エムボマについて

名前 パトリック・エムボマ
生年月日 1970年11月15日
カメルーン
出身 カメルーン・ドゥアラ
プロフィール 1992年フランスのシャトールーでプロ契約。のちパリ・サンジェルマン、メス、再びパリ・サンジェルマンを経て、’97年Jリーグのガンバ大阪に入団。同年25ゴールを決め得点王。’98年シーズン途中に退団。同年7月セリエBグループのカリアリを経て、2001年セリエAのパルマに移籍。一方、カメルーン代表としては、1998年W杯フランス大会に出場。2000年シドニー五輪ではオーバーエージ枠で出場、エースストライカーと主将を兼任しカメルーン史上初の金メダルに導く。185センチ、85キロ

フランスでキャリアをスタートさせるも、出場機会に恵まれず

エムボマがサッカーを始めたのはフランスですが、生を受けたのはカメルーンのドゥアラでした。しかし、2歳の時にエムボマの家族は一家揃ってフランスへ移住、そのため、2重国籍の選手となり、後にEU圏内のクラブチームでは外国人選手になりませんでした。

エムボマがサッカー選手としてのキャリアを始めたのはパリのスタード・ドゥレストでした。ここに入団したのち、パリのサンジェルマンFCへ移籍します。エムボマは90年から97年までこのチームに所属しましたが、92~94シーズンは3部リーグのLBシャトールーにレンタル移籍を果たします。このチームでエムボマは29試合で17得点を記録して頭角を現します。しかし、本来所属するサンジェルマンFCでは出場機会に恵まれず、95-96シーズンはFCメスへと転々とします。

浪速の黒豹と称され、驚異の得点数をマーク

3部リーグで出場した際は活躍を見せたエムボマですが、フランスでは出場機会に恵まれませんでした。サッカー選手として脂が乗り切った27歳の時期をベンチウォーマーとしてはもったいないとして、エムボマは出場機会を求めて、他国のクラブチームへの移籍を目指します。

そんなエムボマに目を付けたのが日本のガンバ大阪でした。得点力にたけたエムボマに目を付けたガンバはすぐに契約を結びます。さっそく背番号9をつけてチームに合流すると、エムボマは今までのうっ憤を晴らすかのように大活躍を見せました。97年、エムボマは28試合に出場しますがその中で挙げた得点は驚異の25得点を挙げます。

ボールを持ったら強烈なドリブルでディフェンダーを交わして、左足で強烈なキックを放つその姿はサポーターたちからは「浪速の黒豹」と称され、また愛くるしいキャラクターから「ボマちゃん」と呼ばれるようになり人気も一気に全国区に広がりました。

そしてエムボマの評価は対戦相手たちからも高く、中でもエムボマに最大級の賛辞を与えたのは中田英寿でした。あの中田をして「反則なほど衝撃だった」とさえ語り、ディフェンダーとしてエムボマと対戦した秋田豊は「フランスワールドカップで対戦した選手よりもエムボマの方がインパクトがあった」とその実力を認めています。

イタリアへ移籍。シドニー五輪では金メダル獲得

わずか1シーズンでJリーグに強烈な印象を残したエムボマ。当然ながら97年のJリーグ得点王に輝き、翌98年の活躍も期待されました。しかし、エムボマは自国であるフランスで開催されるフランスワールドカップにカメルーン代表として出場することを希望し、98年のシーズン途中でガンバ大阪を退団します。エムボマの穴は大きすぎたのか、前年年間成績が4位に上がったチームがこの年、15位まで落としてしまいました。

カメルーン代表として出場したフランスワールドカップですが、エムボマのポジションは不慣れなボランチでした。チーム事情を優先しての起用でしたが、エムボマの個性が消えてしまったことでカメルーン代表も思うような成績を残せず、エムボマ自身もワールドカップでは第3戦で1得点を挙げるのみにとどまりました。

ワールドカップ終了後、エムボマはイタリア・セリエAのカルアリへ移籍します。2年間在籍しての通算成績は40試合で15得点とまずまずの成績を残しました。そしてエムボマのハイライトとして挙がるのが00年のシドニーオリンピックでした。この大会にオーバーエイジ枠でカメルーン代表に出場したエムボマは本来のポジションで起用されたことで大爆発します。カメルーンを史上初のサッカーで金メダルに導きました。

故障に見舞われ、35歳で現役を引退

シドニーオリンピック以降、エムボマはパルマに移籍しますが、ここでのエムボマの成績はいま一つでした。個人の身体能力が高いエムボマは組織力を優先するイタリアのサッカーにはなじめなかったと言われました。そうして02年、エムボマは日韓ワールドカップに出場することになりますが、この時は大会直前に両膝を痛めた影響で3試合1得点と思うような成績を残せませんでした。

03年、エムボマは日本のJリーグに復帰します。争奪戦の中で選んだのは東京ヴェルディ1969でした。ここでも23試合で13得点を記録、全盛期ほどの力はないと言われましたが、それでも持ち前のパワープレイでディフェンダーを圧倒した姿にサポーターは歓声を挙げました。

しかし、エムボマのキャリアも次第に終わりを迎えつつありました。04年にはアフリカ選手権で得点王を獲得しますが、古傷のひざの故障が再発してしまいます。さらにこの年からヴェルディの監督に就任したオズワルド・アルディレスとも関係が悪化し、チームを退団します。ヴィッセル神戸に移籍しましたが、そこでも故障に見舞われ、05年はわずか4試合の出場にとどまります。

この年でエムボマはもう35歳でした。サッカー選手としてはかなりの高齢になっていました。体力の衰えと故障のため、エムボマはこの年限りで現役を引退を決意します。最後の最後を日本で飾り、Jリーグサポーターに愛されての引退となりました。

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