筒香嘉智について
名前 | 筒香嘉智(ツツゴウヨシトモ) |
---|---|
生年月日 | 1991年11月26日 |
国 | 日本 |
出身 | 和歌山県橋本市 |
プロフィール | 和歌山県で生まれ、小学2年生から野球を始める。中学時代には、早くもスラッガーとしての素質を開花させ全国大会にも出場。横浜高校に進学すると、1年春から4番を任される。2年夏には甲子園に出場して3本塁打、14打点とチームのベスト4入りに貢献した。
2009年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。1年目から2年連続二軍で本塁打王を獲得し、3年目から一軍試合でも多くの出場機会を得る。DeNAとして生まれ変わった2012年以降は、2年連続で打撃3部門すべてをキャリアハイで更新した。2015年末、プレミア12で日本代表に選出されクリーンナップとして活躍。同大会終了後は、ドミニカウィンターリーグで武者修行。2016年は、史上初の3試合連続マルチ本塁打など打撃が爆発し、44本塁打、110打点で2冠王を獲得。チームを初のクライマックスシリーズへと導く。2017年、第4回WBCでは4番として活躍も、準決勝で敗退。 NPB時代の通算成績は559試合、1,964打数562安打、110本塁打、351打点、4盗塁、打率.286(2016年まで)。本塁打王1回、打点王1回、ベストナイン2回。横浜高校卒、右投左打、185cm、97kg。 |
横浜高校時代は、1年春から4番を任され高校通算69本塁打
筒香嘉智は和歌山県に生まれ、小学2年生の頃から野球を始めました。中学生になると「堺ビッグボーイズ」に入り、友達と遊ぶ時間をすべて野球の練習に当てるほど没頭します。すると早くもスラッガーとしての才能が芽生え、4番として多くの本塁打を放っていました。3年生の時には全国大会ベスト8にも入り、関西選抜の4番に座り世界大会まで経験しました。
関西の名門校からの誘いも断り、神奈川県の横浜高校へ進学します。すると入学早々の1年春からチームの4番に抜擢されます。そして全国舞台でベールを脱いだのは、2年夏の甲子園でした。初戦の浦和学院戦で挨拶代わりの先制弾を放り込むと、チームは波に乗ってベスト8まで勝ち進みます。そして聖光学院との準々決勝では、満塁本塁打を含む2打席連続本塁打、そして1試合個人最多タイ記録となる8打点をあげて大勝しました。準決勝で敗れはしたものの、この大会で打率.526、3本塁打、14打点と驚きの成績を残しました。3年最後の夏は県大会で涙を呑みましたが、高校通算69本塁打のスラッガーは、同年のドラフトで注目を浴びることになりました。
横浜ドラフト1位で入団し、二軍では本塁打王もプロの壁に苦戦
同級生の超高校級投手・菊池雄星に6球団の1位指名が重複する中、横浜ベイスターズが筒香嘉智を単独1位指名します。二軍では期待をこめて4番に指名されると、いきなりイースタン記録を更新する26本塁打を放ち本塁打王を獲得しました。そしてシーズン終盤に一軍登録されると、初安打を初本塁打で飾るというプロスタートを切りました。
2年目も二軍で本塁打王を奪うと、徐々に一軍での出場が増えていきます。40試合で8本塁打と長距離打者らしいところを首脳陣にアピールしますが、三振の数も多く安定性には欠けていました。そして期待の3年目は、108試合に出場して規定打席にも到達するほどチャンスが与えられました。本塁打は初の二桁を達成しましたが、打率は.216とリーグ最下位に沈み、プロの壁の大きさを改めて思い知らされました。
中畑清監督に4番で主将に抜擢されると、スラッガーとして大きく花開く
しかし2012年、チームが横浜DeNAベイスターズとして生まれ変わり、監督に中畑清が就任すると筒香嘉智に転機が訪れます。中畑監督は筒香を巨人コーチ時代に見た松井秀喜と同等の才能を持つ打者と信じ、大きな期待を寄せていました。
2013年、6番三塁手で自身初の開幕スタメンに抜擢されましたが、その後結果を残せない日々が続きます。するとレギュラーをベテランの中村紀洋に奪われ、出場機会が激減しました。同年は、打率.216、1本塁打、3打点と散々な結果に終わりました。
2014年、中畑監督の期待に応え、2年連続で開幕スタメンに名を連ねると、一気に打撃の安定性を上げていきます。怪我による離脱もありましたが、途中には4番すら任されるようにもなり、2年ぶりに規定打席に到達しました。そして、打率.300、22本塁打、77打点、とすべて自身キャリアハイとなる好成績を残しました。
すると2015年、中畑監督は、23歳の筒香をチーム最年少キャプテンに任命しさらなる成長を促します。まさにチームの浮沈を、4番打者・筒香に託したのでした。春季キャンプでは自身憧れの松井臨時コーチに直接指導を仰ぐと、シーズン開始後に結果が現われます。同年、5月に月間MVPを奪う活躍を見せて、チームは前半戦を首位で折り返します。セ・リーグは稀に見る混戦となり、最終的には最下位に沈みましたが、チームとして確かな手ごたえを掴みました。筒香も、前年の成績をさらに全て上回る打率.317、24本塁打、93打点で初のベストナインにも輝きました。
ドミニカウィンターリーグでの武者修行でさらに進化
2年連続3割達成と安定感を増した筒香嘉智は、2015年オフにさらに大きな経験を積みました。10月には第1回WBSCプレミア12において日本代表に選出されます。それまでの国際大会の4番は不動で中田翔(日本ハム)が務めていましたが、筒香は試合ごとに入れ替えで4番に指名されます。そして全8試合に出場して、打率.385、5打点と活躍しました。
そして同大会終了後は、ドミニカウィンターリーグに参戦します。毎年、期待の若手が挑戦する事はありましたが、主力選手がこの時期に行く事は異例でした。クリーンナップとして10試合に出場し34打数7安打と好成績は残せませんでした。しかし、このリーグで、大きなヒントを掴んで帰ってきました。それは外国人特有の動くボールに対するバッティングであり、軸足に重きを置いた新たなフォームでした。
2016年は圧巻の2冠王獲得、そして日本不動の4番に成長
ドミニカでもバットを振り続けた筒香嘉智は、2016年、ホームランバッターとして大きな進化を遂げました。特に夏場の活躍は手がつけられないほどとなります。史上初の3試合連続マルチ本塁打などで月間6度のマルチ本塁打と打ちまくり、初の40本の大台に乗せました。本塁打量産の要因としては、逆方向への流し打ちでもスタンドイン出来るようになったことが挙げられます。広角打法でアーチを量産し、同年は44本塁打、110打点で初タイトルを2冠王で飾りました。そして主砲の好調に引っ張られるように横浜DeNAとして初のクライマックスシリーズ進出も決めました。
そして2017年シーズン前には、第4回WBCに日本代表として出場します。下馬評は低かったチームでしたが、予選ラウンドを全勝で通過します。その裏には、筒香が不動の4番として効果的なバッティングをしていたからでした。アメリカとの準決勝で惜しくも破れてしまいましたが、大会トータルで3本塁打、8打点と主砲としての役割を果たしました。国際大会で自信をつけた日本の4番は、メジャー志向も強いだけに近い将来海を渡るとも言われています。