名前盛田剛平(モリタコウヘイ)
生年月日1976年7月13日
日本
出身愛知県名古屋市
プロフィール小学2年からサッカーを始め、6年の時名古屋市選抜のメンバーに。日比野中3年の時、東海大会で優勝し、全国大会に出場。

その後桐蔭学園高にサッカー留学し、2年の時MFからFWに転向。駒沢大に進学後、1年秋のリーグ戦からレギュラーに。1年と3年で総理大臣杯、大学選手権の2冠を獲得したほか、3年時には東アジア大会準決勝や、ユニバーシアード9位を経験。主将を務め、大学ナンバーワンストライカーとして注目を集める。

1999年1月浦和レッズに入団。2001年セレッソ大阪に移籍。同年移籍した川崎Fで初ゴールをマーク。2002年から大宮へ移籍し、2004年途中に広島へレンタル移籍。

2005年に広島に完全移籍するもFWとして頭角を現せず、DF転向を志願。この決断が吉と出てレギュラー奪取。2012年から甲府に移籍してもDFとして活躍。2013年オフ、一時は契約満了となるもチーム事情で再契約。さらに8年ぶりにFW再転向。2014年は29試合に出場してキャリアハの5ゴールをマーク。2016年限りで契約満了し退団。

2017年からはザスパクサツ群馬と契約してプレー中。

駒沢大学経済学部商学科卒、188センチ、82キロ

高校時代のFW転向が契機となり、大学No.1ストライカーとなる

盛田剛平は、愛知県名古屋市で生まれ、小学2年生からサッカーを始めます。6年生のときには名古屋選抜に選出され、日比野中学時代には全国大会も経験しました。そして李国秀が監督に就任して強豪校と化した神奈川県の桐蔭学園に進学します。すると恵まれた体格を生かすために、FWにコンバートされました。

駒澤大学へ進むと才能が開花して、1年生からレギュラーに抜擢されます。同期の山田卓也らとしのぎを削り、1、3年時には総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント、全日本大学サッカー選手権大会の2冠を達成しました。特に1997年度の大学選手権では、準々決勝から決勝まで3試合連続でゴールを決めて、最優秀選手賞に輝きました。こうした活躍で、ユニバーシアード代表に選出されると、主将として1997年シチリア大会を戦います。高身長の大学ナンバーワンストライカーとして、Jリーグチームからの注目を集めました。

鳴り物入りでレッズ入団も、1ゴールも決められず2年で退団

大学時代に出場した天皇杯で、ほぼ毎試合ゴールした大型FWに対して、地元の名古屋含めて、浦和、磐田、横浜M、川崎、清水という6チームからオファーを受けます。盛田剛平は、Jリーグ開幕以降一度も優勝のなかった浦和レッドダイヤモンズを選んで入団しました。浦和は、前年に新人の小野伸二が活躍して、2ndステージ3位と巻き返します。新人大型ストライカーの加入で、さらなる上位進出が期待されました。

当時の原博実監督レギュラーに抜擢されて、多くの試合に出場します。しかし、延々とプロ初ゴールを奪えない日々が続き、下位に沈むチームは原監督を更迭しました。結局1年目は19試合に出場するもノーゴールに終わり、チームもJ2降格の憂き目に遭います。2000年、チームはリーグ戦40試合を圧倒的な攻撃力で戦い、1年でのJ1復帰を実現しました。しかし盛田の出場はわずか4試合に留まり、同年も初ゴールは生まれません。2002年W杯のエースとも期待されていましたが、早くもレッズを去ることになりました。

3チームを渡り歩くも、ストライカーとして結果を残せず

2001年からは、セレッソ大阪に移籍して心機一転を図ります。しかし、新天地でもレギュラーを奪えず、シーズン途中にJ2の川崎フロンターレへ移籍しました。川崎で7試合に出場して、遅まきながら初ゴールを決めます。それでもチームに貢献したとはとてもいえず、J2で7位と昇格争いに加われませんでした。

プロ4年目の2002年、早くも自身4チーム目となるJ2大宮アルディージャでシーズンを迎えます。大宮では、リーグ戦全44試合中の32試合に出場するなど、ルーキーイヤー以来のレギュラーとなりました。それでもストライカーとしては4ゴールと不本意な成績に終わると、その後出場機会が減り始め、2004年シーズン途中にサンフレッチェ広島へ期限付き移籍します。久々のJ1でのプレーとなり、一時はレギュラーとして出場しましたが、2005年は、佐藤寿人の台頭もあってわずか3試合の出場に留まりました。

サンフレッチェ広島時代、自らDF転向してレギュラーを獲得

サンフレッチェに完全移籍していた盛田剛平は、DF転向の決断をして契約延長を勝ち取ります。FW時代は生かせなかった高身長が、守備においてフィットし、DFとして常時試合に出場するようになりました。チームは2007年にJ2降格となりましたが、翌年J2を初制覇して1年で返り咲きます。そして、J1復帰1年目も、21試合に出場するなど、チームの4位躍進に貢献しました。

甲府時代は、8年ぶりにFW再転向してキャリアハイの5得点

2010年に大怪我を負いながらも、2011年に復帰して15試合に出場と地味ながらチームへ貢献します。ところが同年オフに戦力外を告げられて、広島のフロント入りを打診されました。盛田剛平は、現役にこだわってそれを固辞し、J2ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍します。すると、25試合に出場して、チームの24試合連続無敗記録を支えるなどJ2優勝に貢献しました。しかし、2013年は、若手の台頭で大きく出番が減り、同年限りで契約終了が発表されます。年齢的にも自身に驚きはなく、それを受け入れるつもりでした。

別のJ2チームからのオファーもあって、チームを去ろうとしていました。ところが、甲府のチーム事情が変わり、急転直下で再契約する運びとなります。さらに驚きはさらに続き、8年ぶりのFW転向を言い渡されました。38歳という年齢から、運動量が必要な前線が務まるのかという不安がある中、盛田は経験とスタミナで払拭します。同年は34試合中の29試合に出場してキャリアハイの5ゴールを奪い、ストライカーとしてチームを支えました。

40歳を超えたベテランは、自身7チーム目で19年目を迎える

2015年、チームはアドリアーノなど新戦力を獲得しましたが、引き続きFWとして16試合に出場します。それでも40歳となった2016年は、6試合出場に留まり、契約満了に伴い退団しました。サッカー選手で言えば、大ベテランの域に入る盛田剛平は、2017年も自身7クラブ目となったサズスパクサツ群馬と契約し、一現役選手として新たな挑戦をスタートさせています。

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