大谷翔平について

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名前大谷翔平(オオタニショウヘイ)
生年月日1994年7月5日
日本
出身岩手県
プロフィール小学3年生から野球を始めると、恵まれた体格で花巻東高校時代に党首として大きく注目される。高校3年時にはアマ最速の160キロをマークし、日米プロ球団注目の的となる。メジャー入りを表明するも日本ハムが単独1位指名し入団。

一年目から二刀流として育成され、2年目に史上初で二桁勝利&二桁本塁打を達成。3年目には投手3冠と着実に成長し、2016年は真の二刀流としてチームの日本一に貢献。

通算成績は投手として80試合、39勝13敗1S、防御率2.49、勝率.714、517回2/3、595奪三振。打者として338試合、833打数229安打、40本塁打、135打点、13盗塁、打率.322(いずれも2016年までの成績)。最多勝1回、最優秀防御率1回、最高勝率1回。MVP1回。花巻東高校卒、右投右打、身長193cm、97kg

高い身体能力を生かして高校生ながらアマ史上最速の160キロをマーク

大谷翔平は、高校、実業団で野球を続けた父と、バドミントンの国体選手だった母というスポーツ万能のDNAを受け継いで生を受けました。幼少期から野球以外でも、水泳など複数のスポーツをこなしていました。小学3年生から野球を始めると、早くも投手としての才能を開花し、球速で周囲の度肝を抜きます。

3歳年上であり甲子園でも大活躍した菊池雄星に憧れて、同じ花巻東高校へ進学すると1年生秋からチームのエースとなります。この時点で大谷の素質は別格で、監督は当時のスカウトにドラフト1位指名は間違いないことを明言していたほどでした。身長が190センチを超えても成長が止まらず、骨の成長に筋肉が追いつかないというアンバランスな状態ながら、高校2年で早くも球速150キロ越えを実現します。「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ、甲子園出場も2度果たしました。3年春には初戦で藤浪晋太郎率いる優勝候補の大阪桐蔭とぶつかり本塁打を放つも、9失点と崩れ甲子園を去ります。最後の夏は甲子園に届きませんでしたが、予選でアマチュア史上最速の160キロをマークしました。投手としてあふれる才能ばかりか、高校通算56本塁打と投打に魅力あふれる選手としてなり高校生活を終えました。

メジャー挑戦表明も日本ハムが強行1位指名し、日本でプロ生活をスタート

高校卒業前、日本球界はもちろんですが、メジャーリーグからも大注目された大谷翔平は、自身の夢であったメジャー挑戦を表明します。実は、高校2年生当時、人生の目標シートを自ら書いていました。18歳から50歳までという長期間における希望野球人生を記し、それに近づくための具体的な目標もしっかり設定していたのです。夢を描く青年は星の数ほどいますが、そこに至るまでの段階的な目標を明確にして、努力を継続することはなかなか実現できません。しかし尋常ならぬ高い意識を持ち、そのシートにも書いていた高卒でのメジャー入りに向けて歩を進めたのでした。

しかしドラフト当日、ほとんどの球団が本人の希望を知り、指名しなかった中で、北海道日本ハムファイターズだけが強行に1位指名して周囲を驚かせました。当初は球団側と面会すら拒否していましたが、交渉を重ねるごとに態度が軟化していきます。交渉には栗山英樹監督も同席し、二刀流としての育成プランなどを提示した結果、日本ハム入りを決断しました。契約の中には、将来的なメジャーリーグ入りの条項もあったとされています。

リアル二刀流として、ベーブ・ルース以来10勝&10本塁打を達成

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かくして日本球界入りした大谷翔平は、かつてダルビッシュ有がつけていた背番号11を背負い開幕戦に打者としてスタメン出場しました。さらに5月には投手としてマウンドに上がり、初登板で157キロを記録するなど二刀流としてのプロ野球人生をスタートさせて、オールスターにもファン投票で選出されました。

しかし、二刀流に対し、特に専門家の間では賛否が大きく分かれることとなりました。早い時期にどちらかに専念すべきという声が多い中、プロ2年目の大谷翔平は、二刀流選手としての活躍に拍車がかかります。投手として160キロを連発しプロ入り初完封を含む11勝をマークします。また打者としても前年と打席数はほぼ変わらない中で、10本塁打を記録し、NPB史上初の、二桁勝利と二桁本塁打を達成しました。メジャーを合わせても、あのベーブ・ルース以来となる96年ぶりの大記録でした。さらにシーズン終盤には球速162キロを計測し自己最速ならびに日本最速記録にも肩を並べました。

投手に力を入れたプロ3年目は、圧巻の投手タイトル3冠奪取

プロ生活3年目の大谷翔平は、より投手としてのプレーに重きを置きます。初の開幕投手を務め勝利を収めるとそのまま6連勝とタイトルレースで先行します。オールスターでも、投手部門でファン投票1位を獲得し、3年連続で出場しました。それでも大谷は打者としてサヨナラ安打も放つ勝負強さも発揮します。最終的には15勝、防御率2.24、勝率.750で投手3冠王となるタイトルを獲得しました。しかし打者としては打率.202に5本塁打、17打点と前年を下回る不本意な成績に終わりました。

同年行われた国際大会WBSCプレミア12には投手として出場しました。開幕戦と準決勝の韓国戦2試合に登板し、ともに無失点と大舞台での強さも見せつけます。降板後、日本は破れましたが、自身はベストナインに選出されるとともに全世界に自らの実力を再認識させました。

本格的な二刀流として活躍し、リーグ優勝さらには日本一に貢献

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前年の投手としての活躍で、投手一本に絞ると予想された大谷翔平ですが、世間の期待を大きく上回る二刀流としての活躍を見せ付けます。チームのエースとして期待され、2年連続で開幕投手に指名されましたが、序盤は不調が続きなかなか勝利投手になれませんでした。しかし打者大谷は絶好調で4試合連続本塁打など出場した試合で結果を出し続けます。そして、5月にはパ・リーグ史上初となる指名打者を解除して投手として出場しながら打席に立ち、投打で活躍するなど、真の二刀流としてギアをあげました。圧巻だったのは、7月のソフトバンク戦です。1番投手としてスタメンに名を連ねると、先頭打者として打席に入り初球を本塁打。その後投げては8回無失点で自ら挙げた1点を守り抜き勝利するという漫画のような世界を実現しました。

こうした大谷翔平の二刀流としての活躍が続き、日本ハムは最大11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝します。その優勝を決めた試合でも先発を務め圧巻の1安打完封、15奪三振という最高の投球内容を見せました。同試合で二桁勝利を決めて、2度目の二桁勝利&二桁本塁打を達成という例がない実績を挙げます。さらにクライマックスシリーズでも打者として出場し、その後リリーフで登板するという離れ業を演じます。自身の持つ日本最速記録を更新する165キロもマークして、チームを日本シリーズ進出へと導きました。

自身初の日本シリーズでは、第1戦に投手として登板するも敗戦。打者として出場した2戦目も落として連敗を喫します。それでも、第3戦ではサヨナラ安打を放ちました。この一打で完全に流れを取り戻した日本ハムは、4連勝で10年ぶり3度目の日本一に輝きました。シーズンオフには、史上初となる投手、指名打者でのベストナインダブル受賞、さらに初のシーズンMVPも獲得し、さらなる可能性に誰もが大きな期待を抱きました。

WBCを故障欠場したが、日本の宝がいつメジャーへ挑戦するのか

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2016年末、日本ハムと契約交渉を行い、2018年からのメジャー挑戦を勝ち取ったという報道がありました。ついに夢が実現しメジャーでも二刀流を継続するのかしないのかなど、大谷翔平の一挙手一投足に注目が集まります。そして、自身の実力を披露する上でも、また日本としてタイトルを奪還する意味でも、2017年WBCでは大谷には期待がかけられました。しかし、残念なことに、日本シリーズで故障した右足首は重傷であり、欠場を余儀なくされます。怪我の状態は芳しくなく、2017シーズンの序盤はキャリア初の長期欠場も味わいました。メジャー関係者ならずとも、気になる状態が続いています。

VictorySportsNews編集部

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