名前山口智(ヤマグチサトシ)
生年月日1978年4月17日
日本
出身高知県高岡郡佐川町
プロフィール小学2年でサッカースクール入り。佐川中3年の夏、全国中学校選抜大会に出場、4強入りした千葉・東国分中に1回戦負け。市原にスカウトされ、卒業後単身上京し、市原ユースに入団。1994年ユース選手権でベスト4。

東京の成立高在学中、ジェフ市原からJリーグに出場した。2001年ガンバ大阪にレンタル移籍。この間、1997年日本ユース代表となり、卒業後、明海大学に進学。1998年バンコク・アジア大会代表。1999年シドニー五輪予選代表、U-22代表。2000年シドニー五輪補欠代表。

2001年から期限付きでガンバ大阪へ移籍。2002年から西野朗が監督に着任以降、チーム力が安定して黄金時代へ突入。2005年の初優勝から、ナビスコカップ、天皇杯などタイトルを獲得。この間、2006年から3年連続でJリーグベストイレブン受賞。

2012年から古巣の千葉へ復帰。J1昇格を実現できず、2015年京都サンガFCへ移籍。同年限りで現役引退。

2016年からガンバ大阪の指導者に転身。同年、Jリーグ功労選手賞受賞。国際Aマッチ 2試合出場0得点

明海大学卒。179センチ、73キロ。

中学時代に市原ユースにスカウトされて、故郷高知を後にする

山口智は高知県に生まれ、小学2年生からサッカーを始めます。地元の佐川サッカースクールに入団すると、吉村光示・圭司兄弟に出会い、チームは突出した力をつけていきました。佐川中学時代、全国中学校サッカー大会に出場するも初戦敗退します。ところが、才能を評価されて、ジェフユナイテッド市原ユースにスカウトされました。そこで将来のプロ入りを目指し、東京の成立高校進学するため千葉に移住します。1994年にはJユースカップでベスト4、1995年には高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会準優勝など、ユースチームで活躍しました。

史上初の高校生Jリーガーデビューし、世代別日本代表にも選出

1996年3月、山口智は京都パープルサンガ戦で、史上初の高校生Jリーガー(17歳354日)としてデビューします。2年後に、阿部勇樹(16歳333日)に記録を塗り替えられましたが、同年は12試合のリーグ戦含めて、公式戦15試合を経験しました。1997年からは、DFとしてレギュラーを獲得し、ほとんどの試合に出場します。1998年には、ナビスコカップ全6試合に出場して、チームの準優勝に大きく貢献しました。

この間の山口は、世代別代表としても活躍します。1996年は、U-19日本代表として、AFCユース選手権に出場し、1997年にもU-20日本代表として、FIFAワールドユースマレーシア大会を戦いました。中田英寿、松田直樹、宮本恒靖らとともに、2大会連続のベスト8という快挙を成し遂げます。黄金世代と呼ばれたメンバーは、2000年のシドニー五輪にも出場し、決勝トーナメント進出も果たしましたが、山口は最終メンバー漏れしました(補欠)。

ガンバ大阪に移籍後もレギュラーを務め、クラブ初優勝に貢献

ジェフのレギュラーを続けてきた山口智は、2001年からガンバ大阪に期限付き移籍となります。ジェフ同様に、Jリーグ開幕から参戦していたガンバでしたが、リーグ戦で苦戦が続き、一度もタイトルを取ったことがありませんでした。同じタイミングで移籍してきた遠藤保仁、さらに有望株の稲本潤一らとともに中盤を任されると、2001年1stステージでは5位を確保します。しかし、稲本が海外挑戦で不在になった2ndステージでは11位と大きく順位を落としました。

2002年、チームの監督に西野朗が着任すると、チームが安定します。山口はボランチやサイドバックなど、守備的な位置ならどこでも務めることができるユーティリティー性を発揮しました。2002年のリーグ戦では過去最高位の総合3位を勝ち取ります。2003年は、攻守がかみ合わず10位でしたが、2004年に再び3位と盛り返しました。そして、2005年はついに悲願の初優勝を実現し、ナビスコカップでも準優勝を飾るなど、チームは黄金時代を迎えます。山口は、移籍2年目に完全移籍しており、不可欠な存在となっていました。

3年連続ベストイレブンに選出されるなどガンバ黄金時代を牽引

西野朗監督によって生まれ変わったチームは、毎年タイトルを争うようになります。リーグ戦では常に優勝争いに顔を出し、ナビスコカップでも2007年に初優勝、天皇杯でも2006年準優勝、2008年から連覇とタイトルを積み重ねていきました。山口智は、守備的なポジションの絶対的なレギュラーとしてチームに君臨します。2006年から3年連続でJリーグベストイレブン、同年から4年連続でJリーグ優秀選手賞と、リーグを代表するプレイヤーとなりました。

AFCチャンピオンズリーグ出場も常連となると、2008年には遠藤保仁がMVPに選出されて同大会初制覇します。アジア代表として出場したクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)と善戦するなど、3位という好結果をもたらしました。2009年には、自身初となる日本代表として国際Aマッチ試合も経験します。同年年末には、Jリーグ史上4人目となる通算400試合出場も達成しました。

古巣のジェフへ復帰して、チームのJ1復帰を目指すも実現せず

2012年からは、かつての古巣ジェフユナイテッド市原・千葉へ12年ぶりの復帰を果たします。自身がJリーグデビューを飾ったチームは、2009年にリーグ最下位に終わり、J2に降格していました。その後、J2でも昇格圏内に入ることが出来ず、J1復帰を狙うチームのてこ入れとして期待されます。山口智は、ベテランとなりながらも、毎年フルに近い試合に出場して守備の要を務めました。

2012年から2年連続で5位となり、J1昇格プレーオフに進出します。しかしともに敗れてJ1昇格は中々実現しませんでした。2014年は終盤に巻き返すも、自動昇格圏内の2位には届かず3位で終わります。3年連続のプレーオフに全てを賭けましたが、J2で6位のモンテディオ山形に破れて同年も見送られました。

現役生活最後は、Jリーグデビューを飾った京都で迎える

契約満了によって千葉を退団すると、2015年から京都サンガFCへ移籍します。自身が、高校生としてJリーグデビューした西京極で、プロ20シーズン目を迎えました。同年も17試合に出場とベテランながらチームに貢献します。すると前年17位と惨敗したチームは、J1昇格プレーオフを戦える5位に入りました。しかし、セレッソ大阪戦で引き分けたことで、J1昇格の可能性がなくなります。複数年契約をしていた山口智は、契約解除して、同年で現役生活を引退しました。

引退後は指導者に転身して、古巣の一つガンバ大阪の強化スタッフに就任します。ガンバ大阪の新スタジアム「市立吹田サッカースタジアム」のこけら落としマッチで、引退セレモニーが行われました。同年、Jリーグ功労選手賞を受賞すると、2017年からはガンバ大阪U-23のヘッドコーチに就任して後進に育成に腕を振るっています。

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