小比類巻貴之について

名前 小比類巻貴之
生年月日 1977年11月7日
日本
出身 青森県三沢市
プロフィール 14歳から極真空手、18歳からキックボクシングを始める。平成11年J−NETWORKからチームドラゴンに移籍。同年K−1デビューし、12年ISKA世界スーパーウエルター級王者となる。180センチ、69.9キロ

極真空手からキックボクサーへ

後にキックボクシングの世界で名を残すことになる小比類巻貴之ですが、最初に始めた格闘技は極真空手でした。14歳から初めてこの競技にのめり込んだ小比類巻は間もなく実力をつけていきました。小比類巻の通っていた教室の師匠はとにかく豪快な方で、また先輩の道場製たちも個性あふれる方ばかり。その中で己を磨いていった小比類巻は15歳にして早くものちのK-1を想起させるような出来事を経験しました。

その出来事とはアメリカ軍との異種格闘技大会。米軍の基地内で行われていた大会を見学していた小比類巻はひょんな成り行きから日本代表の選手として出場することになりました。小比類巻曰く、これが自身の初の対外試合になったそうです。このトーナメント大会で小比類巻は決勝まで残り、その決勝戦でも競り勝って優勝。いきなりその実力を見せつけました。

これで自信を付けた小比類巻はその後極真空手の青森県大会優勝、東北大会も制して全国大会に出場するなどの成績を収めるようになりました。しかし、17歳のころ、小比類巻は極真空手の道を離れます。その理由として挙がったのが「極真空手にはプロがない」こと。つまり、この頃からプロの格闘家として生きていくことを決めていた小比類巻はプロが確立されていたキックボクシングの世界を目指し、18歳にしてキックボクサーへの転身を図りました。

チームドラゴンを結成。押しも押されぬスターに

極真空手からキックボクサーへの転身を図った小比類巻貴之。高校卒業と同時にキックボクシングのジムに入るために上京し、約1年間、必死になってトレーニングを積み重ねました。後の小比類巻の異名「ミスターストイック」の通りのハードトレーニングの成果もあって、翌年にはプロテストに合格。念願のキックボクサーとしてのデビューの切符を掴みました。

そうして迎えた97年1月、小比類巻は全日本キックボクシング連盟の興行試合でアクティブJに所属して、プロデビュー。箱崎雄三選手からKO勝ちを収めるという幸先のいいスタートを切りました。その後、10月に5戦5勝で全日本ウェルター級王者を破るという快挙を達成し、超新星として注目されます。ちなみにこの勝利の中には後にK-1などで熱戦を繰り広げた魔裟斗から挙げた白星も含まれています。

押しも押されぬスター選手になった小比類巻ですが、所属していたアクティブJが連盟を脱退。そのため、小比類巻は新団体のJ-NETWORKに所属することになりますが、その初戦で小比類巻は初のKO負けを喫してしまいました。その後復調した小比類巻ですが、99年の8月にはJ-NETWORKを退団し、フリーに転向。前田憲作らとともにチームドラゴンを結成し、チームアンディとともに練習をするようになりました。

日本トーナメントで史上最多勝を記録

キックボクサーとして知られる存在になった小比類巻貴之ですが、チームドラゴンとして初の大きな大会となったのが99年に行われたK-1 GRAND PRIX99。開幕戦で小比類巻は朴英樹と対戦してドローという静かな船出でした。しかし、翌年のラモン・デッカーとの一戦でTKO勝ちを収め、「地獄の風車」と恐れられたデッカーを日本人で初めて破った男として知られるようになりました。

そしてこの年、小比類巻はアンディ・フグが自身の郷里であるK-1 FIGHT NIGHT 2000にも参戦、さらにK-1 WORLD MAX開幕戦となるK-1 J・MAXのメインイベントでニール・ウッズと対戦した小比類巻はこの試合を快勝。これにより、ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座を獲得するなどの好成績を収めました。

02年には小比類巻はK-1 WORLD MAX2002の日本代表決定トーナメントで魔裟斗に次ぐ準優勝。これをキッカケに黒崎健時に師事して黒崎道場に所属するように。数々の荒業をストイックにこなしていった小比類巻はいつしかミスターストイックと称されるようになり、強靭な肉体を自分のものとしました。鍛えぬいた身体を武器にした小比類巻は04年にK-1 WORLD MAX2004の日本代表決定トーナメントで優勝、世界一決定トーナメントではベスト4にまで残りました。

このK-1 WORLD MAXの日本代表決定トーナメントはこの年を皮切りに小比類巻は翌年も連覇。しかしこの頃から故障に見舞われることが増えた小比類巻は07年はアンディ・オロゴンに完敗。前年より痛めていた左足首の治療に入るため、8ヵ月もの休養を取ることになりました。

東北復興のために現役復帰を決意

故障明けの小比類巻貴之でしたが、この頃からかつてのような活躍を見せることは激減。刺激を与える意味で小比類巻は、リングネームを本名の小比類巻貴之から小比類巻太信に変更。しかし、その後に行われた復帰戦では1回戦でまさかのKO負けを喫しました。

もう後がないという状態で迎えた098年。K-1 WORLD MAXの日本トーナメントで今度はアンディ・オロゴンに雪辱を果たしたとともに、数々の強敵を打ち崩して判定勝ちで優勝。日本トーナメント史上最多となる3勝を挙げ、その実力を示しました。

その後の小比類巻は後進に道を譲ることも考え、10年に一度現役引退を発表。しかし、11年の東日本大震災以降は東北復興のためにも尽力したいとばかりに被災地の復興活動や協力活動に精を出すようになりました。

そして12年からは総合格闘家として現役復帰、14年までリングに上り続けました。


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