文=善理俊哉

村田諒太がプロとアマで計算した「所得」

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(写真=2012年の全日本代表メンバー。左から村田諒太、成松大介、須佐勝明、井上尚弥、川内将嗣、鈴木康弘、清水聡)

「1億円もらってもプロに行かないですよ」

 2012年、ロンドン五輪から日本史上48年ぶりのボクシング金メダルを持ち帰った直後の村田諒太の発言だ。それ以前に「アマチュアはプロの下じゃない」など、競技への誇りを口にしていた村田だけに、ポリシー最優先でプロの道を断っているように見えたかもしれない。しかし村田はこの発言の裏で、プロ転向した場合の収入を徹底分析し、こんな助言に従ったとも明かしている。

「このまま生活すれば、おそらく生涯で10億円を計算できる。それ以上の可能性が見いだせなければプロに行かないほうがいい」

 当時の村田は、自身が卒業した東洋大学の職員。村田の進学から就職までは、アマチュアボクシング経験でつかんだといえる。また、「プロの下じゃない」発言は「戦力」を比較して口にしたようでもあった。ロンドン五輪前後におけるアマチュアボクシング界の日本代表クラスは、当時のプロ世界王者たちと比べても、申し分ない戦力を持っていたからだ。

 アマチュアボクシングは、正式にはすでに「ボクシング」と改称し、アマチュアリズム(金銭的な報酬を得ず純粋に競技を楽しむ思想)を放棄して久しい。それ以前でも、昔は多くの大手企業がアマチュアボクシング実業団を有し、社会人選手たちは、所属先の給料のみならず、全国各地に練習相手として招待されることで、事実上のボーナスをもらっていたという。

安定した生活が得られるアマチュアボクシング

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(写真=自衛隊体育学校ボクシング班。自衛隊体育学校は東京都練馬区大泉学園町、埼玉県朝霞市、埼玉県和光市、埼玉県新座市にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地内にある)

 実業団文化は近年にほぼ枯渇したが、1964年東京五輪のためにつくられた自衛隊体育学校のボクシング班は健在だ。入校募集広告によると、所属選手の生涯所得は平均で2億円(55歳の定年退職まで)だそうだ。光熱費や食費、家賃、練習後のボディケアも提供され、さらにJOCの指定強化選手としての費用を選手活動に役立てれば、日本では最も競技に専念できるボクサーになる。もちろん職業柄、命がけで国を守るリスクを背負うが、同校の広報だった佐野伸寿氏は「成績次第で体育学校から一般部隊に行く指示は出ても、解雇されることは基本的にない。清水聡(ロンドン五輪・バンタム級銅メダリスト)も、所得にこだわれば、自衛隊を辞めないことがベストだった」と話す。

 自衛隊以外では、いわゆる「国体要員」として開催県に住み、そのまま就職する選手がいる。国体のボクシング競技実施は、毎年から隔年に変わるという振るいにかけられているものの、例えば学校の教員として採用されれば、いわゆる「一生勝ち組」として、ボクシング指導に臨める可能性が高まるのだ。

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(写真=村田諒太と同期の星大二郎。国体開催地だった和歌山チームに加わるため、同県に移住、就職した)

 以前はプロボクサーになれば、アマに戻ることはほぼ不可能だった。現在は、選手引退後、アマチュアボクシング界で一定期間の貢献をした者には、正式復帰を検討する制度が設けられている。それでも受け皿が小さくなっているのであれば、プロに行かず己の席を早めに確保してしまうことも悪い進路ではあるまい。

 個人事業主的なプロか、サラリーマン的なアマか。実績のあるボクサーは、その進路を双方の特性を冷静にふまえて選ぶべきだ。紆余曲折して、プロに転職した村田のように。

 ちなみにその後の村田は「金は結局ボクシングのモチベーションにはなっていない」とも話しており、彼は金銭で進路を選んだのではなく、何より自分の夢を追う中で、損をしたと思うキャリアをつくらない注意を払っただけかもしれない。

善理俊哉(せり・しゅんや)

著者プロフィール 善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。