加藤徹について

名前 加藤徹
生年月日 1967年3月5日
日本
出身 北海道室蘭市
プロフィール 平成4年日産サニー札幌野球部の休部を機に新日鉄室蘭硬式野球部に移籍。サード、キャプテンとして活躍したが、6年休部が決まり、同好会として室蘭シャークスを結成、内野手兼初代監督に。同年日本選手権北海道予選に出場。175センチ、75キロ。右投右打

無名のままで終わった高校時代

加藤徹が生まれ育ったのは北海道室蘭市。決して野球が盛んな地域ではありませんでしたが、加藤は幼少期より野球に熱中。次第にその思いは高校野球にまで結びつきます。しかし、この頃の北海道の高校野球は全国的には弱小の部類。最大の原因となっていたのは北海道の気候で、11月頃から雪解けする4月頃まで外での練習が一切できないというのが何よりの痛手となっていました。

そのため、加藤をはじめとした高校球児たちは冬の間は室内での練習を強いられるわけですが、室内練習場で行える練習には限界があり、そもそもちゃんとした室内練習場を構えている学校自体も少数派。そのため、加藤の世代の北海道の球児たちは軒並みイマイチな成績に終わっています。

加藤の世代はくしくもKK世代と同じ時期ということもあり、甲子園が今以上に注目されている時期でしたが、加藤もまた、清原和博や桑田真澄と言ったPL学園や他校の試合をテレビで見るに過ぎませんでした。当然、北海道の田舎町の高校、それも甲子園はおろか全国大会にすら出場したことのないチームの選手にスカウトは誰一人来ませんでした。

そのため、加藤は高校を卒業すると、地元である道都大学へ進学。そこでも野球部員としてプレーを続けました。

日産サニー札幌に入社もバブルで崩壊

加藤徹が進学したのは道都大学。北海道の硬式野球部としては強豪チームとして知られていました。加藤が在学していた88年には春季リーグで優勝し、全日本大学野球選手権大会に出場と言う輝かしい実績を残しました。この頃の道都大学を支えた選手として知られているのが石川晃ら、後のプロ野球選手らが多く輩出されています

この環境でプレーした加藤は持ち前のサードの守備が向上し、チームになくてはならない存在になっていきました。そして大学卒業後に加藤は日産サニー札幌へ入社します。

現在ではあまり知られていませんが、この頃の北海道の社会人野球チームは最盛期を迎え、その中の一つとなっていたのが日産でした。販売店のサニー札幌に野球部を創設し、73年から北海道地区連盟に加入。間もなく金属バットの導入もあってチームはメキメキと上昇を続けていきました。

ちなみに北海道の社会人野球出身選手と言えば、若松勉や鈴木貴久といった好打の外野手が多い一方で、島崎毅のような即戦力投手もいたりと、プロからも注目をされるチームが多数いました。その中の一つのチームである日産サニー札幌に入った加藤はすぐにサードのレギュラーに定着します。

しかし、加藤が入社した当時バブル最盛期だった日本経済でしたが間もなくそのバブルは崩壊。資金力のないチームは次第に解散に追い込まれていき、加藤のいた日産サニー札幌も例外ではありませんでした。キャプテンを務めるまでに成長していた加藤ですが、92年にその日産サニー札幌も解散が決定。加藤は野球のできる環境を失うことになりました。

実業団チームからクラブチームを創設

社会人野球からも遠ざかることになった加藤徹ですが、その才能を惜しんだのは他の実業団チーム。その中で加藤は新日鉄室蘭に請われる形で入社し、再スタートを切ることになりました。

新日鉄室蘭は39年に創設された歴史のある社会人チームで、都市対抗野球大会に出場経験のある北海道の社会人野球チームの中でも屈指の強豪チームでした。そこでも加藤の実力は抜けていて、すぐさまサードのレギュラーに君臨。そしてキャプテンを務めるようになりました。

しかし、長引く不況は新日鉄室蘭の主軸である鉄銅の不況にもつながってきます。次第に新日鉄室蘭も業績不振が続き、野球部にかけられるコストが減っていきました。そのため94年にチームの休部が決定。加藤が来てわずか2年のことでした。

打ちひしがれるかのような思いだった加藤でしたが、加藤はめげずに新チーム立ち上げのための有志を発足します。会社所属チームではないクラブチームの創設を目指し、翌95年に市民クラブである室蘭シャークスを誕生させます。加藤はこのチームでもサードを守りましたが、同時に兼任監督としての地位も与えられます。キャプテンシーにあふれる加藤には最適な職で、加藤はさらに飛躍。翌96年になると日本選手権に初出場を飾る強豪チームになり、さらに01年には都市対抗野球に初出場するなど、名実ともに強豪クラブチームの仲間入りを果たしました。

監督として、プロ野球選手も育て上げる

加藤徹はその後、選手としては引退し、監督としてチームを見るようになります。
室蘭シャークスとして瀬川隼郎が14年のドラフト会議で地元北海道日本ハムファイターズにドラフト指名されるなど、プロ野球選手の育成をはじめ、元プロ野球選手の雇用も積極的に行いました。北海道の文化となっていた実業団チームの灯を消さない加藤の活躍に、今後も期待が集まっているといっても過言ではないでしょう。


VictorySportsNews編集部