ダルビッシュ有について

名前ダルビッシュ・セファット・ファリード有
生年月日1986年8月16日
日本
出身大阪府羽曳野市
プロフィール父がイラン人で母が日本人。小学3年から羽曳野イーグルスで軟式野球を始め、主に捕手として活躍。峰塚中進学後、ボーイズリーグ全羽曳野に所属し、2年から投手として活躍。平成13年福岡県庄内町での米大リーグ・エンゼルスのセレクションに参加。

東北高校時代は、1年生秋からエースとなり、2年春から4季連続で甲子園に出場。

平成16年、ドラフト1位指名で北海道日本ハムファイターズに入団。2年目から6年連続二桁勝利、3年目から5年連続開幕投手とチーム不動のエースに登りつめる。平成21年には第2回WBCに日本代表として出場し、準決勝、決勝はクローザーとして日本の連覇に貢献。平成23年オフ、ポスティングシステムを行使し、史上最高額でテキサス・レンジャースに移籍。

メジャーリーグでも3年連続二桁勝利と順調に過ごすも、平成27年にトミー・ジョン手術を受け、一年間リハビリに徹する。平成28年に復帰登板を果たし、平成29年には完全復活を目指す。191センチ、70キロ、右投右打。妻は元レスリング選手で格闘家の山本聖子。

NPB時代の成績は、167試合、93勝38敗、1H、防御率1.99、勝率.710、1,268回1/3、1,250奪三振。最優秀防御率2回、最多奪三振3回、最高勝率1回、沢村賞1回、MVP2回。MLB時代の成績(~2016年)は、100試合、46勝30敗、防御率3.29、勝率.605、645回2/3、812奪三振。最多奪三振1回。

幼少期から人並みはずれた体格で輝かしい成績をあげる

イラン人の父と日本人の母の間に産まれたダルビッシュ有は、ハーフ独特の日本人離れした体格の持ち主で、小学生時代からスポーツ万能。中学時代から野球一本に絞ると、3年時の身長は180センチを超え、全羽曳野ボーイズのエースとして君臨します。全国大会ベスト8に世界大会3位という輝かしい実績を挙げました。

当時から七色の変化球を自在に操り、50を超える高校にスカウトされました。その中から東北高校を進路に選択します。同校入学後も変化球の種類だけでなく、体格、球速でも次元の違いを見せつけ、1年の秋からチームのエースとなります。

4度の甲子園出場も、怪我に苦しんだ東北高校時代

ダルビッシュ有は2年生春から実に4季連続で甲子園に出場します。そして2年夏には、準優勝に輝き、その名前は全国区となっていきました。3年春には、大会史上12人目となるノーヒットノーランを達成するなど桁違いの実力を示しましたが、その一方でダルビッシュにとっての甲子園は、常に怪我との戦いでもありました。

万全でマウンドに上がれたのは3年夏のみであり、この大会では1回戦から圧巻の2試合連続完封。3回戦8回まで26イニング連続無失点を継続しましたが、9回に初失点を喫すると、延長戦の末に敗れ、ダルビッシュの夏が終わりました。

日本ハム時代には2年目から絶対的エース、さらには球界のエースへと成長

超高校級右腕だったダルビッシュ有は、当然のようにプロ野球ドラフトの目玉となり、北海道日本ハムファイターズが1位指名して入団します。即戦力として期待されたダルビッシュでしたが、そのプロ生活は未成年での喫煙発覚という躓きから始まりました。それでも、ルーキーイヤーに完封勝利を含む5勝を挙げて頭角を現すと、2年目以降はチームの絶対的エースとして君臨します。

その2年目から5年連続開幕投手を務めると、6年連続二桁勝利を挙げて日本を代表する投手に成長。2年連続防御率1点台で最優秀防御率、さらには3度の最多奪三振に、2007年には沢村賞と多くのタイトルを奪取しました。2007年以降も、2008年、2011年に沢村賞を受賞する全基準項目をクリアしました。3度の基準クリアは史上初の偉業でしたが、受賞は2007年の一度のみとなっています。それでも、日本を代表するエースであることは揺ぎ無い事実でありました。

第2回WBCでは、急造クローザーを勤め上げ胴上げ投手に

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ダルビッシュ有は、2009年、第2回WBCに日本代表として出場しました。当初は松坂大輔、岩隈久志らと強力先発3本柱を形成し、2試合に登板します(1勝1敗)。しかし決勝トーナメントに突入すると、藤川球児の不調もあって、準決勝、決勝では経験のないクローザーに抜擢されます。

一発勝負の国際大会において、通常では考えられない配置転換でしたが、ダルビッシュ有はそれを見事にこなしました。決勝戦では自身が失点し延長戦となるも、イチローのタイムリーで勝ち越した後のイニングをしっかり抑えて、日本のWBC連覇を実現。胴上げ投手という最高の栄冠を手にしました。

メジャーでも順調なスタートを切り、2年目には奪三振王のタイトル獲得

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NPB7年間で93勝38敗、防御率1.99、55完投という凄まじい成績を残したダルビッシュ有は、当初は否定していた大リーグ挑戦を表明しました。ポスティングシステムを行使し、史上最高額でテキサス・レンジャースが落札します。

6年という大型契約を締結し、力と力の真っ向勝負ができる喜びを胸にダルビッシュ有は、一年目から大活躍を見せました。新人として日本人史上最多となる16勝を挙げ、早くもチームの主力投手となりました。2年目にも13勝をマークし、最多奪三振のタイトルを奪い、投手最高の栄誉であるサイ・ヤング賞投票でも2位を確保するほどの活躍を見せました。

右肘手術に約一年間のリハビリを経て、2017年には開幕投手として完全復活

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3年連続二桁勝利を挙げて、通算39勝をマークしたダルビッシュ有でしたが、3年目後半に故障者リストに入ると、復帰できないままシーズンを終えてしまいました。翌年も右肘の不調を訴え、トミー・ジョン手術を受けることを表明します。

選手生命を脅かす出来事でしたが、長いリハビリ期間を経て、2016年前半にマウンドに戻ってきました。同年はイニング数を抑えながらの登板になりましたが、それでも7勝をマーク。さらには、プレーオフでも登板するという順調な回復ぶりを見せました。そして契約最終年度となる2017年は、メジャーでは初となる開幕投手を務めるなど、完全復活を遂げています。


VictorySportsNews編集部