文=池田敏明

クラブ経営最大の危機——墜落事故の歴史

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 2016年11月28日、コロンビアのメデジン付近の山中に1機の飛行機が墜落した。この機にはブラジルのクラブチーム、シャペコエンセの選手やコーチングスタッフ、チームスタッフが搭乗していた。シャペコエンセはアトレティコ・ナシオナルとのコパ・スダメリカーナ決勝に向かう途中だった。

 この事故は乗客乗員77名のうち71人が亡くなる大惨事となり、選手の生存者はわずか3名。最初に生存が確認されたDFアラン・ルシェウは順調な回復を見せているが、GKジャクソン・フォルマンは右足切断を余儀なくされ、DFネトは体中にケガを負い、事故の記憶を失う事態にも見舞われている。

突然の悲劇に見舞われてしまったシャペコエンセだが、サッカー史を振り返ると、同じような悲劇に遭遇し、後に見事な復活を遂げたクラブか存在する。彼らは事故後、どのような道を歩んで再び栄光を掴んだのだろうか。

 1949年5月4日、トリノの選手、コーチングスタッフを載せた飛行機がトリノ市郊外の「スペルガの丘」に墜落。選手18名、コーチングスタッフ5名を含む乗客乗員31人全員が亡くなった。トリノは当時、数多くのイタリア代表選手を擁して“グランデ・トリノ(偉大なトリノ)”と称されるほどの強豪で、48-49シーズンのセリエAでも優勝目前だったが、“スペルガの悲劇”と呼ばれるこの事故で主力の大半を失ってしまった。

 シーズン残り4試合をユースチーム所属選手の起用で乗り切って優勝し、翌49-50シーズンも6位と奮闘したが、その後は中位以下の成績に甘んじることが多くなり、58-59シーズンにはクラブ史上初のセリエB降格も経験。セリエA王座に返り咲いたのは75-76シーズンで、事故から実に27年の歳月を要している。

 “スペルガの悲劇”からおよそ9年後の1958年2月6日、チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の試合を終えたマンチェスター・ユナイテッドの選手団を載せたチャーター機がミュンヘンの空港で離陸に失敗し炎上、乗客乗員44名のうち23人が死亡した。この“ミュンヘンの悲劇”により、マンチェスター・Uは中心選手だったMFダンカン・エドワーズを含む8人を失い、生存者のうち2人も再起不能となってしまった。

 マンチェスター・Uの場合は、若い選手の育成に定評があったマット・バスビー監督が一命をとりとめたのが不幸中の幸いだった。指揮官は同じく奇跡的に生還したFWボビー・チャールトンを中心にチーム再建に着手。下部組織出身のMFジョージ・ベスト、トリノから加入したFWデニス・ローの台頭などもあって少しずつ以前の強さを取り戻し、64-65シーズンには国内リーグで優勝、そして67-68シーズン、悲劇から10年目にしてチャンピオンズカップ制覇を成し遂げた。

経済活動にとどまらぬスポーツの人道的価値

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 南米では1987年12月8日に発生した“アリアンサ・リマの悲劇”が知られている。国内リーグの試合を終えて首都リマに戻る途中、搭乗した海軍機がリマ沖に墜落。乗客乗員44名のうち、生存者はパイロット1人だけで、マルコス・カルデロン監督や選手16名などが非業の死を遂げた。アリアンサは当時、国内リーグで優勝争いをしていたが、主力の大半を失い、残り数試合をユースチーム所属選手で戦わなければならなくなった。

 この時に救いの手を差し伸べたのが、OBとライバル国だった。既に引退していた“左利きの詩人”ことMFセサル・クエト、そしてペルー史上最高の選手と称されるMFテオフィロ・クビジャスが現役復帰。また、隣国チリの強豪コロコロも選手を貸し出し、アリアンサは奇跡的にリーグ戦を戦い終えている。ペルーとチリは国境紛争を繰り広げたことがあり、普段はお互いを敵視すら関係性だが、悲劇に打ちのめされたライバルに対しては、速やかに支援策を打ち出した。事故から10年後の97年、アリアンサは国内リーグを制し、ついに復活を果たしたのである。

 今回のシャペコエンセの悲劇は、アリアンサのケースによく似ている。事故直後から世界中のサッカーファミリーが様々なアクションを起こし、「シャペコエンセでプレーしたい」という選手の声も各方面から上がっているのだ。

アイスランド代表FWエイドゥル・グジョンセンが4日、墜落事故で多くの犠牲者を出したシャペコエンセ(ブラジル1部リーグ)でのプレーを希望していると、自身の公式ツイッターで明かした。(中略)さらに、元アルゼンチン代表FWフアン・ロマン・リケルメ氏は同クラブでの現役復帰を示唆し、元ブラジル代表FWロナウジーニョも代理人を務める兄のロベルト・デ・アシス氏が、「選手としてか別の形になるかは分からないが、我々がシャコペエンセを手助けすることは間違いない」とコメント。
ロナウジーニョと再共演?…グジョンセンがシャペコエンセでのプレーを希望 | サッカーキング

 サッカークラブも企業であり、その資産であり商品でもある選手たちのほとんどを失うことは、経営的な破綻を意味する。しかし、悲惨に事故に際しては人道的な振る舞いを優先し、ライバルでさえ救いの手を差し伸べてきた歴史は、スポーツが単なる経済活動にとどまらない重要な事実を示していると言えるだろう。

 多くの主力選手を失ってしまったシャペコエンセだが、この悲劇は彼らをもっと強くするはず。クラブが存続する限り、シャペコエンセはいつの日か復活を遂げるだろう。


池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。