「野球殿堂入りを祝う会」からわずか1カ月……
新人合同自主トレもスタートし、いよいよ2018年、金本タイガース3年目が始まります。どんな1年になるのでしょうね。本年も「虎バカ旬だより」をどうぞよろしくお願いいたします。
返す返すも、星野仙一さんの急逝には驚きました。11月末に東京で、12月頭には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」を開催し、こういう派手なことをやらせると星野さんは絵になるなあ……などと、のんきに報道をながめていましたが、まさかその裏で、明日をも知れぬ病気を抱えていたとは、つゆほども思ってもいませんでした。たくさんの追悼記事を読んで、やっと現実として受け止められるようになってきました。
タイガースファンとして大きな恩を感じ、大いに影響を受けた方でした。
2002年、赤坂プリンスで行われたファンとの交流会(「茶話会」と言っていました)でのことを二つほど、もう少し詳しく書きます。
中日のエース星野は阪神の優勝を願っていた?
一つは、「おい、ミッキー!」と星野さんが呼んだその先にいたのが、かつてのV戦士、平田勝男(現コーチ)さんだったこと。当時、「監督付き広報(球団職員)」として一生懸命立ち働いていました。
私は、平田さんのニックネームが「ミッキー」というのを知らず、思わず星野さんに「どうして平田さんはミッキーなんですか?」と尋ねました。「似てるだろ、『ねずみ男』に」という星野さん。「ゲゲゲのねずみ男→ディズニーのねずみ男」という変化なのだとか。
もう一つは、星野さんに会ったら絶対に訊こうと思っていた質問をぶつけたこと。「ジャイアンツがV9した年、阪神があと一つ勝てば優勝という試合で、星野さんは、なんとか阪神に勝たせようと思いながら投げていたというのは本当ですか?」――これって今思うとかなり際どい質問ですよね。
星野さんは、「阪神に勝たせよう……なんていうことはない。それはプロだからな。ただ、いつものように気合いが入っていたかと言われると、そうでもない」と笑っていました。いや、8年連続日本一とかやられれば、そんな気になったって不思議じゃないでしょう。結局、読売をストップしたのは星野さん擁する中日。その次の年のことでした。
一緒の空間でお茶を飲んだのは、何十分間だったのでしょう。ほんの少しの間でも、私にとっては宝物のような時間でした。
教え子たちが「父親」「オヤジ」と慕う
星野さんはとっても演出が上手、というか、好きな方でしたね。監督インタビューでの言葉の選び方にしても、とにかくプロたるものファンが喜ぶことをやらなきゃ……という感じでした。亡くなった方を悪く言うつもりは毛頭ないのですが、私はときどき「演出過剰だなあ」と、気恥ずかしく感じてしまうことがありました。それは私が素直じゃないからだと思います。でも、それが星野さんらしさ。サービス精神旺盛で、自分の魅力をよくわかっていました。
そして、とにかく力がありました。まず思い浮かぶのは、「気迫」です。グラウンドでの怖い顔。ベンチはいつもピリピリした空気。そして、いつでも抗議に飛び出してやるという構え。ベンチ入り選手全員にもそれを求めていました。戦う集団を作りあげる名人でした。
もう一つの力は、「父性」。それが力かって? 力でしょう、間違いなく。星野さんを惜しむ声を片っ端から読みあさっていますが、心酔する教え子たちは、一様に「父親」「オヤジ」と慕っています。「オレをオヤジだと思え」と言われた人も数多くいるようです。
愛情をもって厳しく叱ってくれる。でもその後で優しい笑顔で諭してくれる。荒れ狂ったかと思えば、直後に「オレのミスだった」と頭を下げる。コーチたちは監督の意を汲んで身を粉にして働き、選手たちはオヤジを胴上げするためならと一丸になる――。
星野仙一の父性をここまで育てたのはなんでしょうか。ひょっとしたら生まれる前に父親を病気で失ったことが、かえって強烈な父性の獲得に繋がったのかもしれません。
おそらくはその父性愛とも深く関係するのだと思いますが、「与える」というのが星野さんのもう一つの力でした。父たるもの、大いに稼ぎ、一家を養わねばなりません。どうにかしてお金を作りだし、それをムダにすることなく、有効に活用する。とくに人への投資が抜群に上手でした。
教え子たちが「オヤジ」の優しさを語る逸話には、ポケットマネーで何かを贈ってくれた、困っていたときに助けてくれたというのがよく出てきます。言葉や態度だけでなく、ドンと気前よく与えてくれる。そのパワーを知り尽くしていたというのも、その生い立ちと無縁ではなさそうです。ニッカンの連載では、星野さんの生い立ちについて詳しく記されています。
お金という「道具」の使い方を熟知
三菱重工水島の工場長だった父親が亡くなり、残された母親は工場の寮母さんになります。そこのコックさんが、星野少年を可愛がってくれました。運動会ともなると豪華三段重のお弁当を持たせてくれて、それを友だちにふるまったというエピソードは、いかにも親分肌の星野さんらしいものです。
どの人に、どんな時に、どのように与えれば、成果に結びつくか。お金という「道具」の使い方がわかっていたから、どんどん回します。最終的に阪神球団、阪神電鉄とギクシャクしたのは、企業の経営方針と相容れないものがあったからでしょう。
お金を回していくという星野さんのパワーは、最終的に日本の野球界をどうやって活性化させていくかに向かうはずだったのでしょう。「パシフィック・リーグ」と「日本一」、星野さんに欠けていた二つを楽天監督として経験し、あとはいかにしてオーナーたちから権限の委譲をとりつけるか……それを算段するタイミングだったと思います。星野さんの政治的・経営的手腕は、「球界活性化」でこそ発揮してほしかった――。
おそらく、星野さんにはその意志も野心もあったでしょう。その行く手は病魔によって妨げられてしまいましたが、比較的若いオーナーたちが立ち上がり、きっとその志を継いでくれるでしょう。「オールドルーキー」の斉藤新コミッショナーもその方向性の人のようです。
伝えられるところでは、ご家族に抱きかかえられながら、昼寝をするように安らかに逝かれたとのことです。最後の最後まで弱みを見せずに星野仙一を演じきり、ど派手な「生前葬」を完了させたことに満足して旅立たれたのだと思います。後は任せたという気持ちだったかもしれません。
「阪神と楽天の日本シリーズを」――星野さんは何度も言っていました。相手のことはともかく、今や阪神の首脳陣となった星野さんの教え子たちは奮い立っているでしょう。