取材・文=石塚隆 写真=櫻井健司
苦しいときほど考え、言葉を持つこと
©Baseball Crix 山﨑康晃という選手を取材してきて感じるのは、どんな場面にあっても丁寧にマスコミに対応してくれるということだ。生身の人間なのだから、好調のときもあれば不調のときもある。感情の起伏があるのも仕方がない。しかし、山﨑はどん底にあえいでいた昨年8月でさえ、いきなりの問いかけに対し嫌な顔をせず足を止めて現状を説明してくれた。
「プロになって『大事だな』って思うようになったのは、『いまあるべき姿にきちんと向き合う』ということです。つまり、悪いときこそ自分をしっかりと見つめなければならない。そういう意味からすると、不調のときにマスコミ対応している時間は、それに当てはまると思うんですよ」
チームスタッフではない第三者の意見や質問を傾聴し、客観的に自分自身と向き合う。
「正直、去年のシーズンはそういった状況が多かったし、本音を言えば嫌なときもありましたが……そこで向き合わなければ、次はない。厳しい状況だからこそ、心を鬼にして対応するのもまたプロだと思うんです」
苦しいときほど考え、言葉を持つことが大事だということだろうか。
「ええ。良いときばかりじゃないし、すべて上手くいっていたら自分なんてどうなっていたかわかりませんよ(苦笑)。悪いときこそたくさんの人が見ていると思うんです。だから弱いところを見せられないという意味では、ダッグアウトでもロッカールームでもいつものように振る舞っていました。どんな場面でも、平常心を保つ。あるいは周りに知られないようにすることは、チームプレーをするうえで当然のこと。それに、クローザーが弱っていることを相手に悟られてしまったら、その地点で負けですからね。今シーズンもユニホームを着て、スタジアムにいるしっかりと自分に向き合って頑張りたい。そう思っています」
窮地の山﨑を納得させた筒香の一言
©Baseball Crix 叱咤激励にはかなり堪えたという。
「まあ……それもプロ野球選手の務めなので受け入れています。ただ1年目、あれだけの成績を残すことができて『頑張れよ!』と、たくさんの声援をいただきました。そんな期待が大きいなか、昨年は苦しいシーズンとなりファンの人たちをがっかりさせてしまう場面が多々ありました。僕はTwitterをやっているのですが、ファンの皆さんから厳しいメッセージをたくさん頂きました。活躍できなければ批判されるというのはプロになったときから覚悟はしていましたが、想像を遥かに超える感覚がありました。
いまでも頭のなかには、そういった言葉が一言一句残っているんです。僕は褒められた言葉よりも、厳しい言葉のほうが残るし、それを発奮の材料にすることができる。ただ昨年は……頭で分かっていても、体が動かないといった負のスパイラルに陥ってしまうことがあったことは間違いありません」
横浜スタジアムにファンの不満が渦巻くなか、これを救ってくれたのは、やはりチームメイトだった。
「あのチーム環境でなければ、絶対に乗り越えられなかったと思います」
このインタビューの前編にもあったように、特にキャプテンの筒香嘉智の言葉には、山﨑が納得できる説得力と重みがあったという。
「キャプテンも、『ここまでくるのは簡単じゃなかったよ』と、普段だったら聞けないような話をたくさんしてくれました」
いまでこそ日本を代表する4番打者に成長した筒香であるが、つい4年ほど前の2013年は23試合にしか出場できず、それこそ打率は2割台前半と期待に応えられないシーズンを過ごしていた。結果的に翌年に覚醒するのだが、それまでは“超高校級”として鳴り物入りで入団しておきながら、「芽が出ず終わるのではないか……」懸念されていた。そんな筒香だからこそ、山﨑の心の揺らぎを理解していたのだろう。
「僕は、キャプテンが苦労している時代を直接見ているわけではないのですが、お話を聞いていると、説得力はもちろん『自分はまだまだできるんじゃないか』って思えるようになった。そういった先輩方が近くにいてくれて、本当に良かったなって」
プロとして決して笑顔を忘れてはいけない
©Baseball Crix プロ野球選手として他のチームメイトが舌を巻くほどの山﨑の特徴が、“神対応”とまで呼ばれるファンへのサービスだろう。昨年の不調のときでさえ、厳しい矢面に立たされているのにもかかわらず丁寧にファンに対応する姿は印象的だ。また、沖縄・宜野湾市のキャンプでは、日が暮れるまでファンにサインをする山﨑の姿が毎年のように目撃されている。
このファンへの対応にも山﨑のプロとしての矜持があるのだという。
「僕がファンサービスを大切にするのは、僕自身がひとりのプロ野球選手からサインをもらい、その影響でプロ野球選手になれたと思っているからです」
山﨑にプロ野球選手を志すきっかけを与えた人物とは、かつて日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、西武ライオンズで活躍した森本稀哲氏である。山﨑と森本氏は、地元が一緒の東京都荒川区。親同士が知り合いで仲がいいということもあり、山﨑は森本氏の影響で小学校2年生のときに野球をはじめた。その後、帝京高校へ進学したのもOBである森本氏の影響だ。森本氏もまた、ファンへのサービス精神が旺盛で人気を博した選手だった。
「やっぱりプロ野球選手にもらったサインってすごく嬉しいんですよ。もらった子にとっては、かけがえのない宝物になる。自分としては、あのときの気持を忘れたくないという思いもあってサインをするんです。忙しいときであっても、初心を思い出すために」
サインを書いたら、渡すときに相手の顔を見てニコリと微笑む。ファンと接するとき常に笑顔を絶やさないのは、母のべリアさんの影響だ。
「子どものときは苦しいことがあると逃げてばかりいて、そのたびに母から首根っこを掴まれ背中を押されていました。母から言われとくに大切にしてきたのは、『常に笑顔でいないさい』ということです。サインを書くときニコリと笑うと相手は嬉しいでしょうし、これはプロ野球選手になる前から母に教わってきたことなんです」
笑う門には福来たるではないが、笑顔はときに逆境を乗り越えるパワーを生むことがある。
「だから僕は苦しいときほど笑っているようにしましたし、逆に周囲の人たちから『見ていて辛かったよ』なんて言われたりもしました。見ていてくれる人は見ているわけで、ありがたいなって思っています。今シーズンも、良いときも悪いときも、僕らしくずっと笑顔でいられるようにしたいですね」
心の奥底から快活に笑うためにも、山﨑自身の活躍は必要不可欠だ。現在、新外国人のスペンサー・パットンと守護神争いをしているが、もちろんその座を明け渡すつもりはない。
チーム力が確実にアップしてきている2017年シーズン、山﨑から見てチームが優勝するために必要なこととはなにか。
「個人、個人の能力アップでしょうね。僕であれば40セーブという高い目標を掲げているのですが、クリアすることが優勝に直結すると思います。若い選手が多いし、自分たちの力を伸ばすことでチームを勢いづかせることができる。これは昨年証明できたと思うので、良い意味で若さを武器にできれば優勝も可能だと思います」
プロとして高い意識を持ち、行動で示そうとしている山﨑。守護神として、ファンの『ヤスアキジャンプ』の頻度が増えれば増えるほど、チームは19年ぶりの優勝に確実に近づくことになるだろう。
(プロフィール)
石塚隆
1972年、神奈川県生まれ。スポーツを中心に幅広い分野で活動するフリーランスライター。『週刊プレイボーイ』『Spoltiva』『Number』『ベースボールサミット』などに寄稿している。