構成・文/キビタ キビオ 写真/下田直樹
複数年契約に「マイナスのインセンティブ」があってもいいんじゃない?
──プロ野球はオフのストーブリーグの季節になりました。各チームの戦力補強を大きく左右するのはフリーエージェント制度(FA)です。今年も糸井嘉男、岸孝之、陽岱鋼といった大物選手が宣言して、各球団で争奪戦になっています。
中畑 FA制度は、元はといえばオレが動いてできた制度なんだぞ。わかっている?
──はい! 労働組合日本プロ野球選手会の初代会長だった中畑さんが先頭に立って経営者サイドと粘り強く交渉を続け、最終的には1992年に念願かなって導入されました。それから20年以上が過ぎましたが、現在のFAについてなにか感じるところはありますか?
中畑 ひとつ引っかかっているのは、複数年契約だな。日本のプロ野球の世界にとって、果たしていいことなのかどうか。最近の状況を見ていると、少し考えさせられるんだ。
──単年契約の選手と比べて安心してしまうせいか、途中の年度の成績が振るわなくなるとか……?
中畑 うん。「はじめチョロチョロ、なかパッパ」ではないけど、3年や4年の複数年契約をした選手は、間のシーズンにそれほどいい仕事をしていないんだよ。契約最終年だけ一生懸命やって新しい契約をしてもらえばOK……という傾向にはなってほしくないな。
──確かにそうですね。
中畑 複数年契約するのはいいとしても、単年ごとの見直し方をもっと厳しくして、契約内容を年ごとに変えていくようなやり方はないものかな?
──所定の数字をクリアしたらボーナスが上積みされるインセンティブ契約については、かなり細かくしている選手が多いですようですね。
中畑 そういうことではなくてさ。契約の内容に緊張感があってほしいんだよ。インセンティブって、プラスになるいい話ばかりだろ? それだけではなくて、成績が悪かったら逆に下がることも加味される契約を考えていいんじゃないかと思う。選手が幸せになるだろうと思って一生懸命交渉して勝ち取った制度だけど、甘えが出ることで中途半端な成績になることは許してはいけないよ。いまのところは全体的にうまく機能しているけれども、「年俸は高騰しているのに成績が伴わない選手ばかり。FA制度って良くないね」と言われるような結果になるのはオレも嫌だからな。選手に嫌われてもいいから、そういう防御策は必要かもしれないな。
FA制度導入に情熱を注いだきっかけは「清原の涙」だった

──「年俸が高騰する」という話がいま出ましたが、それは導入前からメジャーリーグの事例で予想されていたことですよね。
中畑 だってさ。選手の年俸を上げたいから要求した制度なんだから、それはそうだよ。プロ野球選手は夢を売る商売。他のプロスポーツとは比べものにならないほどの報酬額になって、国内のスポーツ選手の水準をリードしていくポジションを築かなくてはいけない! そういう理念が当時あったんだ。だから、金額が上がっていくことは悪いことではないよ。問題はそれに見合ったプレーをしてほしいということ。「あの選手になら、いくら払ってもいい」というくらいになったうえで自分の権利を主張するならいいんだけど。「権利を主張するだけで中身が薄い」なんて言われるのはね。オレが言いたいのはそこだよ!
──しっかりしている選手は、1年ごとに勝負する姿勢を持ち続けるために、あえて単年契約をするケースもありますよね。選手の立場としては、やはり複数年契約を結ぶと安心して気持ちが緩むものですか?
中畑 そんなの、わかんないよ。オレだって経験ないもん(笑)。でも、そういう傾向はあるよな。
──そもそも、労働組合の日本プロ野球選手会発足後、FA制度導入の交渉を割と早い段階からスタートさせた理由というのは?
中畑 ドラフト制度がある以上、FA制度も一緒にあるべきだと思ったからさ。清原(和博)の涙があっただろう?
──1985年秋のドラフト会議のときですね。巨人入りを熱望していながら巨人は入札をせず、PL学園のチームメイトで早稲田大学への進学を表明していた桑田真澄さんを1位指名。清原さんは抽選の末に西武が交渉権を獲得しました。会議直後に涙を浮かべながら呆然と記者会見に対応するシーンは、いまだに語り草です。
中畑 あれが「FA制度を日本でも導入しよう」と、オレが思った一番の要因なんだ。ただ、その後、逆指名制度が導入されたりしてルールが右往左往した時期もあった。そういった状況を乗り越えて現在に至ったわけだけれども、そろそろ、再び原点に回帰して見直す必要があるのかもしれない。
──具体的にはどういった案が考えられますか?
中畑 ドラフト1位も、2位以下と同じように前年最下位のチームから指名する、完全ウェーバー制にするとかな。
──そして、その分FAの資格取得年数を、現在の9年(国内FAは8年)よりさらに短くする。
中畑 そう、そう! そういうやり方も考える余地があるのかもしれない、という気がするんだよ。ただ、「1位の抽選がないと面白くない」という意見も当然出るだろう。プロ野球の営業的にもマイナスになりかねない(笑)。いまは他球団が競合して抽選するところをテレビ中継する形がベターだという考えでやっているから。見直すことでプラスになること、マイナスになることが出るのは仕方がないけれど、その都度検討していくのはいいことなんじゃないかな。
──時代に合わせてマイナーチェンジしていけばいいですよね。
中畑 そういうことだよ! 固定観念を持ちすぎないようにしてな。コリジョンルールなんかもそうじゃない? 最初の段階では野球をつまらなくしているところが多分にあった。だから、それもシーズン中に修正したわけだし、引き続き来季に向けてしっかり話し合いをしながらさらにいい方向に持っていけばいい。ビデオ判定も、導入基準をもっと細かいところまで取り決めしないと、審判の存在感がまったくなくなってしまう。話はFAから少し逸れるけど、ホームベース上でのクロスプレーは、緊張感があってこそファインプレーが生まれるものだから。

──FA制度導入の交渉をしていた当時のことで、強く記憶に残っているのはどんなことがありますか。
中畑 経営者サイドからは、「(年俸が高騰し過ぎて)とんでもない世界になるよ」と言われたりして不安視されたけど、オレたちは夢のある世界を作るべきだという熱い気持ちで臨んだということだな。1億円プレイヤーが出現したのだって、遅すぎたくらいだった。
──はじめて1億円に達したのは、落合博満さんが1986年オフに4対1の電撃トレードでロッテから中日に移籍したときでしたね。
中畑 そうだったな。そして、FA制度が導入されれば、日本のプロ野球の地位をもっともっと高めてくれるのではないか? という期待感を持って取り組んでいた。結局、正式導入は1992年までかかってしまったけれど、FA制度によってプロ野球は魅力ある世界になったと思う。1億どころか数億円もらうプレイヤーがいる世界になってくれたんだから。
──確かに、それ以前の球団と選手の関係というのは、契約上は1対1のはずなのに、長い間、球団の手駒のような扱いを受けていました。それが、選手会の交渉によって年々改善され、いまでは対等に近い関係に近づいたと思います。
中畑 とはいっても、いまだってFAを宣言して自由に移籍できる選手なんて、ほんのひと握りだよ。レギュラーのなかでも球界を代表するようなトップクラスだけ。それ以外の選手は「おこがましい」と言って自重してしまうこともよくある。
──「外の評価を知りたい」とFA宣言したけれど、どこからも連絡がなくて途方に暮れる、というケースもありますね。
中畑 ただ、今季については、中日の大島(洋平)や平田(良介)あたりは、FA宣言をする雰囲気を出しながら球団の評価を変えていって、より良い形で納得のいく契約を勝ちとったうえで、居心地のいい元のチームに残れた。それは、FA制度があってこそだろう。制度をうまく生かした残留だったと思うよ。
──「FAを行使して、元々の球団とより良い契約にしたうえで残留」をしたくても、球団ににらみをきかされてそれすらできない。そんな時期もありましたよね。
中畑 そうだよ、本当。「宣言してクビを切られたら終わりだから……」なんて言ってな。そういうことから守るために、オレは選手会の組合を作ったんだからさ。「そんなことをしたら、選手会が対応する。バックアップするから」というふうにしたんだよ。いまでは、そういう形がほぼ固まりつつある。野球界も変わってきたと思うよ。
──FAは制度としては順調。しかし、原点は見失ってはいけない、ということですね。
中畑 そういうこと! FAの恩恵を受けた選手は決して甘えず、いままで以上のプレーを提供してほしい。「そういう責任があるんだぞ!」と肝に銘じて、より一層、頑張ってほしいな。
(プロフィール)
中畑清
1954年、福島県生まれ。駒澤大学を経て1975年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。「絶好調!」をトレードマークとするムードメーカーとして活躍し、安定した打率と勝負強い打撃を誇る三塁手、一塁手として長年主軸を務めた。引退後は解説者、コーチを務め、2012年には横浜DeNAベイスターズの監督に就任。低迷するチームの底上げを図り、2015年前半終了時にはセ・リーグ首位に立つなど奮戦。今季から解説者に復帰した。
キビタ キビオ
1971年、東京都生まれ。30歳を越えてから転職し、ライター&編集者として『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を長年勤め、選手のプレーをストップウオッチで計測して考察する「炎のストップウオッチャー」を連載。現在はフリーとして、雑誌の取材原稿から書籍構成、『球辞苑』(NHK-BS)ほかメディア出演など幅広く活動している。