名前千葉直樹(チバナオキ)
生年月日1977年7月24日
日本
出身宮城県仙台市
プロフィール小学生時代から、スポーツ少年団でサッカーを始める。

中高一貫の東北学院に入学し、高校時代からJFLブランメル仙台でプレー。1999年からはベガルタ仙台としてJ2に参入。3年目の2001年、最終節で逆転2位を確保して、東北初のJ1昇格を実現。

2003年、J1でチームは15位となり再びJ2へ降格。しばらくの間、J2での戦いを余儀なくされるも、2009年、J2で初優勝。さらに2010年もJ1で14位に入り残留。しかし2010年限りで現役引退を決意。

現役引退後の2013年、東北フットサル1部のヴォスクオーレ仙台へ入団。3シーズン選手として過ごし、2016年3月に同チームのスーパーバイザーに就任。東北学院高卒

東北学院高校在学時から、ブランメル仙台に入団してプレー開始

千葉直樹は、1977年宮城県仙台市で生まれます。両親が巨人ファンだったことから、木町通小学校では野球をしていました。しかし、台原小学校に転校するとサッカーチームしかありません。転校生ということもあって、早く溶け込みたい気持ちもあって、スポーツ少年団でサッカーを始めました。その後は、サッカーにのめり込み、一貫教育の総合学園である東北学院中学へ進学します。現在も関東以北の私学の雄としてその名が知られている東北学院は、サッカー部も県下有数で全国高等学校サッカー選手権にも出場経験がありました。

高校でももちろんサッカーを続けましたが、3年生からはブランメル仙台に入団して、当時のジャパンフットボールリーグ(JFL)での戦いに加わります。東北学院大学入学後も学業と二足のわらじがしばらく続きました。1998年には、全30試合中26試合に出場するなど、チーム不可欠の存在となります。1995年にJリーグ準会員となっていたチームは、同年JFL最後の年を最下位の7位で終わりました。

ベガルタ仙台の主力としてプレーし続け、3年でJ1昇格を実現

1999年、Jリーグは2部制がスタートし、そのタイミングでベガルタ仙台と改称して新設されたJ2に参加しました。元々、プロ選手を目指していなかった千葉直樹は、知らず知らずのうちにプロサッカーの道へ足を踏み入れます。1999年のJ2元年、全36試合中の31試合出場とMFとして主力となりました。しかし、ベガルタ仙台は10勝しかできず10チーム中の9位に沈みます。2年目は、いきなり開幕5連敗と最悪のスタートでしたが、その後巻き返しを図り、11チーム中の5位と躍進しました。

2001年、一気にJ2を制覇して、J1昇格を目指すチームは、ブラジル人FWのマルコス、元日本代表の岩本輝雄らを補強します。さらに2年前にチームに加入していた財前宣之も大きな戦力となりました。千葉、岩本、財前ら中盤3人が機能し、トップのマルコスにどんどんボールを供給します。するとマルコスはゴールを量産し34得点で得点王に輝きました。チームも3位で最終節を向かえます。最終戦、首位の京都パープルサンガを破ると、2位だったモンテディオ山形が破れたため逆転で2位に浮上し、東北地方初のJ1昇格が決定しました。

再びJ2へ降格し、数年足踏みするもJ2初優勝して再昇格

初のJ1で戦うため、チームは更なる補強をします。千葉直樹とかぶるMFとしてシルビーニョ、森保一らが加入したことで、前年までと変わって出場機会が減りました。昇格初年度は1stステージ9位、2ndステージ15位でJ1残留を決めます。翌年、千葉の出場はさらに減って8試合となり、FW佐藤寿人も加入しましたが、総合15位で再びJ2降格となりました。

即座にJ1昇格したいベガルタでしたが、2004年以降、毎年監督が代わるという不安定なシーズンが続きます。戦力補強もそうできない状況の中で千葉が再びチームを支えました。2シーズン、出場機会が減っていましたが、同年から中盤のレギュラーに定着して多くの試合に出場します。それでもJ2降格してからの4年間、4位から6位という入れ替え戦にも出場できないシーズンが続きました。2008年、久しぶりに3位を確保しJ1入れ替え戦に挑みます。しかしジュビロ磐田とのプレーオフは、1分1敗に終わりJ1復帰を果たせませんでした。

Mr.ベガルタと呼ばれたフランチャイズプレイヤーもついに引退

2009年、手倉森誠監督体制は、チームとして久しぶりの2年目に突入します。同年は実に全51試合という長丁場のJ2リーグ戦となりますが、ホームゲームで異常な強さを見せました。12連勝さらにはホーム23戦無敗というJ2新記録を樹立し、優勝争いを演じます。ベテラン千葉直樹も、生え抜きのプレイヤーとして40試合に出場してキャリアハイの5得点と存在感を見せました。そして最終節で2位セレッソ大阪が敗退し、ついに初のJ2優勝が決まります。ベガルタ仙台を最初から知る男は、再びJ1の舞台へ帰ってきました。

地元出身であることから、ミスターベガルタの異名を持っていた千葉は、プロ15年目のシーズンに突入します。目標のJ1残留を達成するために、チームはもちろん補強して臨みました。開幕こそ好調でしたが、苦しい戦いが続きます。常にJ2降格危機の中、千葉もベテランとして25試合に出場してチームを支えました。かなり綱渡り的な状態でしたが、最終節でJ1残留を確定させます。しかし、それと同時にベガルタのすべての歴史を体験してきた千葉は、ユニフォームを脱ぐことを決意しました。15年で、472試合に出場してきたレジェンドの引退で、ブランメルを知る選手は全員がピッチを去りました。

フットサル選手として復帰しモデル・タレント業と両立させる

現役引退後は解説者生活およびモデルとしても過ごしていましたが、2013年10月、東北フットサル1部のヴォスクオーレ仙台への入団が決まります。ベガルタ時代と同じ背番号7をつけて3シーズンを選手として戦いながら、モデル・タレント業も続けました。2016年には、ヴォスクオーレ仙台のスーパーバイザーとしても活躍しています。


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