名前デーブ大久保(デーブオオクボ):本名は大久保博元
生年月日1967年2月1日
日本
出身茨城県大洗町
プロフィール甲子園には出場していないが、高校3年間で52本塁打を記録。

1985年プロ野球西武に入団。バッティングセンスがよく、1年目はファームで4番を打ち続けた。1992年巨人に移籍、捕手として一軍で活躍し6月の月間MVPに選ばれる。1995年のシーズン終了後に現役引退。

のちタレントに転向、デーブ大久保の名でバラエティ番組やCM等に出演。1997年には時代劇「真田幸村」(テレビ東京)で俳優デビュー。また、1996年ソフトボール選手としてアマチュアに復帰し、高知・闘犬センターで4番を打つ。

2008年、西武打撃コーチに就任。2012年楽天打撃コーチ、2013年から二軍監督、2015年一軍監督。同年チームは最下位に沈み、退任。

通算成績は303試合、635打数158安打、41本塁打、100打点、1盗塁、打率.249。水戸商業高等学校卒、右投右打、180cm、108kg

小学生から野球を始めると、水戸商業高時代に通算52本塁打

デーブ大久保(本名:大久保博元)は茨城県に生まれ、3歳のときに父を心筋梗塞で無くしたため、母の手一つで育てられます。1歳年下の弟と一緒に小学生時代から野球を始めると、毎日素振りを欠かさず続け、6年生時代には日に500回バットを振りました。同年チームの4番を打って関東大会に出場すると、中学生時には全国選抜リトルリーグ野球大会に出場するまで実力をつけます。

水戸商業高校に進学すると、持ち前のパワーを生かし本塁打を連発します。2年生の時には、捕手として茨城県大会に出場し決勝まで勝ち上がりましたが、甲子園進出は実現できませんでした。主将となった3年生の時にも、前年に続いて県大会突破はできず甲子園は夢と消えます。しかし、高校通算52本塁打の実績で、水戸の怪童と呼ばれスカウトの注目を集めていました。

西武ライオンズ1位指名も正捕手・伊東勤の厚い壁に阻まれる

1984年ドラフト会議において、デーブ大久保は西武ライオンズから1位指名を受けます。1年目の1985年、プロ初安打こそ記録しましたが5試合の出場に終わり、主にファームで4番打者を務めました。一方同年から一軍の正捕手には、期待をこめて4年目の伊東勤が抜擢されます。それでも、長打力のある大久保は球団からの期待は大きく、1986年は1年間アメリカ野球留学というチャンスが与えられました。

そして帰国後の1987年、一軍の登竜門でもあるジュニアオールスターでMVPをとり、56試合に出場して初本塁打を含む3本塁打と頭角を現します。しかし、その出場は代打出場がメインであり、マスクをかぶる機会はほとんどありませんでした。伊東は、すでに西武を日本一に導くなど大きな経験を積み、早くもリーグを代表する名捕手へと成長しています。ただでさえ、守備力に難がある大久保では相手にならず、年々出場機会を減らし、1991年は自己ワーストの5試合出場に終わりました。

巨人へ移籍すると長打力を存分に披露して、一時救世主となる

1992年シーズンが始まった5月、デーブ大久保に大きな転機が訪れます。当時、西武の実質的中心人物であった根本陸夫の計らいで、中尾孝義とのトレードが決まり巨人へ移籍しました。同年の巨人は開幕ダッシュに失敗し、下位に低迷していました。ところが大久保がチームに合流して正捕手を務めると一気にムードが変わります。

得意の打撃で効果的な本塁打を放つなど、オールスターまでに打率.300、12本塁打と大きくチームに貢献し、6月の月間MVPを受賞しました。大久保が本塁打を放った試合では負けないことから、不敗神話もできあがり5月最下位だったチームを前半戦で首位に浮上させます。しかし、1シーズンを乗り切ったことがなかったこともあって、夏場以降は大きく失速し、チームも優勝を逃しました。

1993年以降も、村田真一捕手と併用で起用され相変わらずの長打力を見せ付けます。しかし同年は左腕骨折で長期離脱しました。1994年も62試合出場に終わりましたが、古巣西武との日本シリーズでは意地を見せ付けます。第4戦、1点ビハインドの9回2死から代打で登場し、涙の同点アーチをスタンドに放り込みました。

骨折が原因となり、28歳にして現役引退を決意

1995年、2年ぶりに開幕スタメン捕手として、エース斎藤雅樹の完封勝利を演出しました。その後、村田真一との併用起用は前年どおりでしたが、4月末、打席で空振りをした際にバランスを崩して足首骨折を負います。

約1ヵ月半後、1試合スタメンマスクとして復帰しましたが、同年はデーブ大久保のプロ野球選手としての最後の年となりました。この骨折が命取りとなり、28歳という若さで現役引退を決意します。実働にして10年でしたが、303試合の出場に留まり、西武、巨人のどちらでも正捕手の座を獲得することはできませんでした。

西武コーチ時代、中村剛也をホームランバッターへ目覚めさせる

現役引退後は、デーブ大久保の名でタレント活動やプロゴルファーへ挑戦するなど様々分野で活躍します。明るいキャラクターは評判となり、野球解説者としても評判でした。しかし、2008年、西武ライオンズの監督に渡部久信が就任すると、強い要請を受けて一軍打撃コーチに就きました。

熱血漢のコーチぶりが、時に鉄拳制裁も辞さず球団から厳重注意を受けたこともあります。しかし、もともと長距離打者の素質があった中村剛也へ効果的なアドバイスを送ると、球界を代表するホームランバッターに転身させるなど、好指導者としての一面も見せました。

星野仙一退任後に、楽天監督を務めるも、最下位に沈み1年で辞任

2012年からは、星野仙一が監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチに就任します。翌年からは同二軍監督を務めると、2014年の星野監督休養時は代行監督として一軍指揮を執りました。同年で星野監督退任すると、2015年二軍監督からの昇格という形で、楽天一軍監督を務めます。

楽天は、2013年に悲願の日本一を達成しましたが、その年でエース田中将大、5番打者マギーが抜け、2014年限りで当時4番を打ったアンドリュー・ジョーンズも退団していました。新たに補強をして臨みましたが、即戦力として働いてくれません。クローザー予定だったミコライオもシーズン前に椎間板ヘルニアを発症したため、急遽、先発要員だった松井裕樹を転向させます。松井は33セーブ、防御率0.87と守護神として君臨しこの起用は大成功しました。しかしチーム状況は開幕から悪く、クライマックスシリーズ進出の可能性がなくなった時点で、監督退任を発表しました。
自身最後の挨拶で、居酒屋をオープンすることを公表するという異例の形となりましたが、2017年にはそれを実現しています。

VICTORYアスリート名鑑

著者プロフィール VICTORYアスリート名鑑

VICTORYアスリート名鑑編集部のアカウントです。