文=松原孝臣

2024年夏季五輪開催の立候補から、すでに3都市が辞退

 2月下旬、2024年の夏季五輪開催都市に立候補していたブダペスト(ハンガリー)が辞退した。実は辞退したのはブダペストだけではない。一昨年、ボストン(アメリカ)とハンブルク(ドイツ)が、昨年にはローマ(イタリア)が辞退した。

 これで残った立候補しているのはロサンゼルスとパリのみとなった。開催都市は今秋の国際オリンピック委員会(IOC)総会で決定するが、それを前にして次々に候補がいなくなっていったのである。

 それはオリンピックへの「まなざし」を示している。

 実は、立候補都市が辞退する傾向は今回に限らない。2022年の冬季五輪も、有力視されていた都市が次々に辞退し、最後に残った北京(中国)とアルマトイ(カザフスタン)から北京が選ばれた。このときは最後の辞退となったオスロ(ノルウェー)が取り下げたとき、IOCのスタッフが無念を示すコメントを出したが、いわば消去法のような形で選ぶことになったのである。

 このように、立て続けに立候補都市が次々に辞退していく理由は、住民の反対、つまりは開催の負担の大きさが最大の原因である。

 2022年の冬季五輪は2015年に決定した。その前年にソチ五輪が行なわれたが、莫大な経費がかかったことが伝えられた。

 夏季五輪で言えば、2016年のリオデジャネイロ五輪をめぐる財政不安は開幕前から伝えられていた。大会後には、会場となった各スタジアムが放置され、半ば廃墟と化していると報じられている。

 巨額な負担をどうするのか。会場の後利用をどうすればいいのか。当初は費用も含めコンパクトとされていた2020年の東京五輪でも数々の問題が浮上し、当初の費用を大きく上回ることが確実視されているし、その負担をどうするかも結論は出ていない。

 こうした情勢を見れば、一度は立候補しても、取り下げざるを得なくなるのも無理はないだろう。

先行きは決して楽観的に考えられるものではない

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 負担増大への懸念が増していることに危機感を抱いていたIOCは、2014年末に「アジェンダ2020」を打ち出し、費用が増大した場合、他の都市や他国で開催してもかまわないとするなどした。平昌五輪において、一時、ボブスレー、リュージュの会場として長野が浮上したのもその改革によるものだ。

 また、開催都市への支援金として、IOCは約15億ドルを準備することも決めた。ちなみに2024年以降の話で、東京五輪に対しては準備されない。

 それでも、回避ムードはかわらない。

 そのせいか、2024年に立候補しているパリとロサンゼルスのうち、落選した方を2028年の開催都市にするというプランも検討されていると噂されている。

 たしかに両都市とも、オリンピックを開催する体力のある都市ではあるだろう。早々に決めてしまいたいという考え方も分からないでもない(両都市ともに国の政治的な面で不安要素を抱えてはいるが……)。

 2024年はともかく、先行きは決して楽観的に考えられるものではない。

 やはり五輪開催の負担の大きさから先行きが危ぶまれた時期のあとで行なわれた1984年のロサンゼルス五輪が商業的な成功をおさめ、それをモデルとしつつオリンピックは大会の規模を拡大してきた。

 今はまた新たなモデルを考えなければいけない時期に来ている。

 真の意味で、コンパクトな大会運営が可能になるのかどうか。それがオリンピックの未来を左右する。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。