文/田澤健一郎 写真/榎本壯三
“モテない男”という自覚から 営業部門の改革がスタート
——―チームの事業面についてお話させてください。2016年シーズンのホーム・ゲームの入場者数は205万8321人。前年比で0.4%増ながら、セ・リーグ6球団のなかでは4位でした。
佐々木 全体としてはそうですが、わたしはファンからドラゴンズに支持されている目安はナゴヤドームの1試合平均入場者数だと考えています。2016年の1試合平均入場者数は2万8991人でしたが、地方球場のホーム・ゲームを除いた、ナゴヤドームのみ数字は、最下位という成績にも関わらず3万人を超えました。これは、2011年以来となります。
——―要因はどこにあったのでしょうか。
佐々木 営業部門が、とにかくいろいろんなイベント施策を実行に移してくれまして、そのおかげだと思います。
——―「まずはなんでもやってみよう」という姿勢があったのでしょうか。
佐々木 そうですね。たとえば若い社員のアイデアでも「おもしろそうならやってみよう」という空気がありました。
——―それはいつからですか?
佐々木 取締役営業本部長に壁谷浩和が就いてからでしょう。観戦来場、グッズ販売、テレビ・ラジオ中継、試合というコンテンツの売り出し方。そういった面で、彼の画期的で巧みなリードがあったと思います。
——―壁谷本部長はどのような方なのですか?
佐々木 進取の気性がある人間です。あと温故知新、歴史に詳しい。わたしと同じく、もともと中日新聞の販売部門にいたこともあって、徹底的なお客様目線を球団に植えつけてくれました。
——―かつてはその精神が足りなかった。
佐々木 もちろん、以前の営業部門も一生懸命やってくれていましたよ。ただ、1997年にナゴヤドームがオープンした当初はなにもしなくても大入りが続いて、注文を断るのが営業の仕事みたいな時期が続きました。それにどこかしがみつく、という空気はあったかもしれません。だからでしょうか、壁谷の就任第一声は「ドラゴンズは“モテ男”から“モテない男”になったと認識してほしい」というものでした。
——―さらなる動員アップのためには勝つこと、成績の向上が一番だとは思いますが、営業面ではどのような取り組みが必要と認識されていますか?
佐々木 球場のボール・パーク化、他のプロスポーツとの競争もそうですが、(野球)ビギナー、新たなファンの獲得という意味で、ディズニーランドやUSJといった巨大集客施設をもっと意識する必要はあるでしょうね。名古屋にも、4月にレゴランドができる予定ですし。そのなかで、どう売れる仕組みをつくれるか。
——―ポイントは?
佐々木 マスからマン・ツー。いわゆる、「恋する女はなぜキレイか理論」ですね(笑)。恋する女は好きな男を振り向かせるために、自分を磨くわけです。我々にとって、「好きな男」が「顧客」となります。そのためにはIT部門、情報システムをもっと強化しなければならない。中日球団はそこが遅れていた認識はありますので、人材登用も含めていま、まさにどう力を入れるか検討中です。
——―事業面も改革中であると。
佐々木 中日ドラゴンズのコンテンツ、影響力、ブランド・エクイティをもう一度、整理して考え直す。三角形にすれば「頂点」をより高くし、「底辺」をもっと広げることですね。
——―具体的にどういったことに取り組んでいますか?
佐々木 「頂点」の部分では、たとえばファンクラブの管理。実は、歴史的背景もあってこれまでは中日新聞社が担当していたんです。ファンクラブ会員の募集や維持の一定の部分を新聞の販売店が担っていたこともありまして。それを球団に移管しました。
——―球団ビジネスをより一本化して取り組めそうですね。
佐々木 「底辺」はさきほど申し上げたIT部門の強化ですが、他にもドラゴンズベースボールアカデミー事業があります。野球を通して地域の子どもたちの健全な育成に貢献し、スポーツの振興を図る。愛知県内で6会場4クラス。ドラゴンズOBが子どもたちをマン・ツー・マンで教えます。またアカデミーの対象より下の年代には野球の楽しさを知ってもらうキッズ教室を設けています。
——―将来のスポーツ、野球ファンの掘り起こしにもつながりますね。
佐々木 ええ。スタッフにはドラゴンズの儲けではなく、球界への貢献という意識で取り組んでほしいと伝えてあります。
NPB発足時からの続く球団 伝統を守るためにも常に革新を

——―最後は現場、チームと野球について教えてください。森監督は就任から実に精力的に動かれていますね。
佐々木 現場を預かってチームの指揮をとり、運営していくのは監督。球団は現場の意図を極力、尊重してほしいですね。
——―前編での話にもあった通り、森監督は編成面でもチームづくりの重要なポジションを担っています。
佐々木 森監督は8年連続Aクラス、リーグ優勝4回、日本一1回を記録した落合監督時代の参謀。間違いなく、勝ち方は知っている。「夢よ、もう一度」ですよ。
——―具体的にはどんな野球を期待していますか?
佐々木 ひとつは近年のドラゴンズの伝統である「守り勝つ」野球。さらに点をとるための機動力野球の復活。スローガン通りの原点回帰ですね。
——―森監督といえば投手陣の育成も気になります。
佐々木 投手出身ですからね、投手力強化への意気込みは言外に察知できます。2016年シーズンは防御率トップ10にドラゴンズの投手がひとりも入らなかった。これはドラゴンズとして恥ずかしいこと。また、中継ぎ、抑えについてもしっかりやらなければと森監督は話していました。往年の浅尾(拓也)、岩瀬(仁紀)というような、絶対的な勝利の方程式を復活させたいのでしょう。
——―それもまた「原点回帰」ですね。
佐々木 中日ドラゴンズは昨年、球団創設80周年を迎えました。NPB発足時から続いている球団のひとつとして、地域にも十分、溶け込んでいます。ただ、球団とよき伝統を維持させていくには、なにもしないままではいけません。わたしは球団社長を務めた際、球団スタッフに理念として「ファンに感動を、地域に活力を、球界に新風を」という言葉を掲げました。常に革新の気持ちをもって、100年、200年と、いままで以上のドラゴンズであり続けてほしいですね。
(プロフィール)
佐々木崇夫
1946年、石川県生まれ。1969年に中日新聞社に入社し、販売局へ配属。1998年に東京本社(東京新聞社)販売局へ移り、2005年、中日新聞社取締役販売担当。常務取締役広告担当を経て2013年10月に中日ドラゴンズ代表取締役兼オーナー代行に就任した。2016年2月に退任し、相談役に就任。
田澤健一郎
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て編集・ライターに。主な共著に『永遠の一球』『夢の続き』など。『野球太郎』等、スポーツ、野球関係の雑誌、ムックを多く手がける元・高校球児。