フィギュアスケートにはその時・その場にしか起こらない、奇跡のような演技が多発する。それはスコアで振り返って残るものではない。それを見た者ーー現地観戦にせよ、テレビ中継にせよ、体感した者だけが語り継ぐことができる、そんな演技だ。

世界を震撼させる直接対決の実現

2016年7月1日、その日はフィギュアスケートファンにとって「新年」(フィギュアスケートのシーズンは7月1日〜6月30日)であると共に、待ちに待ったISU・GPS(グランプリシリーズ:シーズン序盤の連戦)のエントリーが発表されるという二重のお祭りとなった。日本では、シングルに押されて話題に上りにくいアイスダンスだが、この時ばかりは激震が走った。

2010年バンクーバー五輪金メダリストにして、2014年ソチ五輪銀メダリスト(個人/団体)、そして2度の世界王者に輝いたテッサ・ヴァーチュー/スコット・モイア(カナダ)。

2015・2016年世界選手権を連覇し、飛ぶ鳥を落とす勢いの若きチャンピオン、ガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロン(フランス)。

2014年、さいたま市で開かれた世界選手権で、たくさんの日本のファンを前に初めてのタイトルを獲得したアンナ・カッペリーニ/ルカ・ラノッテ(イタリア)。

なんと3組の世界チャンピオン経験者たちが、札幌市・真駒内アイスアリーナで行われるNHK杯にエントリーとなったのだ。

特にヴァーチュー/モイアはこの年、ソチ五輪後の2年間の休養から復帰を宣言したばかり。世界中のアイスダンサーの憧れであるレジェンドカップルと、圧倒的なスキルと芸術的な演技でアイスダンス界に革命を起こし続ける若きチャンピオンカップルによる、初の直接対決が実現することとなり、一躍世界中から注目を集めた。

その年のNHK杯は、6戦あるGPSの最終戦。ヴァーチュー/モイアは、地元カナダのISUチャレンジャーシリーズ・オータムクラシックで鮮やかに復帰戦勝利を飾ったものの、次戦のGPS第2戦スケートカナダは細かいミスが出て辛勝となった。一方パパダキス/シゼロンは、第5戦フランス杯を初戦とし、2位に20点近い大差をつけての勝利。若き王者が、勢いをつけて初対決に臨んだ。

ヒップホップVSスウィング。頂上決戦の行方

アイスダンスのSD(ショートダンス)には、男女シングルやペアと違い、「課題」が設けられている。シーズンごとに、指定されたリズムの楽曲でプログラムを作り、さらにすべての組が同じステップを踏む「パターンダンス(PD)」を組み込まなければいけない。2016-2017シーズンは課題のPDが「ミッドナイトブルース」、指定のリズムはブルースのほかに、「スウィング」または「ヒップホップ」どちらかから一つを選ぶ方式となった。ヒップホップはその4年前にジュニアの指定リズムに登場していたが、シニアでは初めての指定となった。

11月26日、SD開催当日。会場に残念なニュースが飛び込んできた。日本代表の村元哉中/クリス・リード組が怪我のために棄権となったのだ。伸び盛りの彼らの演技を楽しみにしていた人も多く、棄権の報に嘆きの声が会場にはあふれたが、同じく日本代表の平井絵己/マリオン・デ・ラ・アソンションを含む9組で競技は開始された。

上位陣で最初に登場したのは、3番滑走のパパダキス/シゼロン。前半をブルースでしっとりと、後半はスウィングでガラッと印象を変え生き生きと滑りきった。しかし、レベルを取りこぼした技があり、75.60と初戦のスコアは超えられなかった。

6番滑走で登場したヴァーチュー/モイアはヒップホップを選択し、今となっては彼らの代表作のひとつに数えられる『プリンスメドレー』を披露。音楽のビートや振付の動きに合わせて巧みなエッジワークを見せ、ノットタッチステップシークエンスで最高のレベル4を獲得するなど、当時のSDのワールドレコード79.47を叩き出し首位に立つ。

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9番滑走で登場したカッペリーニ/ラノッテは、スウィングの一種としてロックンロールを選択し、快活な振付でベテランらしい高い表現力を見せたが、PDのレベルの取りこぼしや、加点・演技構成点で上位2組に差をつけられ、72.00の3位で折り返した。

アイスダンスの魅力を余すところなく伝えた、ある演技

続く11月27日、世界チャンピオン3組の演技の前に、「とある若手カップル」がFDを滑った。

氷上に、意志の強そうな瞳を持つ華奢な女性と、一見少年のようなあどけなさを残す小柄な青年が現れる。女性のドレスは、スモーキーなブルーのグラデーションが美しい。見つめ合った二人は一瞬手を触れ合わせ、パッと離れる。演技前から、切ないほどにキラキラ、ヒリヒリとした雰囲気が二人の間に流れている。

場内が静まり、青年の膝に女性が座り、顔がくっつきそうなほど間近に見つめ合い……そしてピアノの静かな旋律が二人を包み込む。

リストの『愛の夢』だ。

ゆったりと旋律に合わせて、深いエッジでターンが重ねられていくサーキュラーステップシークエンス。脚を上げ、腕に動きをつけ、難しい姿勢でぴったりとシンクロして回っていくツイズル。まるで女性の体重がないかのように、軽やかに持ち上げられるリフト。すべての技の質が高く、かつ旋律にぴったりと合っている。

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それだけではない。技術的にも体力的にも要求の高い技をこなしながら、プログラムの隅々まで演技を行き渡らせ、世界観を作り上げていく。上位になればなるほど、演技をしていない時間は皆無となっていくのだ。

盛り上がりを高める音楽に合わせ、高低差のあるダイナミックなローテーショナルリフトとコレオツイズルを畳み掛けたその後、二人はリンク中央で立ち止まる。男性がおずおずと、彼女の肩に手をかけようとして、触れられずに目をそらす。顔を背けたまま、逆の手をそっと伸ばし、彼女の手を掴み、やっと視線が交わり合う。

演技が終わった後は、会場から感動に震えるようなスタンディングオベーションが巻き起こった。

総合169.75で4位に入った彼らの名は、ケイトリン・ホワイエク/ジャン=リュック・ベイカー(アメリカ)。20歳と23歳(当時)の若手ながらも、2014年の世界ジュニアチャンピオンで、シニアデビュー後の2014年NHK杯では表彰台に立った、アイスダンスファンにはおなじみの存在だ。

……つまりは、「名の知られていない若手カップルが見せた一世一代の演技」などと書くのは嘘になる。また、「この日一番の喝采を浴びた」というのも、話を盛っていると言わざるを得ない。

しかし、二人は一瞬たりとも外すことなく、プログラムの、『愛の夢』の物語の登場人物として存在していた。

そして作り上げた“二人の世界”を、感動を、観客と共有する。どのような形の演技であれ、そこにアイスダンスの魅力がある。

彼らが演技を終え、興奮の残る会場に前述の上位3組が登場。それぞれの世界を映していった。特に最終滑走のカッペリーニ/ラノッテが見せた『チャップリンメドレー』の演技は映画のように、いや映画にもないものも現し(機会があるならばこのプログラムの話もしたいくらいだ)、満場の喝采を浴びたのだった。

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試合結果は、ヴァーチュー/モイアが9つの技のうち4つで満点の加点を叩き出し、総合得点195.84の超ハイスコアで優勝した。パパダキス/シゼロンはツイズルでレベルを取りこぼすなど精彩を欠き総合186.66で2位に。カッペリーニ/ラノッテが180.42で3位と、SD上位が順当に表彰台に上ったことになる。4位のホワイエク/ベイカーの名演は、報道の中では上位勢の陰に隠れてしまったが、リアルタイムで目にしたファンには1年がたっても語り継がれている。

見た者にしか訪れない、幸せな一期一会の瞬間。それを体感するために、今週末に迫ったNHK杯の生中継を、多くの方に楽しんでいただきたいと願っている。今大会には、ヴァーチュー/モイア、カッペリーニ/ラノッテら海外勢8組、日本勢は昨年棄権した村元/リード、小松原美里/ティム・コレトの2組が出場する。

羽生結弦。男子フィギュアスケート新世紀へ、時代を切り開く伝説の演技~フィギュアスケート、あのとき~Scene#5

思い出のシーンを伝える連載第5回目は【羽生結弦2015年NHK杯】。現在ISU・GP(グランプリ)ファイナル4連覇中の羽生は、ジャンプ・スピン・ステップ各要素の質の高さを誇る、五輪王者そして現世界王者である。2014年ソチ五輪SP(ショート)で初めて100点の大台を超えた選手でもある。ソチ五輪以降、FS(フリー)でも200点・総合300点を期待され続けていた羽生が、その壁を越えてみせたのが2015年ISU・GPシリーズNHK杯だ。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 中田みな)

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思い出のシーンを伝える連載第3回目は【町田樹2014年さいたま世界選手権SP(ショート)】。2014年12月、全日本選手権終了直後に競技生活にピリオドを打った町田樹。それは突然で全く予想外の出来事だった。栄えある世界選手権代表選手発表の場で名前を呼ばれ、普通なら試合に向けての抱負を述べる場面での引退表明。会場の騒然とした雰囲気と、彼の凛としたたたずまいは忘れられない。現役引退に伴い2015年上海世界選手権の代表も辞退したため、2014年さいたま開催の大会が彼の最初で最後のワールド出場経験となった。初出場で銀メダル獲得という偉業とともに、SPの演技もまた鮮やかに思い出される。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)

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フィギュアスケート、あのとき〜 Scene#2 2004年ドルトムント世界選手権女子、日本女子大躍進の軌跡。

思い出のシーンを伝える連載第2回目は【2004年ドルトムント世界選手権女子】。今や世界有数の強豪国となった日本女子フィギュアスケート。世界選手権の金メダル獲得数はアメリカ、ノルウェー、旧東ドイツら古豪に次ぐ4番目に位置している。その数はロシアやカナダといったスケート大国をも上回る。日本女子で初めて世界選手権の表彰台に上った渡部絵美(1979年)、初めて世界の頂点に立った伊藤みどり(1989年)らの時代を経て、日本女子が快進撃の狼煙を上げ、世界にその強さを決定づけた輝かしい時代がある。その栄光は2003−04シーズンに遡る。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 岩重卓磨)

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VictorySportsNews編集部