伊沢利光について
名前 | 伊沢利光 |
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生年月日 | 1968年3月2日 |
国 | 日本 |
出身 | 神奈川県鎌倉市 |
プロフィール | 8歳でゴルフを始め、父・利夫が指導する伊沢塾で西川哲、細川和彦らと修業。昭和62年には日本オープンのベストアマ。63年ジャンボ軍団入り。平成元年プロテストに合格。その後米国でミニツアーなどに出場、5年帰国。7年日本オープンゴルフでツアー初優勝。9年ミズノオープン2位で全英オープンの出場権を獲得。10年東海クラシックで優勝。11年アイフルカップ、NST新潟オープンで2週連続優勝。同年賞金ランク4位。12年久光製薬KBCオーガスタなどで3勝を挙げ、賞金も1億円を突破する。同年賞金ランク4位。13年米国ツアーのニッサンオープンで2位、マスターズ・トーナメントで4位に入る。同年10月ブリヂストンオープン、フィリップモリス選手権で2週連続優勝し、史上2人目となる賞金2億円を突破。ツアー通算10勝。170センチ、68キロ。フリー
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ゴルフインストラクターの父からゴルフを学ぶ
ゴルファー・伊沢利光の最大の幸運は父がゴルフインストラクターの伊沢利夫だったことでしょう。ゴルフを始めるには最適な環境と言える中で伊沢は父・利夫が行う「伊沢塾」というゴルフ教室で初めてクラブを持ちます。8歳からゴルファーとしてのキャリアを始めたわけですが、当時としても異例なほどに速い時期からゴルフを始めています。なお、この伊沢塾には当時、西川哲や細川和彦など、のちのプロゴルファーも数人、伊沢と同じ時期に在籍していました。
その後、アマチュアの大会等に出場するようになった伊沢ですが、頭角を現したのは19歳のころ。日本体育大学に進学してからでした。この時、日本学生ゴルフ選手権大会というアマチュアゴルファーの中でも屈指の大きな大会に出場しましたが、力強いショットで伊沢は他を圧倒。ダントツのスコアを記録して優勝を飾ります。
アマチュアゴルファーの頂点に立った伊沢ですが、これによりプロになりたいという思いが沸々と湧き出るように。その気持ちを抑えることなく伊沢は大学3年で中退。間もなく、尾崎将司が率いるジャンボ軍団入り。将来、プロゴルファーとしてデビューすることを狙います。
89年にプロテストに合格した伊沢は間もなく渡米して、PGAツアーの下位ツアーに当たるナイキ・ツアーという大会に4年連続で挑戦。世界の若手ゴルファーたちとの対戦によって伊沢はスキルアップにつなげていきました。
アメリカ帰りで日本オープン選手権優勝
ナイキ・ツアーへの参戦を終えた伊沢利光は93年に帰国。アメリカ帰りの若者が最初に国内で注目を集めるようになったのは2年後の95年、日本オープン選手権でのことでした。この時の伊沢は初日から首位に立つと、並みいる強敵を抑えて優勝。しかも、一度も首位の座を明け渡さずに完全優勝。伊沢の実力はゴルフ界のみならず、ギャラリーたちも期待の若者と言う評価をすることになりました。ムラッ気のあるタイプのプレースタイルで知られた伊崎ですが、この時は調子の波がピタリとハマったと言えるでしょう。
しかし、その後の伊沢はなかなか勝ち切ることがなく、次に話題になったのは2年後の97年、伊沢はミズノオープンで2位に入り、全英オープンの出場権を獲得したことからでした。この時から再び好調期に入った伊沢は98年の東海クラシックを-11という好スコアで優勝。またこの年はカシオワールドオープンでブライアン・ワッツとのプレーオフに進出して、惜敗も経験しました。
さらに99年はアイフルカップ、NST新潟オープンゴルフトーナメントと連勝して、一気に4勝を荒稼ぎしました。その時のスコアはアイフルカップで-14、NST新潟オープンゴルフトーナメントで-19。特に新潟オープンの方は2位の細川和彦に6打差もつけるという圧勝。調子がいい時の伊沢は誰も手が付けられないというのが当時からの定説となっていました。
ジャンボ尾崎以来の賞金2億円超え達成
伊沢利光がゴルファーとしてピークを迎えたのは2000年。JGTO TPCイーヤマカップ、久光製薬KBCオーガスタ、そして住友VISA太平洋マスターズとツアー3勝をマーク。さらに01年の4月にマスターズ・トーナメントに出場すると、4日間で10アンダーパーの278ストロークを記録。日本人史上最高順位である4位に入りました。
この年は国内でも伊沢は大爆発。ダイヤモンドカップトーナメント、三井住友VISAマスターズ、ジョージア東海クラシック、ブリヂストンオープンゴルフトーナメント、フィリップモリスチャンピオンシップゴルフトーナメントとツアーで5勝をマーク。
この活躍によってこの年の獲得賞金は2億1793万4583円と2億円の大台越え、当時獲得初金2億円を超えたゴルファーは尾崎将司のみ。自身の師匠である尾崎以来の賞金2億超えを果たした伊沢はこの年初の賞金王に輝きました。
しかし、翌年の伊沢は大スランプ。国内では5年ぶりに未勝利に終わり、前年がウソのようなほどに勝てなくなりました。復調のキッカケもつかめないままという最悪なシーズンとなりましたが、12月にメキシコで行われた世界ゴルフ選手権の中のひとつ、EMCワールドカップで丸山茂樹とコンビを組んで優勝。日本人がこの大会で優勝したのはなんと45年ぶりと言う快挙を成し遂げました。
スランプからの復活なるか
03年は伊沢利光にとって復活の1年に。日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ、ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメントの2勝を挙げて、2度目の賞金王に輝く大活躍を見せました。
ところが、伊沢のムラッ気のあるプレースタイルは相変わらず。翌04年はまたも未勝利に終わり、賞金ランキングは26位と前年の賞金王とは思えないほどの大スランプに。05年はアンダーアーマーKBCオーガスタで2年ぶりの優勝を飾りましたが、賞金ランキングは伸びず、11位止まり。さらに06年は体調不良、スイング改造が逆効果となって賞金ランキングで78位にまで落ち込むという事態に。07年は第75回日本プロゴルフ選手権で復活の1勝を挙げましたが、それ以来目立った活躍がないまま。美しいスイングで魅了する伊沢の復活を心待ちにするギャラリーも今もなお、数多くいます。