文=千葉正樹

佐藤琢磨がインディ500制覇の偉業を達成

©Getty Images

 現地時間5月28日、アメリカのインディアナポリス・モータースピードウェイで開催された、インディカー・シリーズ第6戦、101回目の開催となる「インディ500」で、佐藤琢磨が日本人初となる優勝を果たした。

 佐藤のインディ制覇を地上波のTVメディアも報道で取り上げ、トップチェッカーを受けた佐藤琢磨がミルクを飲む姿を紹介した。

 これはモータースポーツ界において紛れもない歴史的偉業なのだが、SNSなどで一般的な反応を見ると、「佐藤琢磨って10年くらい前までF1にいた人でしょ」「アメリカのレースを一つ勝っただけで何がすごいの?」といった声も見受けられた。

「インディ500」で日本人ドライバーが優勝したという事実がいかにすごいことなのか、改めて説明してみたい。

100年の歴史を誇り、35万人を集客するビッグレース

©Getty Images

「インディ500」はアメリカで行われているオープンホイールレースの最高峰。自動車がまだそれほど普及していなかった1911年に開始され、100年以上の歴史を経て、2017年の開催が101回目となる(戦争による中止時期もある)。

 ヨーロッパではF1を始め、カーブやヘアピン、シケインを盛り込んだ、起伏に飛んだレースサーキットでのレースが主体になった一方で、アメリカでは丸型や楕円形で最高速の速いオーバルコースが支持される傾向が強かった。その中でインディ500はアメリカモータースポーツ界のフラッグシップとして愛されてきた。

 F1の黎明期には、世界選手権の名のもとにF1グランプリの一戦に盛り込まれていた時期(1951〜1960年)もあるが、その後も独自のレギュレーションの中で発展を遂げ、1979年からはCART(Championship Auto Racing Teams)のチャンピオンシップの一部に。近年はインディ・レーシング・リーグ」(Indy Racing League/IRL)という名称を経て、「インディカー・シリーズ」の中の一戦として現在に至っている。1年間に十数戦戦うシリーズにおいて、インディ500はその位置付けもスペシャルなのだ。

 100年を超える伝統に加え、アメリカ最高峰のスポーツイベントであることは、決勝の1日だけで35万人を動員するという事実が、インディ500がいかにアメリカで特別なレースであるかを物語っている。

 モータースポーツのビッグイベントとして、インディ500は“世界3大レース”の一角にも数えられる。F1のモナコGP、ル・マン24時間レースとともに3大に数えられるわけだが、これは出自の怪しい“世界3大”(諸説あったり、数えられるものが4〜5つあるなど)ではなく、世界的に「Triple Crown of Motorsport」として認識されているものだ。

 ちなみにレギュレーションの大きく異るこの3つのレースをすべて制したのは、グラハム・ヒル(1929〜1975)一人しかおらず、2つ制したドライバーも史上7名しかいない。

F1王者も熱望するインディ500の頂点

©Getty Images

 インディ500がいかに特別なレースかを語る上で、今年のハイライトの一つである、フェルナンド・アロンソのインディ参戦を挙げておきたい。アロンソと言えば、2005年、2006年のF1ワールドチャンピオンである。近年は低迷するマクラーレン・ホンダの中で、優勝争いから遠ざかっている状況となっているが、F1モナコGPを欠場してまでも、同日にアメリカで開催されるインディ500への参戦を熱望したのだ。

 アロンソが欠場したF1モナコGPのシートは、昨年限りでF1から離れた2009年のF1王者ジェンソン・バトンが古巣からスポット参戦する形でモナコGPに出場。F1から半年近いブランクがありながらも、予選ではQ3に進出し9番手のタイムを叩き出したことは驚きを持って伝えられた(パワーユニットの交換で15グリッド降格、予選終了後にセットアップ変更を行ったことで、決勝はピットレーンスタートとなり、57周目でリタイヤしている)。

 一方でインディ500に挑戦したアロンソは、これまでの主戦場であるF1とは全く異なるオーバルコース、全く特性の違うインディー・カーに乗りながら、プラクティスからトップ10に入るタイムを連発。さらに決勝では37周目にトップに立つと、その後27周にわたってラップリーダーとしてレースを先行した。

 179週目でアロンソはエンジンブローによってリタイヤしてしまったが、アロンソがF1のみならず、インディ・カーでもレーサーとしての才能がいかに非凡なものであるか、異なる舞台で存在感を発揮して見せた。

アメリカでもがき続けた佐藤琢磨

©Getty Images

 佐藤琢磨に話を戻そう。彼はアロンソがF1のモナコGPをパスしてでも欲しかったタイトルを、アメリカ最高のレースの栄冠を手にしたのである。2008年限りで彼はF1レギュラードライバーのシートを失い、2010年からインディカー・シリーズに新天地を求めた。

 だが、インディ・カーの中でも最初から優れた環境、マシンに恵まれたわけではなかった。2010年はKVレーシングからフル参戦したものの、シーズン21位に終わっている。

 2012年にはレイホール・レターマン・レーシング所属としてインディ500に挑戦し、終盤で優勝争いに加わったことでも知られる。しかし、最終ラップで琢磨はトップリーダーのダリオ・フランキッティをオーバーテイクすべく仕掛けたものの、並びかけるタイミングでコントロールを失い、結果的に単独クラッシュ。2位どころか200周のチェッカーを受けることもできなかった。

 その翌年の2013年にはA.J.ホイト・エンタープライズから参戦し、第3戦のロングビーチで日本人初となるインディカー・シリーズ優勝を果たした。だが、それ以降はなかなか優勝争いに食い込むことができず、ドライバーズランキングではシーズン14位が最高位だった。

 そして迎えた2017年、琢磨はアンドレッティ・オートスポーツのシートを手に入れ、シーズンに臨んだ。“アンドレッティ”の名前を聞いて、かつて1990年台初頭のF1ブームをご存知の方はピンとくる方もいるだろう。かつてホンダがマクラーレンへのエンジン供給をしていたのは1992年まで。1993年に、マクラーレン・フォードになった際に、マクラーレンのセカンドドライバーになったアメリカ人ドライバー、マイケル・アンドレッティの名を冠したチームである。

 8年目のインディ挑戦で、琢磨は抜群の勝負強さと仕掛ける積極性を見せつけた。予選では果敢な攻めを見せて4番手に付けると、決勝では他のマシンと競りながら終盤までトップ争いを繰り広げる。多重事故によるコーションが解除となる188周目から、琢磨は勝負を仕掛けた。マックス・チルトンを抜き、残り6周の段階でインディ500を過去に3度制した名ドライバー、エリオ・カストロネベスをパスしてトップに立つ。

 残り3週でカストロネベスに仕掛けられ、一度はサイドバイサイドに持ち込まれるが、琢磨はその猛追を振り切ってインディ500のトップチェッカーを受けた。かつて2012年に土壇場でフランキッティとのバトルに果敢に挑み、優勝を逃した琢磨がインディ500で5年越しのリベンジを果たした形となったのである。

 レースのポディウムはシャンパンファイトが一般的に知られるが、インディ500の優勝者はミルクを飲むのが慣例。これもまたインディの良き伝統の一つである。

 インディ500を制した日本時間5月29日、佐藤琢磨は自身の公式ブログで優勝の喜びを次のように述べている。

「ずっと夢を追いかけてそれが今日叶いました。信じることって本当に大切」
「たくさんの応援を本当にありがとう。心から感謝しています」

 インディアナポリスで歓喜の瞬間を味わった佐藤琢磨。BARホンダ時代、次々に前のマシンを抜き去り、F1でのキャリアで唯一の表彰台(2004年アメリカGP)を経験したのも、ここインディアナポリスだった。

 F1で3位の表彰台に立った彼が、13年後に同じサーキットで全く異なるコンペティションの頂点に立つとは、佐藤琢磨とインディアナポリスには不思議な縁があると言わざるを得ない。

琢磨のインディ500制覇が思わぬ騒動に

©Getty Images

 佐藤琢磨のインディ500制覇は、言うまでもなく偉業である。その後のメディアでの取り上げられ方はスポーツニュースの枠を超えて、一般報道でも伝えられた。

 さらにはアメリカメディア『デンバー・ポスト』の記者であるテリー・フライが、自身の『twitter』で人種差別的なメッセージを発したことで騒動に発展した。

「彼に個人的な恨みはないが、メモリアル・デー(5月最終月曜日の戦没将兵追悼記念日)に日本人がインディ500で優勝したことがすごく不快だ」

 このツイートで大バッシングに発展し、フライ氏はこれが発端で『デンバー・ポスト』から解雇されている。

 佐藤琢磨の偉業は日本でも異なる形でクローズアップされる機会が増えている。大阪の道頓堀では、名物である道頓堀グリコサインの電光掲示板で、佐藤琢磨のスペシャル映像が上映されている。

 6月7日まで、日没30分後から日付が変わる24時まで、15分ごとに映像が流されるという。インディ500で優勝を果たし、マシンの上で両手を突き上げる佐藤琢磨のガッツポーズ姿は、グリコのあのランナーの「ゴールインマーク」をオーバーラップさせるものとなっている。

40歳佐藤琢磨の次なる“夢”とは

©Getty Images

 インディ500を制した佐藤琢磨は、レース後に次のように喜びを明かしている。

「ホンダのスカラシップのプログラムを取ってここまで来ましたから。長い道のりでしたけど、こういう形でインディ500を勝てたことは嬉しかったです。日本もまだまだ復興途中ですごく大変な状況なので、僕自身も“With JAPAN”のプログラムをもっともっと強くして、子どもたちに夢を与えたいと思っているし、自分自身も今日勝ったことでさらにもっと上に上がりたいなという気持ちが強くなっているので、まだまだ続けていきたいなと思っています」

 琢磨は“インディ500の優勝はレース人生においてどういった意義があるか”を問われると、「どのレースも優劣をつけることはできないと思いますね。(2013年の)ロングビーチの優勝もとってもスペシャルだったし。だけどインディ500を勝つというのは本当に今までの自分のレース人生の中でも最高の瞬間ですし、この優勝は自分だけではなくて、日本もそうだし、チームにとってもそうだし、ホンダにとっても本当にスペシャルな優勝だと思う」と述べている。

 佐藤琢磨は戦う舞台がF1であろうともインディカーであろうとも、魅力があり、愛されるレーサーであり続けている。世界3大レースの一角を手中にした彼の次なる照準は何なのか。モータースポーツ界で、日本人がこれまで誰も見たことがない景色に向かって走り続けることは間違いない。


千葉正樹

2004年から在籍したクルマ雑誌の編集部でモータースポーツを担当し、2007年からはサッカー媒体で各メディアの編集員を歴任。2015年からはフリーランスとして活動し、サッカーを中心にモータースポーツ、グルメ、バイクツーリング、温泉など、執筆活動は多岐にわたる。