田島寧子について
名前 | 田島寧子 |
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生年月日 | 1981年5月8日 |
国 | 日本 |
出身 | 神奈川県鎌倉市 |
プロフィール | 3歳から水泳を始める。幼稚園の時東京・練馬に転居、以来南光SSに所属。小学6年の時ジュニア五輪杯(JOC)に初出場し、中学3年の時同大会で200と400メートル個人メドレーの二冠を獲得。1997年短水路W杯でも二冠を達成。同年東京立正高に進学、パンパシフィック選手権400メートル個人メドレー4位のほか、インターハイと国体で優勝。98年世界選手権400メートル個人メドレーで、4分39秒45の日本記録をマークし、銅メダルを獲得。同年4月日本短水路選手権200メートル個人メドレー、400メートル自由形で優勝。同年6月日本選手権200メートル、400メートル個人メドレーで優勝。8月インターハイ400メートルで優勝。同月ジュニア五輪杯で2分16秒20の大会新記録を出し3連覇。同年12月バンコク・アジア大会400メートル個人メドレー金メダル、800メートルリレーで銀メダルを獲得。200メートル個人メドレーは4位。99年3月ジュニア五輪杯200メートル個人メドレー優勝。同年4月日本短水路選手権400メートル個人メドレー優勝。同年8月パンパシフィック選手権400メートル個人メドレー銀メダル。2000年日本体育大学に進学。同年4月日本選手権400メートル個人メドレーで4分39秒13の日本記録をマークし4連覇。同年シドニー五輪400メートル個人メドレーで銀メダルを獲得するが、直後に怪我を負い他の種目では活躍できなかった。01年7月引退し、タレントに転身。同年10月テレビドラマ「歓迎!ダンジキ御一行様」にレギュラー出演する
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病気克服のために始めた水泳で素質開花
明るいスマイルで知られる田島寧子は生まれた頃は身体の弱い少女でした。中でも彼女を苦しめたのは喘息で、両親は引っ越しを機に田島に水泳を習わせます。この時、田島はまだ3歳。しかし、生まれ持ったセンスからか、田島はすぐに泳げるようになり次第にスイミングスクールでも頭角を現していきました。それは田島が引っ越した後に所属した南光スイミングスクールでも変わりませんでした。
田島が初めて表舞台に姿を現したのはなんと小学6年生のころ。この時田島はジュニアオリンピックに初出場。この時は出場するだけにとどまりましたが、中学3年生になると200mと400m個人メドレーの二冠を獲得。中学卒業間際の97年には短水路ワールドカップでも二冠を達成しました。
ちなみに田島が通っていた小学校、中学校には水泳部そのものがありませんでしたが、南光スイミングスクールに通い続けたことで外部の試合に出場し実績を残していったというエピソードがあります。
高校時代にタイトル総なめ。実力をアピール
中学を卒業した田島寧子が進学したのは立正高校。自身のキャリアの中で初めて水泳部のある学校に進学した田島はここにも所属し、スイミングスクールでも泳ぐという水泳漬けの日々を送ることになります。そうした彼女の実績はすぐに大会でも現れます。
田島が最初に出場したのはパンパシフィック選手権。この大会の400m個人メドレーで4位に入ると、インターハイと国体では優勝。さらに翌98年には世界選手権に出場し、400m個人メドレーで4分39秒45の日本記録をマークして、田島は銅メダルを獲得します。
田島の勢いは収まらず、この年の4月に行われた日本短水路選手権の200m個人メドレー、400m自由形で見事に優勝。返す刀で6月には日本選手権の200m、400m個人メドレーを優勝。8月には前年に制したインターハイ400mで優勝して軽々と連覇を達成します。
さらに中学3年生から2連覇中だったジュニアオリンピックでも2分16秒20の大会新記録を出し見事に3連覇。年末のバンコク・アジア大会では200m個人メドレーは4位と取りこぼしましたが、400m個人メドレーで金メダル、800mリレーで銀メダルを獲得。99年の3月に行われたジュニアオリンピックで200m個人メドレー優勝します。
高校3年生になったばかりの4月に行われた日本短水路選手権400m個人メドレー優勝。8月にはパンパシフィック選手権400m個人メドレーで銀メダルと、高校時代だけでこれだけのタイトルを獲得。翌年に行われるシドニーオリンピックでも期待される存在になっていきました。
流行語大賞を生み出した、シドニー五輪の活躍
シドニーオリンピックイヤーとなった2000年、田島寧子は高校を卒業すると日本体育大学へと進学。進学早々、田島は日本選手権女子400m個人メドレーを制して、高校時代から通算して4連覇を達成。堂々たる実績を引っ提げて、シドニーオリンピックへ出場しました。
メダル候補として期待されていた田島ですが、この大会でも田島は実力をいかんなく発揮。女子400m個人メドレーでは圧倒的な実力を持って決勝に進みます。メダルがかかった決勝戦で田島はウクライナのヤナ・クロチコワにあと一歩及ばずに敗れましたが、それでも銀メダル獲得&4分35秒96の日本新記録を樹立という堂々たるもの。なお、田島のこの銀メダルがシドニーオリンピックにおける、日本人選手のメダル獲得第1号となりました。
堂々たる成績を残した田島ですが、インタビューでは悔しさ爆発。中でも最も知られるコメントが「めっちゃ悔しぃ~!!」「金がいいですぅ~!!」。悔しさをにじませつつも笑顔で語った田島のあどけない表情はお茶の間の注目を集めました。この時のコメントは後に00年の流行語大賞となり、大会終了後にはベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2000を受賞するほどでした。
しかし、好事魔多しといったところで、この後の田島に悲劇がやってきます。それは400m個人メドレーの表彰式。表彰台に挙がろうとした田島はなんと表彰台から落ちてしまい、その際に左足を捻挫するというアクシデント。そのため、他の出場種目である200m個人メドレーと400m自由形では精彩を欠いて、まさかの予選落ち。そして結果的にこれが田島のキャリアを縮める形となりました。
突然の現役引退。タレント・女優へ転身
シドニーオリンピックで銀メダルを獲得した後、田島寧子の泳ぎは精彩を欠くようになりました。痛めた左足の回復が遅れたことで今までならば勝てた大会も落とすようにないます。これで田島は01年、現役引退を発表。日本体育大学も中退してタレント業へ転身します。田島はこの決断を水泳連盟には相談せずに決めたために賛否両論ありました。
しかし、田島は芸能界入りに対して「将来の夢は女優」と語っていた通り、芸能界入り後もドラマや映画に出演するなど、引退後も活躍する姿をファンの前に見せてくれました。