文=松原孝臣

2022年北京五輪後に“2種目化”が実現する!?

 先日、あるニュースが出て話題となった。時事通信が報じたもので、国際スケート連盟(ISU)がフィギュアスケートの競技方式を、ジャンプやスピン、ステップの技術要素と、表現力などの芸術性を別のプログラムで評価する方式を検討しているというものだ。2022年北京五輪後の導入を目指しているという。

 記事では、関係者のコメントとして「(総会で)反対する人はおそらくいないのではないか」ともあったが、もしそれが実現すれば、根本からフィギュアスケートが変わることになる。

 フィギュアスケートは、これまでも様々な変化を遂げてきた。シングルで長年続けられてきたコンパルソリーの占める割合が変化した末に廃止されたのは大きな変化だった。2003-2004年シーズンのグランプリシリーズなどで導入されたISUジャッジングシステムがその翌シーズンから正式に採用され、現在の枠組みとなったのもまた大きな変化だ。これらだけでなく、採点の中身などを巡り、さまざまに変わってきた。

 このような歴史を踏まえたうえで、もし、検討されている方式が採用されれば、その変化の大きさはまったく異なる。記事では「どちらかの種目だけの出場でもよい」とされている。それは2つの種目を作ることを意味する。つまり、過去の変化においては最終的にはあくまでも技術面と芸術面を合わせて競う方式の上での話であったのに対し、それを分けることになるから、質を異にしている。

 そしてそれは種目を2つにするだけにとどまらない。技術、芸術双方を融合した競技であったのがフィギュアスケートだ。ときにいずれかに傾斜しているかのように見えても、その枠組みがあっての話だ。もちろん、選手によって持ち味は異なる。得意不得意とするところはあって、それでも、それぞれに総合的な力をつけようとし、競い合ってきた。その中に個性の違いも生まれ、さまざまな選手が存在する面白さがある。

失われる技術・芸術の「トータルパッケージ」

©Getty Images

 2つの大きな方向に分ければ、そうした総合的な力をぶつける競技ではなくなる。想像の域を出ないが、あくまでも両種目に出たいと考える選手もいるだろう。一方で、どちらかに特化する選手も出てくるはずだ。競い合うにはアンバランスな面が生まれてくる。

 長く2つに分けた方式が採られればそれだけ、特化する選手、あるいは両方取り組んでもどちらかに比重をかける選手がより増えてくることが考えられる。そのとき、今日のような「トータルパッケージ」という概念も失われかねない。

 さらに言えば、一定期間、この方式を採用したあと、やはりうまくいかずにもう一度今日のような、技術性、芸術性をあわせて競う方式に戻そうとするとしよう。しかしそれは容易ではない。その頃には、選手たちの間から、今日のようにジャンプやスピン、ステップを磨き、スケーティングに取り組み、表現面を意識するというトータルでの取り組みが薄れていることが予想される。となると、相応のレベルを取り戻すのに相当の時間を要することになる。失うものは決して小さくないのではないか。

 実際に導入されるのかはまだ不明だ。また、2018年のISU総会での提案を目指すというが、提案自体も決定しているわけではない。競技が根本から変わりかねないだけに、慎重な検討を望みたい。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。