佐伯美香について

名前 佐伯美香
生年月日 1971年9月25日
日本
出身 愛媛県松山市
プロフィール 小学6年でバレーボールを始める。高校卒業後、ユニチカに入社。平成元年世界ジュニア選手権2位、3年黒鷲旗大会優勝。5年全日本に選ばれ、日本リーグ2位、6年ビーチバレー・ジャパンレディース優勝。7年Vリーグでは、チームの15年ぶりの優勝に貢献、MVPを獲得。8年アトランタ五輪代表。9年3月退社し、ビーチバレーに転向。同月ダイキ(松山市)とプロ契約。高橋有紀子とペアを組み、10年バンコク・アジア大会で銀メダルを獲得。12年ワールドツアーブラジル・オープンで、世界ランク1位のシェルダ、アドリアナ・ベアル組を破り、3位。同年シドニー五輪4位。13年現役を引退。指導者として活動する。

インドアバレーボールで才能開花!

佐伯美香が生まれたのは愛媛県松山市。身長こそ低めでしたが、運動神経抜群だった佐伯は小学6年生でインドアバレーボールを始めます。バレーボールの基礎を学んだ佐伯は高校では京都成安高校へ進学。ここでもバレーボールを続けた佐伯は卒業後も実業団でのプレーを希望するようになります。高校時代の佐伯のハイライトとなったのは高校3年生だった89年の世界ジュニア選手権の準優勝。スピーディーなプレーがこの頃から佐伯のウリでした。

そして高校を卒業した90年、佐伯はユニチカに入社します。入社して間もない91年にはチームを黒鷲旗大会優勝に主力選手として貢献します。

ユニチカの主力として日本代表入り

ユニチカの主力選手として台頭してきた佐伯美香。当然ながらバレーボール日本代表からも声がかかるようになります。佐伯が初めてメンバー入りを果たしたのは93年。アタッカーとして活躍した佐伯はユニチカでも日本リーグで2位に入る活躍を見せます。

そしてこの頃から佐伯はインドアバレーボールがシーズンオフになると新たな競技に目を向けるようになります。それはビーチバレー。ペアで行うバレーの方がよりスピーディーで佐伯のプレースタイルに合っているという理由からの行動でしたが、佐伯はチームメイトとペアを組んで大会に出場するようになります。その献身的な姿勢が実ったのか、94年にはビーチバレー・ジャパンレディースという大会で優勝を飾りました。

そして、バレーボール選手として佐伯が本領を発揮したのが95年。まずは所属するユニチカを第2回Vリーグで15年ぶりの優勝に導き、佐伯自身も最高殊勲選手、レシーブ賞、ベスト6とタイトルを続々と獲得。さらに日本代表選手として佐伯はワールドカップにも出場し、エースとして台頭します。

迎えたオリンピックイヤーの96年、佐伯はもちろん女子バレー日本代表に選出されます。アトランタオリンピックに出場した女子バレー日本代表のエースとして世界にわたり合いますが、残念ながらアトランタオリンピックでの成績は9位どまり。そして大会終了後には代表からも外れてしまいました。

ビーチバレーへ本格転身。シドニー五輪出場へ

97年、佐伯美香は長年在籍したユニチカを退社。これを機に本格的なビーチバレー選手としての活動を表明します。当時の日本ではまだビーチバレーがそこまで普及していませんでしたが、佐伯は自らのプレーを生かせる場所としてここを選び、3年後のシドニーオリンピックへの出場をかけてビーチバレーを選びます。

ビーチバレーに転向した直後、佐伯は出身地である松山市にあるダイキという会社とプロ契約を結び、本格的なビーチバレー選手に。ここで佐伯は高橋有紀子とペアを組むようになります。高橋は佐伯とは異なり、アトランタオリンピックの時点でビーチバレー選手としてオリンピックに出場していることもあり、佐伯にとっては願ってもないパートナーと言えます。

その高橋と組んで臨んだ98年のバンコク・アジア大会。佐伯と高橋のペアは向かうところ敵なしといった様子で決勝戦まで進出。残念ながら決勝で敗れてしまいましたが、堂々の銀メダルを獲得。さらに翌99年には世界選手権フランス大会に出場し、5位に入賞しました。

そして迎えたシドニーオリンピックイヤーの2000年。手始めにワールドツアーに出場し下佐伯ですが、ブラジル・オープンにて世界ランク1位のシェルダ、アドリアナ・ベアル組を破るという大金星を飾ります。その結果、佐伯と高橋のペアは3位に入賞。これで勢いづいて臨んだシドニーオリンピックは惜しくもメダルには届きませんでしたが、4位に入って存在感を見せました。

当時29歳と選手として絶頂だった佐伯ですが、翌01年、佐伯は結婚・出産のために現役を引退。ビーチバレー選手としてのキャリアに幕を閉じました。

現役復帰。2度目のオリンピックへ

一人のアスリートとしてのキャリアよりも家庭を優先した佐伯美香。しかし、一旦競技から離れるとやはり本来の闘志がうずいてくるのでしょうか。引退から1年後の02年に競技を再開。さすがに2年後のアテネオリンピックには間に合いませんが、6年後の北京オリンピックへの出場を目標として日々トレーニングを積むようになります。

その佐伯とペアを組むことになったのは楠原千秋。佐伯とは同郷で同じ題記に所属していた縁で06年からペアとなり、各地のワールドツアーに参戦するようになりました。

そうして迎えた08年の北京オリンピック。佐伯の目標はもちろん金メダルでしたが、やはりブランクの影響からか、世界のレベルは高く厚いものに。結局佐伯、楠原ペアは予選で敗れてしまいました。

オリンピック翌年の09年4月、佐伯は二度目の引退を表明。しかし、オリンピックを目指さないというだけで、競技自体は続けることになります。現在の佐伯は各地でバレーボールを普及させることに情熱を注ぎ、10年の4月からは松山東雲短大/大学女子バレーボールチームのコーチとして活動しています。

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