岡山一成について
名前 | 岡山一成 |
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生年月日 | 1978年4月24日 |
国 | 日本 |
出身 | 大阪府堺市 |
プロフィール | 堺市の新桧台小学校2年からサッカーを始め、初芝橋本高校2年の時、高校選手権ベスト4。韓国Kリーグの韓国国民銀行、油公の練習生を経て、平成9年8月横浜マリノス(現・横浜Fマリノス)のテストに合格、契約。Jリーグ第4〜第14節マリノスの新記録となる11連勝に貢献。11年J2の大宮アルディージャにレンタル移籍。12年復帰。13年セレッソ大阪に移籍。184センチ、70キロ
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テレビ番組を介してJリーガーに!
岡山一成がサッカーを始めたのは兄の影響でした。地元の少年団に参加していた岡山はここでサッカーを始めると持ち前のスピードとファイト溢れるプレーでグングンと成長していきました。そうして高校生になると岡山は高校サッカーの強豪校である初芝橋本高校へ進学。ここでもフォワードとしてプレーするようになります。
このチームには1年上に吉原宏太が在籍。岡山は吉原との2トップを組む形でチームを勝利に導いていき、2年生のころには全国高校サッカー選手権大会でベスト4に入る原動力に。岡山自体も優秀選手に選出されました。さらに翌年もこの大会には出場しましたが、中村俊輔率いる桐光学園に敗れて、2回戦で姿を消してしまいました。
高校卒業後の岡山はプロ入りを希望していましたが、2回戦負けが響いたのか各クラブからの誘いはなし。窮地に追い込まれた岡山は韓国の社会人チームである韓国国民銀行、油公らの練習生になりチャンスをうかがいます。
さらに岡山が個性的だったのはテレビ番組への出演でした。当時テレビ東京で放送していた「ASAYAN」という番組内の企画「Jリーガーオーディション」に積極的に参加。これで注目を集めた岡山は横浜マリノスから声を賭けられて入団することに。くしくも全国高校サッカー選手権大会で2回戦負けした桐光学園の中村俊輔とチームメイトになりました。
横浜では出場機会に恵まれず
紆余曲折を経てJリーガーになった岡山一成。サッカーをしたいという思いが強烈だったこともあってか、マリノスでデビューした97年は3戦連続でゴールを決めるという大活躍。荒々しいプレースタイルでサポーターを沸かせましたが、当時のマリノスは選手の層が非常に厚く、間もなく岡山の出場機会は限られるように。そのため、出場機会を求めた岡山は99年のシーズン途中にJ2にいた大宮アルディージャへレンタル移籍を果たします。
大宮の長身フォワード、ヨルン・ブーレの故障後ということもあり、岡山はストライカーとして多大な期待を集めましたが、6試合で1得点しか挙げられず今一つな成績に。00年にはマリノスへ再度復帰しますが、岡山はストライカーとしてではなく、ディフェンダーへのコンバートを提案されます。当初はこのコンバートになじめず、01年にはセレッソ大阪に移籍。地元大阪に戻ったことで甦るかと思われましたが、今一つ振るわずにシーズン終了後には解雇されてしまいました。
岡山劇場開場。3年連続J1昇格に貢献
窮地に追い込まれた岡山一成ですが、転機となったのは02年。川崎フロンターレに移籍したことでした。岡山の明るいキャラクターを見た石崎信弘監督が直々に誘い、クラブに加入すると、岡山は華麗に復活。長らく出場機会に飢えていた選手だけに試合に出続けることが彼のパワーに。この年は自己最多となる37試合に出場して、一気にチームの顔になりました。
そしてこの頃からサポーターの間ではおなじみの「岡山劇場」が始まります。元は試合終了後に岡山がマイクパフォーマンスをすることだったのですが、回を追うごとに徐々に派手になっていき、最終的にはサポーターが持っていた太鼓を奪って自分のコールを強要したり、活躍した選手をお立ち台に挙げてパフォーマンスをさせたりするように。
岡山の明るい性格がサポーターに徐々に浸透し、またチームメイトからも好かれるようになり、いつしか川崎サポーターは岡山を愛するように。もちろん、岡山はプレーの面でも大きく貢献し、04年にはフロンターレを念願のJ1昇格に導く大活躍を収めました。
このJ1昇格を置き土産として、岡山はアビスパ福岡へとレンタル移籍。ここではフォワードとして活躍し福岡をJ1へ昇格させましたが、フォワードに戻ったことで過激なプレーが復活してファー府が増えてしまいました。さらに川崎時代に人気を博した岡山劇場が福岡のサポーターには受け入れられず、終いにはサポーターともめ事を起こす始末に。これもあって06年には柏レイソルへレンタル移籍します。
柏はこの年から岡山の恩師とも言える石崎が監督に就任。ディフェンダーとしてチームに貢献した岡山はディフェンダーでありながら10得点をマークするという大活躍。派手な岡山劇場も復活し、柏のサポーターからは「柏に家買っちゃえ!」とコールされるように。日本で最もピッチと観客席が近い柏のホームはまさに岡山劇場に最適だったと言えるでしょう。
その岡山の活躍もあって、柏はこの年J1昇格。3年連続でJ2クラブをJ1に押し上げたことで岡山はいつしか「J1昇格請負人」と称されるようになりました。
チームを転々としながらも岡山劇場は健在
柏レイソルの顔になりつつあった岡山一成は07年、柏に完全移籍。しかし、岡山と同じディフェンダーの古賀正紘の加入で出場機会が減ると、石崎信弘監督の勧めもあって、8月にベカルタ仙台へレンタル移籍。4度目となるJ2クラブのJ1昇格を目指すことになりました。
結果的に仙台のJ1昇格はなりませんでしたが、岡山劇場をはじめとしたパフォーマンス、そして選手たちのムードメーカーになるなど、出場試合自体は少ないもののチームに無形の財産をもたらした功労者に。完全移籍を果たした08年は前半に出場機会に恵まれ、センターバックとしてプレーしますが、次第に出場機会を失い、この年のオフに戦力外通告を受けて退団します。
その後の岡山の足取りはと言うと09年は7月まで無所属となったものの、間もなく韓国の浦項スティーラーズに入団して10年までプレー。そして11年の6月からはコンサドーレ札幌でプレーして、13年からは奈良クラブに在籍と国も場所も問わずにサッカーを続け、明るいマイクパフォーマンスとともに今もなお、岡山は現役を続けています。