高梨沙羅の謝罪

 今大会の衝撃的な出来事の一つが、ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で女子選手の失格が相次いだことだった。体のサイズとの比較で定められているスーツの規定違反とされ、日本の高梨沙羅(クラレ)も引っ掛かって1回目を失格扱いとなった。2回目に大ジャンプを披露したのはワールドカップ最多勝記録保持者の面目躍如だったが、その後は泣き崩れ、カメラに向かって深々と頭を下げた。

 後日、自身のインスタグラムに投稿したメッセージも大きな波紋を呼んだ。「謝ってもメダルは返ってくる事はなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。それ程大変な事をしてしまった事深く反省しております。この度は本当に申し訳ありませんでした」などとつづった。一人で責任を背負い込むような謝罪コメントに、かばう声が相次いだ。

 このような思いに追い込んでしまう状況は決して健全とはいえない。とかく日本では、五輪が始まると新聞の一般紙やテレビのワイドショーなども含め五輪一色に染まりやすい。メダルの色に偏重した見方や事前の過度なあおりが恒例になっている。競技に打ち込むことで自分を高め、見ている人も感動や勇気をもらうのがスポーツの素晴らしさの一つだが、世界選手権などとは違い、五輪となると必要以上に「お国のために」との意識を植え付けてしまうことは想像に難くない。メディアを含め、日本全体で五輪偏重を改善する時期に来ている。

ライバルたたえ合い

 新しい時代の萌芽を思わせるような、ほほえましい光景が大会序盤に展開されたのがスノーボード女子スロープスタイル決勝。最後に滑ったニュージーランドのゾイ・サドフスキシノットが最終ジャンプで大技を決めてゴールすると、首位としてゴールエリアで待機していたジュリア・マリーノ(米国)と2番手だったテス・コーディ(オーストラリア)が駆け寄り、抱きついて祝福した。得点が表示されてサドフスキシノットの金メダルが確定すると、3位以下の選手たちも入ってきて10人近くの輪が出来上がり、その場でジャンプしながらお互いの健闘をたたえ合った。

 国別対抗の意識でいがみ合っていたら、こうした思考にはならない。お互いを一人の人間として尊重する本来の五輪精神を想起させるアクションだった。ニュージーランドに初の冬季五輪金メダルをもたらしたヒロインは、このシーンについて「生涯忘れることのできない特別な瞬間になった」と感激の面持ち。マリーノも「ゾイはこの競技をレベルアップさせた功労者。彼女の結果に私たちもうれしく思うし、この場に自分が加わっていることができてとてもうれしい」と喜びすら口にした。

 大会後半にも同様の場面があった。スノーボード女子ビッグエア決勝。岩渕麗楽(バートン)が最後の3回目で斜め軸の後方3回宙返り技「トリプルアンダーフリップ」に挑戦した。実は前日の予選で左手甲を骨折していた。女子では実戦で決めた例はないとされる超大技に手負いの中で挑み、惜しくも着地が乱れて4位でメダルを逃した。それでもゴールエリアには海外勢が集まってきて抱きつき、勇気をたたえた。岩渕は後日「みんなが駆け寄ってくれたことは忘れない」とコメント。そこには本来のスポーツの良さが表れていた。

五輪憲章から消えた文言

 選手の奮闘とは裏腹に、IOCの日和見主義は見逃せない。五輪憲章には「6:Olympic Games」の項に「オリンピックは個人または団体の種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と明記されている。これ自体、選手がスポーツに打ち込み、また周囲がそれを支援、応援する観点に沿っている。国・地域ごとにそれぞれメダルを何個獲得したかを数えること自体も自然だ。

 五輪憲章にはまた、メダル獲得者などの扱いについて「57:Roll of honour」の項に次のような文言があった。「IOCとOCOG(大会組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」。それが2021年8月8日発効の最新版では、「57」の項から消えていた。これでは国別メダルランキングを黙認しているとも受け取れる。国家間競争の土壌をつくり、その結果として選手個人に過大な責任を背負い込ませることにもつながる怖れがある。

 IOCのバッハ会長は昨年の東京五輪前に「IOCの目的はスポーツを通じた平和の推進だ」と強調した。しかし現実は違う。例えば北京五輪期間中にウクライナ情勢が一気に緊張の度を増し、その後ロシアが侵攻する事態に陥った。昨夏の東京五輪でもやはり大会中にアフガニスタンで反政府勢力タリバンが軍事力にものをいわせて勢力を拡大していき、結果的に政権を掌握した。バッハ会長は北京五輪の開会式で「このもろい世界では分断や紛争、疑念が増大している。ライバルとも平和的に生き、尊敬し合えることを世界に示そう」と挨拶したが、空虚に響く。同会長自身、東京五輪閉会式翌日の8月9日に、東京・銀座を散策する姿が会員制交流サイト(SNS)上で広がった。新型コロナ禍で日常生活に我慢をしいられていた日本国民をあざ笑うかのような行動は大きな反感を買った。

 日本選手団は今回金メダル3個、銀6個、銅9個で、冬季五輪史上最多の18個のメダルを獲得した。ただメディアなどで、総数が世界6位タイと比較されるのはいかがなものか。アスリート一人一人の頑張りの結果が祝福されて当然だが、メダルの数を国ごとに競うのは、五輪憲章の精神に反するものではないのか。新型コロナで東京五輪・パラリンピックが1年延期された影響で、珍しく短いスパンで開催された「スポーツの祭典」。世界に寄与すると喧伝するのであれば、欺まんの雰囲気すら漂うIOC自体の見直しが不可欠だ。


VictorySportsNews編集部