名前久保田智之(クボタトモユキ)
生年月日1981年1月30日
日本
出身埼玉県比企郡吉見町
プロフィール小学生から野球を始め、投手希望も一貫して捕手を務める。滑川公庫時代の3年時、甲子園に出場してリリーフ投手として注目を浴びる。常磐大進学後、本格的に投手に転向し、1年春からリリーフとしてリーグ戦に登板。2001年春の関甲新学生リーグ戦では最多勝を獲得。トルネード投法に定評がある。

2001年ドラフト会議で、阪神から5順目指名を受けて入団。ルーキーイヤーから先発にリリーフに活躍してリーグ優勝に貢献。2004年終盤からクローザーを任される。2005年は、JFKの一角として27セーブをマークしてリーグ優勝に貢献。

2007年からは藤川球児と役割を交代して、セットアッパーを務める。同年はNPB新記録の90試合登板で、防御率1.75、46ホールドで最優秀中継ぎ投手タイトルを獲得。2008年も、2年連続でリーグ最多登板に最優秀中継ぎ投手タイトル獲得。

2009年、先発再転向が叶うも、キャンプで肩を故障して、同年の登板は1試合に終わる。2012年、再び中継ぎとして71試合登板して28ホールドと活躍。2011年、不調により二軍生活も多く過ごすようになる。2014年初頭に右肘手術するも再起は叶わず、同年引退を決意。2年間二軍打撃投手を務めると、2017年からスカウト活動スタート。

通算成績は444試合、41勝34敗47S、117ホールド、防御率3.16、612回0/3、612奪三振。最優秀中継ぎ投手2回。滑川高卒、常磐大学卒、180センチ、84キロ、右投右打

甲子園ではトルネード投法かつ滑川の大魔神として大注目

久保田智之は、埼玉県比企郡吉見町で生まれ、小学生の頃から野球を始めます。5年生当時から、一貫して投手希望でしたが、チーム事情で捕手を務めていました。滑川高校でも、強打の捕手を任されながら投手を直訴し続けると、高校3年夏、千載一遇のチャンスを手にします。1998年の夏大会は80回の記念大会で、埼玉県からは2校の選出となりました。浦和学院高、春日部共栄高などが埼玉東に集中して、無名だった滑川は埼玉西を勝ち抜いていきます。久保田も4番捕手兼2番手投手としてマウンドにも上がり、見事に同校初優勝を飾りました。さらに甲子園でも、2試合連続でリリーフ登板してトルネード投法で話題を集めます。3回戦で敗れましたが、3試合6イニングを無失点に抑えました。

卒業後は、常磐大学へ進学して、本格的に投手へ転向します。注目度が低い関甲新学生野球連盟でしたが、2年から主力投手となると、MAX153キロを計測する速球でプロスカウトからの注目を集めるようになりました。2002年春には、巨人のキャンプに招待選手として参加します。松阪世代の大卒有力者たちと同じく、ドラフトの注目選手の一人となりました。

下位指名入団ながら、快速球を武器にリーグ優勝に貢献

2001年ドラフト会議では、和田毅、新垣渚、木佐貫洋、村田修一らが自由獲得枠で続々とプロ入りを果たします。そして、久保田智之は阪神タイガースから5巡目と下位ながら指名を受けてプロ野球選手となりました。そしてルーキーイヤーから即戦力として、登板機会を得ます。いきなり球団最速記録を塗り替える速球を武器に、イニング数を悠に超える奪三振をマークしました。先発10試合含めて26試合に登板し、5勝5敗、防御率3.12とリーグ優勝に貢献します。その後、故障を負ったため日本シリーズの登板はありませんでしたが、上々のプロスタートを切りました。

JFKの一角としてクローザーを務めて、胴上げ投手となる

先発にこだわりを持っていた久保田智之でしたが、2004年途中から、ジェフ・ウィリアムスに代わってクローザーに就任します。そして2005年からは、ウィリアムス、藤川球児含めたJFKトリオが勝利の方程式を担い、終盤の3イニングを完璧に抑えていきました。久保田は、157キロの速球で球団最速記録を更新するなど、クローザーとして5勝4敗27セーブ、3ホールド、防御率2.12の成績をマークします。三振の山を築く藤川と異なり、ランナーを背負うことが多くありましたが、チーム2年ぶりのリーグ優勝を決めた試合でも胴上げ投手になりました。

中継ぎ転向すると、脅威のスタミナで2年連続タイトル獲得

2006年、藤川球児とともにWBC日本代表に選出されます(登板機会なし)。シーズン開幕後も、前年と変わらずクローザーを務めていましたが、6月に骨折して戦線離脱したため、その座を藤川に譲りました。

2007年は、久保田智之がセットアッパー、藤川がクローザーと前々年と役割が入れ替わります。連投が効く久保田は、毎試合のようにマウンドに上がり、プロ野球最多登板を記録する90試合に登板しました。防御率も1.75と抜群の数字を残し、46ホールド、55ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを奪います。ウィリアムスも60試合登板で、防御率0.96、藤川も46セーブでタイトル獲得と、JFKは完璧な仕事をこなしました。2008年も、2年連続で12球団最多登板の69試合に登板して37ホールドポイントで、最優秀中継ぎ投手のタイトルを連続受賞します。しかし、防御率は3.16と前年の倍近くと数字を落としました。

長年による酷使の代償は大きく、手術を敢行するも引退を決意

球界を代表するリリーフ投手となった久保田智之でしたが、自身の希望もあって2009年から先発投手へ再転向します。しかし、キャンプ中に肩を故障したため、大きく出遅れて同年の初登板は7月にずれ込みました。久々の先発でも、3回持たずKOされると、同年は二度と登板機会が訪れません。チーム事情もあって、2010年に再度中継ぎへ固定されることになりました。

勝手知ったるポジションでは、さすがの適正を見せて、チーム最多の71試合に登板、28ホールドをマークします。しかし、長年の酷使の代償で、自慢のストレートに陰りが見え始めました。2011年は、大半を二軍ですごすことになり、一軍での成績も23試合で防御率5.40とかつての姿からは想像できない数字となります。2012年、2013年も不調の域を脱することができず、右肘手術して再起を賭けました。ところが、球威が戻るどころか、一軍マウンドに戻ることすら叶いません。自身も限界を感じて、2014年9月に現役引退を表明しました。

2年間二軍打撃投手を務めると、スカウトとしての活動開始

引退後はそのまま球団に残り、打撃投手へ転身します。かつて一軍のひのき舞台で誰よりもマウンドに立ち続けましたが、裏方としてチームを支えることになりました。2017年からは、球団本部へ異動して、未来の卵を発掘するプロスカウトとしての活動をスタートさせています。

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