名前森敦彦(モリアツヒコ)
生年月日1972年5月31日
日本
出身兵庫県明石市
プロフィール1991年、高校時代全日本選手権に出場。全日空を経て、1993年横浜フリューゲルスに入団。

Jリーグ創世記にチームの正GKとして活躍。1995年、審判への暴力行為で、3ヶ月間の出場停止処分を受ける。この間、新人の楢崎正剛が台頭し一気にレギュラーを失う。のちJFLのコンサドーレ札幌に移籍。1997年12月退団。

同年、東京・青葉台にバー「Rock Steady(ロックステディ)」をオープン。2004年には、元Jリーガーの石塚啓次(元東京ヴェルディ1969ほか)と、ファッションブランド「ワコマリア(WACKO MARIA)」を立ち上げる。

滝川第二高卒。179センチ、73キロ

滝川谷高校時代、全国優勝した国見と互角の戦いを演じる

森敦彦は、1972年兵庫県明石市に生まれます。そして滝川第二高校時代、ゴールキーパー(GK)として活躍し、3年時に兵庫県代表として第69回全国高等学校サッカー選手権大会へ出場しました。初戦で日大山形を破り3度目の挑戦で初勝利を上げると、続く2回戦でも奈良育英を破って3回戦に進出しました。相手は、優勝候補筆頭の国見高校(長崎)。真正面にぶつかっても叶わない強敵に対し、堅実な守備で接戦に持ち込みます。GK森を中心に、得点を許さずカウンターを狙いましたが、チームも得点できません。結局、0-0のまま終了し、決着はPK戦に持ち込まれました。しかし滝川第二は、国見の2年生GK塚本秀樹に防がれて、1-3で敗れます。そのまま、国見は勢いに乗り優勝を収めました。森にとっては悔しい敗戦でしたが、大会優秀選手に選出されます。そして国見は全5試合で唯一、滝川第二のゴールだけはこじ開けることができませんでした。

独特の風貌で、横浜フリューゲルス人気の正GKを務める

1991年、高校を卒業した森敦彦は、当時JSL1部に所属していた全日空横浜サッカークラブへ入団します。同年のリーグ戦では1試合も出場することはありませんでした。そして時代はJリーグ元年の1993年を迎えます。全日空横浜サッカークラブは、横浜フリューゲルスとして、オリジナル10と呼ばれた開幕の10チームに名を連ねました。チームの指揮は、1991年から加茂周が執っていましたが、Jリーグ創世記の正GKに森敦彦を抜擢しました。10チーム中、最も若いGKとなった森は、ロングヘアやドレッドヘア、そして鮮やかなバンダナ着用など、独特の風貌で一躍有名になります。もちろんプレーもチームが進めるソーンプレスの要として躍動的な動きを見せました。

Jリーグ1年目は、全36試合に出場してレギュラーを守り、ナビスコカップ、天皇杯含めてシーズンの全試合に出場します。リーグ戦では、総合6位と不本意でしたが、ナビスコカップベスト4、天皇杯優勝とチームのタイトルにも大きく貢献しました。2年目の1994年も、正GKとして全44試合中37試合に出場します。現役でありながらテレビ出演するなど、レゲエ愛好家のGKとして、かなりの人気を誇っていました。

暴力行為がきっかけで、新人・楢崎正剛にレギュラーを奪われる

3年目も、前半のサントリーシリーズ26試合にフル出場と、レギュラーの座を譲りません。その活躍は若くして日本代表候補にもなったほどでした。しかし、後半のニコスシリーズ開幕戦、自身のサッカー人生を揺るがす大きな事件が起こります。森敦彦は、浦和レッドダイヤモンズ戦で、判定を不服として審判に抗議しました。そして故意に肩を当てたと判断され、暴力行為として、まさかの3ヶ月出場停止という思い処分を下されます。この瞬間、後半のシーズンをすべて棒に振りました。

森不在の間も、当然試合は行われます。そして、この時、代わって正GKとなったのがルーキー楢崎正剛でした。突如手にしたチャンスに対し、ニコスシリーズのほとんどの試合でゴールを守り、貴重な経験を積んでいきます。そして、翌1996年シーズンを迎え、森は出場停止処分から空けて復帰しましたが、開幕戦のゴールマウスには楢崎が立っていました。そして、19歳のGKは開幕戦から6試合連続無失点を達成し、実力でレギュラーの座を強固なものとします。チームも順調に白星を重ね、1ステージ制となった前半をトップで折り返しました。終盤に失速して3位に終わりましたが、楢崎にとっては飛躍のシーズンとなり、同年の森の出場はわずか7試合に終わりました。

コンサドーレ札幌へ移籍するも、25歳の若さで現役引退を決意

その後も楢崎正剛は大きく成長し、川口能活とともに日本代表GKとして名乗りを上げます。4度のワールドカップ出場など、2017年現在も現役として君臨しています。森敦彦は、完全に居場所がなくなり、1997年からは旧JFLのコンサドーレ札幌へレンタル移籍しました。しかし、同タイミングでGKハーフナー・ディドがチームに加入していたため、出場はわずか5試合に留まります。すると、当時25歳だった森は、その年限りで現役引退という驚きの選択をしました。

一転してデザイナーへ転身し、華麗なるセカンドキャリアを歩む

突然の引退後、森敦彦は華麗に第2の人生をスタートさせました。1997年、東京・青葉台にバー「Rock Steady(ロックステディ)」をオープンします。選手時代からレゲエ愛好家として有名でしたが、本格的なサウンドシステムにこだわる店として、大きな注目を集めました。さらに2004年からは、同じく元Jリーガーの石塚啓次(元東京ヴェルディ1969ほか)とともに、ファッションブランド「ワコマリア(WACKO MARIA)」を立ち上げます。自らがデザイナーとなり、石塚も2012年までディレクターとして協力しました。多くのファッション誌にも商品が紹介され、人気のメンズブランドとして、不動の地位を誇っています。

そしてWACKO MARIA創業10周年となった2015年、東京・中目黒に初の旗艦店「PARADISE TOKYO(パラダイス・トーキョー)」を出店しました。こだわりあふれるヴィンテージサウンドが流れ、独特な空間を演出しています。サッカーでは世界と戦えませんでしたが、デザイナーとして世界から注目されるなど、素晴らしいセカンドキャリアを築いています。


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