入来智について

名前 入来智
生年月日 1967年6月3日
日本
出身 宮崎県都城市
プロフィール 高3の時甲子園に出場。三菱自工水島を経て、平成2年ドラフト6位で近鉄に入団。8年広島の吉本亮とトレード。9年近鉄に戻る。11年弟の在籍する巨人に移籍。12年自由契約となり、13年ヤクルトにテスト入団。同年7月オールスター戦に弟・祐作(巨人)と兄弟出場し、話題となる。100キロに満たないスローカーブが武器。178センチ、80キロ。右投右打

即戦力投手として近鉄に入団

入来智が生まれ育ったのは宮崎県都城市。小学4年生のころから野球を始めると地肩の強さと度胸を見込まれ投手として起用されるとメキメキとその才能を伸ばしていきました。九州の中でもあまり野球が盛んでない宮崎ではなく、他地区の実力校でレベルの高いところでプレーしたいという思いから、入来は越境進学で甲子園の名門校、鹿児島実業へ進学します。

ここでもエースとして奮闘した入来ですが、残念ながら高校3年間で入来は甲子園へ進むことはできず。最高でもベスト4までと言う結果に終わりました。その後、三菱自動車水島に入社し、体力をつけてプロからも注目される投手になりました。

そうして迎えた89年のドラフト会議。入来は近鉄バファローズから6位指名を受けて入団。この年のドラフト会議では野茂英雄ら好選手が数多く指名されたため入来の指名順位は低いものでしたが、即戦力投手として大いに期待されていました。

ケンカ投法で近鉄投手陣の主軸に

入来智が入団した近鉄バファローズと言うチームはいてまえ猛牛軍団と称されるように男っぽい荒くれ物が多いチームでした。そのため、入来のキャラクターにもピタリとハマり、入来はプロ入り1年目から一軍で登板するように。ルーキーイヤーの90年こそ、わずか7試合にとどまりましたが、年々登板数を増やしていきました。入来の球速は140キロ台後半と当時としては速球派の部類。しかし、これと言った変化球が当時はなかったため、さほど目立った活躍はできませんでした。

しかし、仰木彬監督はそんな入来に特別目をかけていました。と言うのも入来の性格が最大の理由。打者の内角を臆せずに突くことができる上、マウンド上で見せる気迫が圧倒的。野茂や阿波野秀幸といった当時の近鉄投手陣はどちらかと言うとクールなタイプの選手が多かっただけに入来のように闘志むき出しで投げる投手は貴重なもの。いてまえ軍団の名に恥じない入来の気迫はやがて、打者とのケンカをしているかのような熱さに。その闘志をファンはいつしか、「ケンカ投法」と称して入来に注目するようになりました。

そんな入来の登板が増えたのは皮肉にも、仰木監督のラストイヤーとなった93年から。この年に26試合に投げた入来は5勝5敗と先発・中継ぎの谷間を務めた投手としてまずまずの成績を収めました。この後に監督になった鈴木啓示もまた、現役時代は草魂と言うキャッチフレーズで知られる叩き上げの投手。野茂や吉井らが反発した中で、入来は肌があったのか、94年には登板数が倍増。負け越したものの4勝6敗1セーブと一定の成績を残しています。

巻き返しのために巨人へ移籍も…

94年にベストパフォーマンスを挙げた入来智ですが、この年に珍プレーを見せたことでも知られています。それは対オリックス戦。打者が打った強烈なライナーがなんと入来の頭を直撃。のけぞるように倒れた入来を見てだれもが心配しましたが、当の入来は何事もなかったかのようにへっちゃら。その後も続投しているようにこのタフネスぶりが話題になりました。

しかし、翌95年はチームの低迷もあって、ルーキーイヤー以来の勝ち星なしと言う成績に終わりました。荒々しいケンカ投法もこの年は鳴りを潜めたばかりか、激しいインコース攻めに激怒した外国人選手と乱闘騒ぎを起こしたことくらいしかハイライトがありませんでした。ちなみにこの時も入来は逃げずに向かい撃ちましたが、相手のピート・インカビリアに見事に張り倒されてしまうという結果に終わります。

成績不振が災いしたわけではないでしょうが、入来はこの年のオフにトレードで広島カープへ移籍。心機一転を図りましたが、登板はわずか6試合のみ。結果的にこの年のオフにはまたも近鉄へと逆戻りとなりました。

入来はこの頃から不振で、近鉄移籍後も今一つの成績となり、98年オフには自由契約に。99年に入来は巨人へ移籍、弟の入来祐作とともにチームメイトになります。巨人史上初となる兄弟選手となりましたが、弟とは異なり、入来は00年オフに戦力外通告を受けてしまいます。

古巣に恩返しをして日本一に

現役引退もちらついた入来智ですが、再起すべく、移籍の道を選びます。そんな入来を迎え入れたのはヤクルトスワローズ。野村克也が監督を務めていた当時は戦力外通告を受けた選手が復活することで「再生工場」という異名を取りましたが、監督が交代した後もそうした傾向は続きました。そしてここで入来は復活。先発投手として打たせて取るピッチングを確立し、自身初の10勝を挙げてチームの日本一に大きく貢献します。さらにオールスターでは入来祐作との兄弟で選出、史上初となる兄弟リレーも実現させました。

ちなみにヤクルトがこの年に日本シリーズで対戦したのは近鉄バファローズ。古巣に恩返しをするなどまさに最高のシーズンを迎えました。

ところが、これが入来の最後の輝きになりました。02年にヤクルトを自由契約になり、03ンには韓国の斗山ベアーズへ移籍。翌04年に台湾のラミゴモンキーズというチームへ移籍して、とうとう現役を引退。14年のプロ野球生活にピリオドを打ちました。

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