岩崎恭子について

名前岩崎恭子
生年月日1978年7月21日
日本
出身静岡県沼津市
プロフィール5歳から水泳を始める。小学2年から選手生活に入り、6年のとき短水路の学童日本新記録(100メートル1分12秒79)をマーク。92年女子バタフライの春名、背泳ぎの稲田とともに最年少の13歳で平泳ぎのバルセロナ五輪代表選手に選ばれる。200メートル予選に2分27秒78の日本新で2位。決勝では2分26秒65の五輪新、日本新をマーク、史上最年少の金メダリストに。400メートルメドレーリレーでも4分9秒92の日本新で7位。

94年、全国高校総体200メートル優勝。95年日本選手権200メートルで優勝。96年日本選手権兼五輪代表選考会100メートル2位。同年7月アトランタ五輪では200メートル10位。97年日本大学文理学部に進学。00年引退。同年のシドニー五輪ではテレビ朝日のキャスターを務める。

姉とともに水泳を始め、才能が開花

岩崎恭子が水泳を始めたのは5歳の時でした。キッカケは姉が習っていた水泳を自ら志願してクラブに通い出したことでした。瞬く間に岩崎の才能は開花していき、小学2年生になるころにはすでに競泳選手として台頭します。

そして6年生になった90年、岩崎は100mで1分12秒79をマークして、短水路での学童日本記録を更新しました。一躍注目の的となります。その活躍が認められ、92年に行われるバルセロナオリンピックの水泳選手の日本代表として選出されました。

バルセロナ五輪で金メダル。一躍注目の的に

92年のバルセロナオリンピック、岩崎恭子は水泳選手として史上最年少の選手として選出されましたが、メダルを期待されることは全くない無名の選手でした。

というのも、当時の水泳日本代表には日本選手権で3冠を達成した千葉すずにメダルを期待され、岩崎は出場することだけがクローズアップされ、メダル云々を期待されるような選手ではありませんでした。岩崎自身もインタビューで「決勝まで残れればいい方だと思う」と語り、当の本人も出られるだけ満足と行った様子でした。

ところが、岩崎はそのバルセロナオリンピックでまさかの大活躍を見せます。競泳女子200m平泳ぎで岩崎は予選を勝ち上がり、自身が目標にしていた決勝戦へと進出しました。3位までに入ればメダルとなる決勝で岩崎はロケットスタートを決めて先頭に立つとそのまま後続を振り切って見事に優勝を飾ります。その時のタイム2分26秒65は当時のオリンピック新記録であり、自身の生涯最高タイムとなりました。

岩崎の大健闘は日本中にニュースとして伝わり、史上最年少となる14歳6日での金メダル獲得しました。競泳女子の200m平泳ぎでの金メダルは1936年のベルリンオリンピックでの前畑秀子以来の快挙でした。日本人としては56年ぶり、史上2人目となりました。

この表彰式の後、岩崎はインタビューで「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と語り、一躍日本中の注目を浴びるようになりました。他にもこの大会、岩崎はメドレーリレーに出場して7位入賞、100m平泳ぎでは13位という成績を残しました。

国体等でも活躍。同世代では敵なし

バルセロナオリンピックの大健闘で一躍注目を集める存在となった岩崎恭子。世界で最も速いスイマーとなった岩崎は高校進学後も水泳を続け、当然のように活躍を収めていきます。

94年には全国高校総体200mで岩崎は優勝を飾ると、95年には日本選手権で200mでも優勝を果たします。この距離では岩崎に敵なしという印象を強く与えます。

しかし、史上最年少での金メダリストになったことは岩崎を後々苦しめるようになります。メダル獲得直後から岩崎にストーカーや嫌がらせ行為をする人が現れたこともあり、水泳だけでなく私生活でも岩崎は気を遣うようになっていきます。やがて、そうした神経をすり減らす生活に嫌気がさし、水泳の練習も休みがちになったといわれます。「成績が下がれば、注目されなくなるだろう」と考えたという岩崎ですが、それでも大会に優勝するなど、競泳選手としての実力は天才的だったことがわかります。

ほぼ毎日だったというストーカーや嫌がらせ行為の影響からか、岩崎が敬愛していた姉が水泳をやめてしまいます。岩崎は自身のせいでと自分を責め立て、スランプに陥りましたが、姉からの励ましもあって復活を果たします。アトランタオリンピックイヤーとなった96年、日本選手権兼五輪代表選考会で100mを2位で切り抜け、見事に2大会連続でオリンピック選手として選出されることになりました。

アトランタ五輪後、病魔を理由に突然の引退

岩崎は紆余曲折ありながらアトランタオリンピックを迎えました。そして、バルセロナオリンピックと同様に水泳の日本代表選手として選出され、2大会連続のメダルが期待されます。

前回大会で金メダルを獲得した200m平泳ぎ、岩崎は決勝までは進出しましたが、決勝戦では全く伸びずに10位に終わると、100m平泳ぎに至ってはなんと予選落ちを喫しました。コンディションとしては今一つのまま、岩崎のアトランタオリンピックは終わってしまいました。

この当時で18歳、岩崎は次のシドニーオリンピック、そしてその先元期待される選手でしたが、この頃から岩崎の体に病魔の影が忍び寄ります。

そして98年、岩崎は伝染性膿痂疹を発症します。水泳選手としては致命的とも言える皮膚の病気を患ってしまった岩崎はこの病魔を理由に現役引退を決意しました。わずか20歳にして岩崎は享栄から姿を消すことになりました。

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