名前石井義人(イシイヨシヒト)
生年月日1978年7月12日
日本
出身埼玉県川口市
プロフィール3歳からバットを握り、前川バンビーズ、越谷リトルシニアを経て、浦和学院高校に進学。1年夏から甲子園出場し安打も記録。4番となった3年時も春夏連続で甲子園に出場。

1996年ドラフト4位で横浜に指名され入団。打撃センスはあるものの守備力に難があり、代打生活が続く。2000年9月対広島戦でプロ初本塁打。

2002年オフに西武へトレード移籍。2004年後半から一軍に定着。2005年、自身初の開幕スタメンを掴み、5月には初の月間MVPを獲得。交流戦でも打率.400で首位打者を獲得し、初の規定打席到達でリーグ4位の打率.312をマーク。その後も貴重な戦力として、2008年の日本一にも貢献。しかし、12試合出場に終わった2011年オフ戦力外通告。

12球団トライアウトを受けて、巨人への入団が決定。2012年、代打の切り札として打率.405でリーグ優勝に貢献。クライマックスシリーズ第5戦ではサヨナラヒットを放ち、シリーズMVPを獲得。2014年、一軍出場が7試合に終わり、戦力外通告を受け引退。

2015年から2年間BCリーグ武蔵ヒートベアーズ打撃コーチ就任。2017年からは軟式野球指導者として活躍中。

通算成績は939試合、2,224打数645安打、30本塁打、212打点、22盗塁、打率.290。浦和学院高卒、178センチ、78キロ、右投左打

浦和学院時代、打撃の天才と呼ばれ甲子園にも3度出場

石井義人は、埼玉県川口市で生まれ、3歳からバットを握ります。小学生時代から「前川バンビーズ」で野球を始め、中学からは「越谷リトルシニア」に所属しました。浦和学院に進学した頃には、類まれなバッティングセンスから、打撃の天才と称されるようになります。1年夏からチームは甲子園出場を決定し、自身もベンチ入りを果たします。初戦の姫路工戦では1-3と敗戦濃厚の9回表に代打で2ベースを放ち逆転の口火を切りました。

2年秋からは石井が4番を務め、エースの三浦貴と投打のバランスがよく、関東大会で優勝を収める等、3年時は春夏連続で甲子園に出場します。ともに2回戦敗退でしたが、打撃センスは相変わらずでした。夏の甲子園終了後、日本代表に選出されて米国での日米野球に出場すると20打数11安打という驚きの数字を残します。あまりの天才ぶりにシアトル・マリナーズのスカウトから入団交渉をもちかけられるほどでした。

打撃の天才と謳われるも守備に難があって、代打生活に甘んじる

高校通算打率.462の石井義人は、1996年ドラフト会議で、横浜ベイスターズから4位指名を受けて入団します。ルーキーイヤーの終盤に一軍出場チャンスを与えられ、プロ初安打を放つなど得意の打撃を披露しましたが、2年目の一軍試合出場は1試合もありませんでした。1999年、5月ジュニア月間MVPを取り、一軍昇格間近というときに右太股に良性腫瘍が見つかります。手術を余儀なくされたため、残りのシーズンをやむなく棒に振りました。

2000年、怪我が完治すると再びファームで高打率を残して、3年ぶりに一軍に昇格すると天才といわれた打撃で一軍定着します。プロ初本塁打も記録し代打で打率.444、通算でも打率.328と非凡なセンスを見せました。2001年もリーグトップの代打打率.324を残しましたが、石井の課題は三塁手としての守備力にあり、スタメンの座を確保できません。2002年はさらに出場機会を減らし、オフに西武ライオンズへのトレード移籍が決まりました。

初の月間MVPに交流戦首位打者など、西武2年目に大ブレイク

西武でも二軍生活に甘んじていましたが、移籍2年目の2004年、後半戦は高木浩之に代わる二塁手としてスタメン機会が増えます。プレーオフでも勝負強い打撃を見せてリーグ優勝に貢献しました。すると翌2005年、自身初の開幕スタメンを掴み、6番二塁手として出場します。開幕から7試合連続ヒットを記録するなど好調が続き、5月には猛打賞を5度記録し、月間打率.395で月間MVPも受賞しました。同年にスタートした交流戦でも打棒は止まらず、交流戦打率.400で首位打者となります。後半に打率を落としたものの、初めて規定打席に到達し、リーグ4位の打率312を残すという一皮向けたシーズンを送りました。

西武の日本一奪還に貢献するも、出場機会が奪われ戦力外通告

2006年、怪我の影響で2年連続の規定打席到達は逃したものの、時には3番打者を務めて打率.312と好調を維持します。2007年は、課題だった守備で精彩を欠く事が多く、大きく成績を落としました。それでも、2008年からは2年連続100試合出場をクリアし、同年のクライマックスシリーズでは、15打数8安打と大暴れし日本シリーズ出場に大きく貢献します。巨人を破って日本一を奪還し、その後のアジアシリーズでは、ランナー一塁からのセンター前ヒットでホームインするという、西武ライオンズ伝説の走塁を再現しました。その後も規定打席には到達しないものの、勝負強いバッティングで一軍に定着します。しかし、2011年、若手の台頭もあって出場機会が12試合と激減し、オフにまさかの戦力外通告を受けました。

トライアウトを経て巨人へ移籍し、代々の切り札として復活

2011年はファームでも打率.318と結果を残していたため、石井義人は現役続行にこだわり12球団トライアウトを受験します。獲得に手を挙げたのは、まさかの巨人でした。戦力の厚い巨人においては、左の代打と言う役割を与えられます。すると驚きの勝負強さを発揮して、代打打率.405、得点圏打率.444という好成績を残し、チームの3年ぶり優勝に大きく貢献しました。さらに続くクライマックスシリーズでは、チームがいきなり3連敗を喫し絶体絶命の状況に追い込まれました。第4戦で1勝し、依然負けたら終わりという状況の中、第5戦終盤に代打で登場しサヨナラヒットでチームに勢いを復活させます。すると第6戦でも勝利を飾りアドバンテージの1勝含めて、日本シリーズ進出を果たしました。石井はこの一振りでクライマックスシリーズMVPを勝ち取ります。日本シリーズでは2打数1安打と出番は少ないものでしたが、見事チームは日本一となりました。

2度目の戦力外通告を受けて引退後は、指導者の道を歩む

2013年も代打起用が続きましたが、打率.203と大きく数字を落とします。2014年は、高橋由伸が代打の切り札的存在として君臨していたため、ほとんどをファームで過ごし、一軍試合出場は7試合に終わりました。そして同年オフに2度目の戦力外通告を受けて引退を決意します。2015年からは、BCリーグ武蔵ヒートベアーズの打撃コーチに就任し、自身の持つ天才といわれた打撃を教える立場として活躍しました。2017年からは、軟式野球の顧問として、新たな挑戦を始めています。

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