謙虚な姿勢で臨んだバーレーンGP

 「開幕戦の目標は、特にないです。ポイント取れたらいいな、取れるように頑張る、くらい」。文字にすれば少々素っ気ないが、開幕前にオンラインで取材に応じた角田は至って朗らかに語っていた。「今までF1の経験がないので、どういうふうになるのか想像できない。今、僕が持っているものを出し切って、最初からプッシュして、ミスを恐れずにガンガン攻めていけたらいいなと思います」。自然体を心がけ、F1デビューの緊張と不安にうまく対処しようとする姿勢に好印象を受けた。

 バーレーン国際サーキットは、シーズン前の公式テストで全体2番手のタイムをたたき出した相性の良い舞台だ。予選は13位にとどまり、決勝(3月28日)もスタートでホイルがスピンし順位を落としたが、ホンダのパワーユニット(PU)がストレートで高いパフォーマンスを発揮。カーブへの進入では自身の持ち味であるブレーキングでタイムを稼いで徐々にペースを上げた。フェルナンド・アロンソ(アルピーヌ)、セバスチャン・ベッテル(アストンマーティン)、キミ・ライコネン(アルファロメオ)という往年のドライバーズチャンピオンを相次いでかわし、ポイント圏内の10位に浮上。最終周にはランス・ストロール(アストンマーティン)もパスし、9位でチェッカーを受けた。角田は「慎重に行きすぎて1周目に順位を下げたことが残念。レースを通じてリカバーしなければならなかった」と悔やみつつ、「僕にとっては小さいころから見て育った、スーパースターのフェルナンド(アロンソ)をオーバーテイクしたことが感動的な経験だった」と達成感もにじませた。

 若武者の初陣は好評価で迎えられた。アルファタウリのチーム代表、フランツ・トストは「裕毅は本当に素晴らしい仕事をした。1周目を無事に帰ってくることが目標だよと話していたが、きちんとこなした。いくつかの素晴らしいオーバーテイクも見せてくれた」と称賛した。F1のスポーティングディレクターを務める業界の重鎮、ロス・ブラウンもF1公式サイトに掲載したコラムで「彼(角田)はここ数年のF1で最良のルーキーだ。デビュー戦であることを考えれば素晴らしい走り。私たちは満員の鈴鹿のスタンドと日本のファンの情熱を覚えている。(角田の活躍によって)信じがたい興奮を覚える、あの光景を取り戻そうとしている」と賛辞を惜しまなかった。

歴代日本人レーサーの歩み

 2014年に小林可夢偉が所属していたケータハムの経営破綻によってシートを失って以降、日本人ドライバーが不在だったF1。長い空白を埋めた角田は、フルタイムで参戦する日本人として10人目となる。

 過去9人のデビュー戦を振り返れば、先駆者である中嶋悟がロータス・ホンダからデビューした1987年のブラジルGPと、中野信治がプロスト・グランプリから初参戦した1997年のオーストラリアGPでの7位が最高順位だ。だが、当時は入賞が6位以内の規定だったため、2人はポイントを手にしていない。ドライバー9人のうち、F1のキャリアを通じて表彰台に立ったのは1990年日本GPの鈴木亜久里、2004年米国GPの佐藤琢磨、2012年日本GPの小林可夢偉の3人のみ。いずれも3位で、ポディウムの中央は未踏のままだ。

 分厚い壁を打ち破ろうとする角田にとって、有利な材料は20歳という若さにある。4歳でカートを始め、佐藤琢磨を輩出した鈴鹿サーキットレーシングスクールで腕を磨き、16歳でホンダのスカラシップ(奨学金)を獲得。2018年からレッドブル、トロロッソ(現アルファタウリ)の兄弟チームにホンダがPUを供給した縁もあり、レッドブルのジュニアチームに参加した角田は猛烈な速さでF1へ駆け上がった。中嶋悟が34歳、片山右京が28歳、中野信治と佐藤琢磨が25歳でF1にエントリーした経緯とは趣を異にする。

ホンダの“F1撤退”がもたらす変化とは

 一方で、ホンダは昨年10月、F1から2021年シリーズを最後に撤退すると発表している。1964年のF1参入から数度の中断をはさみ、80年代後半から90年代にかけてはアイルトン・セナ、アラン・プロストらを擁したマクラーレン・ホンダとして黄金時代を築いたが、2015年のF1再挑戦からわずか7シーズンでの幕切れとなる。F1撤退の記者会見でホンダの八郷隆弘社長(当時)が「新しいフィールドでの革新に力を注いでいく」と語ったように、ガソリン車に対する環境規制が世界各国で急速に進む中、電気自動車や燃料電池車の開発にリソースを傾ける必要に迫られている。ホンダにとっては、新興国を中心に好調な二輪事業と比較し、収益性が低下している四輪事業の立て直しが急務という台所事情もある。欧州では有力メーカーとの競争で苦戦を強いられるホンダは英国南部スウィンドンの工場を年内に閉鎖する方針で、北米と中国のマーケットに注力していく事業再編もF1撤退の素地になった。

 こうした環境の変化は、F1に何をもたらすのか。角田とともにバーレーンGPでデビューを果たし、16位で完走したミック・シューマッハ(ハース)は、かつて「皇帝」と謳われた名ドライバー、ミハエル・シューマッハの子息だ。同じくデビュー戦のバーレーンで1周目にスピンしレースを終えたニキータ・マゼピン(ハース)も世界最大級の肥料会社ウラルカリ(ロシア)の経営者を父に持つ。こうした特異なバックグラウンドと資金を有するドライバーがひしめく世界に、自動車メーカーのバックアップなくして割って入ることは日本の若者にとってさらなる狭き門になるだろう。そもそも、自動車メーカーにとってエンジン開発とマーケティングの実験場だったF1の価値と存立基盤が揺らぎつつあることは論を俟たない。

ルーキーイヤーに懸ける強い思いと鈴鹿への自信

 話題を角田に戻そう。色白で表情にあどけなさが残る20歳は、ウェイクボードやゴルフといったアウトドアスポーツが趣味。ところが、拠点を置く英国は昨春から新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)に見舞われ、日本にいる友人たちとオンラインゲーム「リーグ・オブ・レジェンド」で対戦するのが唯一の息抜きだったという。サーキットではミスや白熱した場面で思わず叫び声を上げる角田だが、熱くなりやすい性格はゲームでも変わらないことを自覚している。「普段の生活が(レースに)出やすいと思うので、(ゲームが)トレーニングじゃないですけど、直すように普段から心がけています」と話し、周囲の笑いを誘っていた。

 ルーキーイヤーにどんな展望を描いているのか。本人は「今年の目標はポイントをできるだけ取る。その中で、表彰台や優勝はもちろん達成したい。ただ、シーズン序盤から中盤は攻めてミスも経験し、中盤から後半にかけてアダプトして一つにまとめあげられたらいい。誰からも認められて、チームから求められるドライバーになりたい」と熱い思いを心に秘めている。何より楽しみなのは、10月の日本GPだ。「日本のモータースポーツファンの前で走れるのは楽しみ。鈴鹿は死ぬほど走ってきているので、今となっては苦手なコーナーはない。日本人として誇れるドライビングを見せたい」。来季以降を見据え、F1における立場を確固たるものにした角田が鈴鹿へ凱旋する日が待ち遠しい。


大谷津 統一

毎日新聞記者。2016年から東京本社運動部で主にサッカー、ラグビーをカバーしている。FIFAワールドカップロシア2018は現地で21試合を取材。UEFAチャンピオンズリーグや女子W杯の取材経験もある。19年ラグビーW杯日本大会では取材班キャップを務めた。F1、ルマン24時間などモータースポーツの取材経験も多い。慶應義塾大卒。北海道出身。