チャーリー・ホワイトについて

名前 チャーリー・ホワイト
生年月日 1987年10月24日
アメリカ
出身 ミシガン州ロイヤルオーク
プロフィール 5歳の頃にスケートを始める。1997年メリル・デービスとアイスダンスのペアを結成。2005-06年シーズン世界ジュニア選手権3位。2006-07年シーズンにシニアへ移行し、世界選手権7位、四大陸選手権4位、全米選手権3位。2007-08年シーズンは世界選手権6位、四大陸選手権2位、全米選手権2位。2008-09年シーズンは世界選手権4位、四大陸選手権、全米選手権で初優勝、ISUグランプリ(GP)シリーズ・ファイナル3位。2009-10年シーズンはバンクーバー五輪、世界選手権で銀メダルを獲得、全米選手権2連覇、GPシリーズ・ファイナル初優勝。2010-11年シーズンは世界選手権で初優勝、四大陸選手権で2度目の優勝、全米選手権3連覇、GPシリーズ・ファイナルでは2連覇するなど、シーズン全ての大会で優勝を果たした。2011-12年シーズンは世界選手権、四大陸選手権で銀メダル、全米選手権4連覇、GPシリーズ・ファイナル3連覇。2012-13年シーズンは世界選手権、四大陸選手権で2度目の優勝、全米選手権は最多タイの5連覇、GPシリーズ・ファイナルでは史上初の4連覇を達成。175センチ。

メリル・デイヴィスとのペアで活躍

チャーリー・ホワイトが生まれ育ったのはミシガン州のロイヤルオークという街は決してスケートが盛んというわけではありませんでしたが、ホワイトは3歳からスケートを始めました。同級生の誰よりも上手に滑れたホワイトは間もなくスケートに熱中し、10歳になるとアイスダンスの方に尽力することになりました。

1997年、この年からホワイトのパートナーを務めることになったのがメリル・デイヴィスです。ホワイトとは地元が一緒どころか、住んでいる家も10分も離れていないという同年代のご近所さんでしら。そのためこの二人のアイスダンスは息がぴったりと合っていることでも知られます。最初にホワイトたちが頭角を現したのは2002年の全米選手権でした。

この大会のノービスクラスに出場したホワイトたちは初出場ながらいきなり2位に入り、注目を集めました。2002-03シーズンからはジュニアグランプリシリーズに出場し始めたホワイトたちは翌2003-04シーズンには全米選手権のジュニアクラスで2位、さらに世界ジュニア選手権でも13位に入りました。

ホワイトたちがジュニアクラスで大活躍を収めたのはそれから2シーズン後の2005-06シーズンのことです。全米選手権のジュニアクラスで初優勝を飾ると、ジュニアグランプリファイナルでも2位、そして世界ジュニア選手権で3位とその好成績は見るものを圧倒していきました。

絶対王者を破って全米選手権の連覇達成

ジュニアクラスで活躍していたチャーリー・ホワイトたちがシニアクラスに移行したのは2006-07シーズン、ホワイトが20歳になってからでした。同時にこの年からグランプリシリーズにも出場するようになりましたが、彼らがフィギュアスケートファンに鮮烈な印象を与えたのはNHK杯のことでした。

この大会のフリーダンスでホワイトたちは史上初となるオールレベル4を獲得し、史上まれに見るハイレベルなダンスだったことで注目を集めました。さらにホワイトたちはこの後、全米選手権で3位、そして初出場となった四大陸選手権でも4位に入賞するなどその存在感を存分にアピールしました。

翌2007-08シーズンはロシア杯3位からスタートすると、スケートカナダでホワイトたちは念願の初優勝を達成します。この勢いに乗って出場したグランプリファイナルは惜しくも3位で銅メダルを獲得しました。

続くは全米選手権ですが、この大会でホワイトたちのライバルと目されていた絶対王者のタニス・ベルビン&ベンジャミン・アゴストがケガのために欠場。そのためライバル不在で迎えた大会ですが、気楽に滑ったホワイトたちが見事に優勝を果たしました。

全米チャンピオンに輝いたとはいえ、王者不在の中でのチャンピオンだっただけに実力が疑問視されましたが、2009-10シーズンでホワイトたちはその実力を証明します。この年のロステレコム杯、NHK杯を制したホワイトたちはグランプリファイナルでも優勝。金メダルを獲得すると、全米選手権ではディフェンディングチャンピオンとしてベルビン&アゴストのペアを破り、真の王者として君臨します。

この活躍が認められて出場したバンクーバーオリンピックでも華麗な演技を見せましたが、同じコーチを持つテッサ・ヴァーチュ&スコット・モイア組に敗れる形で銀メダル獲得。敗れはしたもののその実績は高く評価されました。この後には世界選手権に出場して自身初となる2位に入り表彰台に上ります。

完全優勝を果たし、絶対王者に

バンクーバーオリンピックで大活躍を果たしたチャーリー・ホワイトたちは翌2010-11シーズンも絶好調でした。グランプリファイナルの優勝をはじめ、全米選手権の3連覇、さらに四大陸選手権、そして世界選手権とも総合優勝を飾り、シーズン全ての大会で優勝するという輝かしい大記録を達成します。

さらに2011-12シーズンではグランプリシリーズとグランプリファイナルで完全優勝を達成し、その圧倒的な実力からホワイトたちはアイスダンス界の絶対王者として君臨します。さらに全米選手権でも4連覇を飾り、その地位を不動のものにしますが、四大陸選手権ではテッサ・ヴァーチュ&スコット・モイア組にまさかの敗北。バンクーバーオリンピックの時以来とも言える敗戦で2位に敗れました。

ソチ五輪でアメリカ史上初のアイスダンス金メダリストに

チャーリー・ホワイトたちにとって、次の目標はもうオリンピックでの金メダルしかありませんでした。そのために挑んでいた2012-13シーズン、グランプリシリーズでは2連勝を飾り、グランプリファイナルでは史上初となる4連覇を達成。そして世界選手権でもホワイトたちは自身が持っていた歴代最高スコアを更新して2度目の優勝を飾るなど圧倒的な成績を残しました。

そうして迎えた2013-14シーズン。このシーズンの目標はなんといってもソチオリンピックしかありません。万全の状態で臨むホワイトたちはグランプリファイナルで5連覇を飾り、さらに全米選手権でも史上最多となる6連覇を達成。金メダル以外要らないとばかりに出場したソチオリンピックでは他の追随を許さずに見事に優勝を果たします。念願の金メダルはアメリカのアイスダンス選手としては史上初の快挙となりました。さらに団体でも銀メダルを獲得するなどその実力の高さはまさに絶対王者の貫禄と言ったところでしょう。

念願のオリンピックでの金メダルでホッと一息ついたのか、ホワイトはこの年のオフ、長年交際していたかつてのライバル、タニス・ベルビンにプロポーズ。15年には結婚を発表しました。18年の平昌オリンピックでは夫としての出場を目指し、日々トレーニングを積んでいます。


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