史上初の「無観客開催」となったインディ500

 アメリカで絶大な人気を誇るフォーミュラカーレースであるインディーカーシリーズ。その中の一戦に組み込まれているインディ500は、インディアナポリス・モーター・スピードウェイという1周約4kmの楕円形のコースでレースは200周で行われる。380km/hというスピードで500マイル、約800km(東京ー広島間)を僅か3時間で走りきるという最速を競うレースだ。

インディ500の歴史は長く、初開催は1911年と1世紀以上の歴史を誇る。世界大戦の期間を除き、今年で104回目の開催となるインディ500は、毎年30〜40万人を動員する世界最大規模のスポーツイベントである。毎年5月の最終日曜日に行われるのが通例だが、新型コロナウイルスの影響でレースは8月に延期、さらに感染拡大を防ぐため無観客での開催になるなど、異例尽くしのレースとなった。

 そんな中でも佐藤はしっかりとコンディション、マシンのセッティングを本番に合わせてきた。予選では日本人初のフロントロー(予選3位)を獲得し、好調を維持していた。決勝スタート直後はポジションを1つ上げて2位で周回を重ねていく。クラッシュが相次ぐ中、しっかりと上位でレースを進める佐藤。レース終盤には現役最強の呼び声も高いスコット・ディクソン(インディーカーシリーズで5度の年間王者に輝き、2008年にはインディ500も制している)との一騎討ちとなった。

佐藤は142周目にチームメイトのグラハム・レイホールをパスし2位に浮上、158周目にはトップのディクソンを捉えトップに浮上した。最後のピットストップを終え、173周目、佐藤が再びディクソンを交わしトップに返り咲きレースは最終盤へ。2位のディクソンが猛烈な追い上げで佐藤に迫るも、佐藤は燃費に不安を抱えながらも周回遅れのマシンを上手く処理しながらディクソンとの差を保ち続ける。

トップをキープする中、残り5周となったところで佐藤のチームメイトでもあるスペンサー・ピゴットが単独クラッシュし、イエローコーション(コース上でクラッシュなどのトラブルが発生したときに適用される規則で、イエローフラッグが振られ全車追い越し禁止となり、トラブルが排除されるまでセーフティカーの先導で周回が行われる。)となる。最終的にイエローコーションのままレースはチェッカーフラッグを迎え、佐藤が2度目のインディ500制覇を成し遂げた。

8年前のリベンジを果たした優勝

 2017年に初めてインディ500で優勝した佐藤だが、実はそれ以前に優勝に限りなく近づいた年がある。それが2012年だ。

佐藤はファイナルラップに入った時点で2位を走っており、先頭を走るダリオ・フランキッティ(インディーカーシリーズで4度の年間王者に輝き、当時すでにインディ500を2度制していた)の背後に迫っていた。最終ラップの1コーナーで佐藤は優勝を目指しフランキッティに仕掛けるもマシンのバランスを失いスピン、クラッシュを喫してしまった。

日本人として初のインディ500ウィナーの称号が手から滑り落ちていった2012年、その年佐藤が所属していたチームが今回と同じレイホール・レターマン・ラニガンレーシングだった。佐藤の信条である「No Attack, No Chance」(攻めなければチャンスはやってこない)が裏目に出てしまい、佐藤にとって失ったものが大きいレースとなった。しかしこのレースでアメリカのファンとインディ500最多タイの4勝を挙げた生きる伝説、AJフォイトの心を掴んだ。

 佐藤は翌年2013年から2016年までフォイトのチームで活躍し、アンドレッティ・オートスポーツを経て、2018年からレイホール・レターマン・ラニガンレーシングに復帰した。2017年にアンドレッティチームで優勝を果たした佐藤だが、心の中にレイホールチームで優勝を逃した2012年のことが引っかかっていた。

優勝も経験し進化して戻ってきた佐藤はレイホールチームでリベンジを果たし、オーナーのボビー・レイホールとチームに優勝をもたらした。8年をかけて佐藤はこれ以上ない恩返しをしてみせた。チームにとっては2004年以来のインディ500制覇となった。

報道をみて感じた「2度目」の大きな意義

 佐藤がアジア人初のインディ500ウィナーとなった2017年は、日本でも大きな驚きをもって各メディアが報じた。しかし今回の優勝は前回に比べて報じたメディアの数が多くなった印象を受ける。アメリカとの時差の関係で新聞、朝の情報番組に間に合わないこともあるだろうが、そもそもメディアは馴染みのないものにそこまでの労力を費やそうとは2017年の時点では思っていなかったのかもしれない。

それでも佐藤に密着していたNHKでは2時間の特集番組が放送されたり、ネットニュースでは速報記事があがったりと、一部のメディアは佐藤の快挙をしっかり報じていた。「もっと報道すべき」という意見も目にするが、レースファン以外の人たちと同じように、報道する側の人間も単に競技について、優勝することの難しさ、偉大さを知らなかっただけなのではないだろうか。

 今回は、前回の佐藤の優勝をきっかけにインディ500で勝つことがいかに凄いことかを知ることができた分、2017年より多くのメディアがこの快挙を伝えた。称えられるべきこととして各メディアが報じたのは、前回の優勝があったから、なのかもしれない。

マイナースポーツの普及は競技を存続させること、大きな波が来たときに乗れるように準備しておくこと、そしていかに普通の生活の中で人々の目に入るかにかかっている。モータースポーツはレース用のサーキットであったり、競技用に設営されたコースで行われるため、郊外など気軽に観に行けない場所で行われる。故に知るきっかけが極めて少ない。しかし誰もが目にするテレビという大きな影響力をもったメディアで報道されることができれば、競技を知るきっかけが格段に増える。

マイナースポーツにはとてもハードルの高いことだが、「わざわざ」こちらから情報を得ようとしなくとも、自然と目に入る環境ができれば、マイナースポーツにもチャンスがやってくる。モータースポーツをテレビで大々的に報道させるほどの大きな波を2度も起こした佐藤の功績は計り知れない。少しでも感じられた報道の増加から、佐藤の2度目のインディ500制覇は日本のモータースポーツ界にとって大きな意味のある優勝だったといえるのではないだろうか。


河村大志