首位と3打差の9位でスタートすると、さらに順位を上げて7位で軽々と予選突破します。3日目も9位タイと上位をキープすると、最終日には6位タイと史上最年少トップ10フィニッシュを果たしました。

その後、フジサンケイクラシック57位、サントリーオープン38位と予選は突破するも優勝争いに絡めない戦いが続きます。9月のANAオープンでは、2日目終わって32位タイで見事6試合連続予選突破を達成しました。3日目は激しい雨と風に各選手がスコアを落とす中、2つスコアを伸ばして15位タイに浮上します。最終日も3つスコアを伸ばして通算9アンダーとすると、目標だった一桁順位に後一歩届かない12位と大健闘を見せました。

連戦で怪我を負い、石川寮と入れ替りで表舞台から消える

6試合連続で予選突破した試合では、当然のようにすべてローアマチュアを獲得します。しかし、身体が完全に出来ていないときに無理して出場したことは、大きな負担を強いられました。福井工業大学附属福井高等学校に進学した頃には、左の股関節に水がたまり日常生活に支障が出るほどとなります。それでも、主催枠などで出場したことで、怪我をかばって打つスイングが染み付いてしまいました。当然、そんな状態で試合に出場しても結果は出ず、予選落ちや棄権を繰り返します。この頃、石川寮が15歳245日で世界最年少優勝を飾ったこともあって、伊藤涼太は自然と表舞台から消えて行きました。

たゆまぬ努力を続け、プロとしてレギュラーツアー復帰を果たす

世間の注目は完全に石川寮にシフトし、華やかな舞台は遠い存在となります。それでもゴルフという競技に向き合い、感覚を取り戻す努力を続けました。2009年からは、大会推薦出場のオファーを全て断り、国内のミニツアーや海外への武者修行にも出向きます。高校卒業後、日本大学に在籍しましたが中退し、多くの実戦で自身の復活を期しました。

2013年に遅まきながらプロ転向し、2014年のHEIWA・PGM CHAMPIONSHIPでデビュー戦を戦います。しかし、ツアー出場優先順位を争うクオリファイングトーナメント(QT)でも結果を出せない日々が続きました。それでも下部チャレンジトーナメントをメインに戦うチャンスを得ると、2016年には平和PGMチャレンジ2で、久しぶりの優勝争いを見せます。そして、2017年5月、ミズノオープンでプロ転向後2試合目のレギュラーツアーに姿を見せました。かつての面影を残しながらも26歳の大人として、再びスポットライトを浴びる日へ向けて努力を続けています。


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