名前 | 南雄太(ミナミユウタ) |
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生年月日 | 1979年9月30日 |
国 | 日本 |
出身 | 神奈川県川崎市 |
プロフィール | 幼稚園時代からサッカーを始め、宝陽幼稚園サッカー部、武蔵丘FCと渡り歩き、宮前中学時代は読売クラブに所属。
1995年静岡学園高に進学、1年からレギュラーとなり、同年度全国優勝に貢献。1996年度大会ではベスト4。1995、1996年日本選抜、1996、1997年度国体選抜に選ばれ優勝。1997年、U-20に飛び級で選出されて、FIFAワールドユース選手権ベスト8に貢献。 1998年柏レイソルに入団。1999年U-20代表としてFIFAワールドユース選手権準優勝に貢献。以後、世代別代表に選出されなくなるも、レイソルではレギュラーの座を磐石とする。2001年にはフェアプレー個人賞を受賞。 2005年、入れ替え戦に破れJ2降格。翌年J2で2位を確保し、1年でJ1復帰。2008年、菅野孝憲の台頭でレギュラーを奪われる。2009年、チームが再びJ2降格し、同年オフに戦力外通告。 2010年から、J2のロアッソ熊本へ移籍。即レギュラーを奪い、2年目からはキャプテンに就任。2013年オフ退団。2014年、横浜FCに移籍。年齢を感じさせないプレーで、プロ20年目の2017年も現役選手を続ける。 静岡学園高卒、185センチ、75キロ。 |
静岡学園の初優勝に貢献し、飛び級でU-20日本代表にも選出
南雄太は、神奈川県川崎市で生まれ、東京都杉並区で育ちます。幼い頃からサッカーを始め、宝陽幼稚園サッカー部から武蔵丘FCという、ヴェルディで活躍した山田卓也と同じ経歴を歩みました。中学時代は、読売ジュニアユースに所属してGKに転向し、静岡の名門・静岡学園高校に進学します。同校には、昔から1年生を積極的に起用する大胆采配を振るう井田勝通監督がおり、1年生GKだった南もレギュラーに大抜擢されました。
1995年、全国高校サッカー選手権に出場すると静岡学園として初の全国制覇を成し遂げます。翌1996年も全国ベスト4を達成しましたが、初戦(2回戦)では劣勢時にバックを2人にして攻撃に転ずる大胆采配で逆転勝利するという、GK南を信頼しての作戦も披露しました。1996年から2年連続で国体優勝するなど、その実力は評価されており、高校3年生時代にU-20日本代表に選出されます。飛び級で参加したにもかかわらず、主力として活躍してベスト8進出を達成しました。
世代別代表から遠ざかるも、柏レイソルの正GKとして君臨
1998年、Jリーグ昇格して4年目を迎える柏レイソルに入団します。同年から西野朗新監督が着任しましたが、前年までのレギュラー土肥洋一に代わって南雄太を正GKに指名しました。継続してU-20日本代表としても選出されると、1999年には2大会連続でFIFAワールドユース選手権大会に出場します。他メンバーには、小野伸二、本山雅志、高原直泰、稲本潤一、遠藤保仁ら後の日本A代表とともに、FIFA国際大会として初の決勝新進出という偉業を達成しました。
そのまま世代別代表として、シドニー五輪出場を目指しましたが、同級生のライバル曽ヶ端準に正GKの座を奪われます。1999年には、レイソルとして初のタイトルであるナビスコカップ優勝を成し遂げましたが、同大会の出番は吉田宗弘に奪われていました。
2001年からはリーグ戦のほとんどに出場する完全なレギュラーとして定着します。同年には、プロ入り以来一度も警告を受けていないことが評価されて、フェアプレー個人賞を受賞しました。しかし、チームは、西野監督が2001年の1stステージ終了後に解任されると、どんどん順位を落としていきます。2004年には、初の年間最下位に転落するも、J1J2入れ替え戦に勝利して、何とかJ1残留を確定させました。
レイソルの顔として奮闘するも、2度のJ2降格で戦力外通告
2005年も低迷から脱せず、2年連続の入れ替え戦を戦うことになります。すると同年のJ2を3位で終わったヴァンフォーレ甲府に、2戦2敗で合計8失点という屈辱を味わい、J2降格となりました。キャプテンの明神智和を始め、多くの主力選手がチームを去る中、南雄太は残留し新キャプテンに就任します。さらにかつてのエース北嶋秀朗を4年ぶりに復帰させて、1年でのJ1復帰を目指しました。
J1よりも過酷な日程となるなか、リーグ戦48試合中45試合に出場してチームを牽引します。後半、調子を落として3位に転落しましたが、最終節で勝利し自動昇格となる2位で目標を達成しました。2年ぶりのJ1舞台でも、チーム最年長・南雄太を中心に守備を固めて8位と意地を見せます。2008年は菅野孝憲の加入もあってGK4人体制という厳しい競争となり、南は第2GKに降格しました。以後、精神的支柱として奮闘しましたが、再びチームに危機が訪れます。2009年は18チーム中の16位でJ2降格が決定し、そのオフには経費削減の目的もあって戦力外通告を受けました。
ロアッソ熊本では、在籍4年間で3度のリーグ戦全試合出場
当時30歳で現役バリバリの南雄太には、J1クラブ含めて多くの獲得オファーが舞い込みます。しかし、自身に最も早くオファー出したJ2のロアッソ熊本を新天地に選びました。2007年にJFL2位を確保し、翌年からJ2に昇格したチームに入団すると、移籍1年目からレギュラーを奪いました。一昨年の12位から、前年14位と順位を落としていたため、10位目標として臨んだシーズンでしたが、開幕から好調を維持して上位に進出します。南は、同年自身初となるリーグ戦、天皇杯など公式戦全試合フル出場してチームを支え、過去最高の7位でシーズンを終えました。
2年目からはキャプテンに就任し、2年連続リーグ戦全試合フル出場を達成、4年目もリーグ戦全試合出場するなど熊本のゴールマウスを守り続けます。しかし、移籍初年度の7位以降は、11位、14位、19位と毎年順位を下げ続けてしまい、2013年限りでチームを退団しました。
プロ生活20年目となっても、横浜FCの現役選手としてプレー
2014年から、自身3チーム目となる横浜FCへ移籍すると、39試合に出場してレギュラーとなります。翌2015年には、リーグ戦フル出場と年齢を感じさせないプレーを披露しました。2016年は23試合に減らしましたが、翌年の契約更新を勝ち取り、経験豊富な守護神としてチームに貢献します。プロ20年目の2017年、開幕戦に出場するもその後負傷しピッチから遠ざかっています。それでも、自分より一回り以上も年下の高丘陽平をサポートしています。