文/服部健太郎
国が異なれば“プレート論”も異なる!?
わたしが小学校6年生のとき、所属していたチームで投手を務めることになった際、チームのコーチにブルペンでとあるアドバイスをもらった。
「おまえは右投げだからプレートの三塁側を踏むのが基本。そのほうがアウトコースに投げたときにより角度がつく。カーブを投げたときも右打者に当たりそうなボールゾーンの軌道から変化させ、ストライクをとることができる」
ときは、いまから37年前となる1979年。わたしは「それが基本なのか」と疑問を抱くこともなく三塁側を踏み、ボールを投げ込んだ。当時、外野に設置されていたラッキーゾーン内にブルペンがあった甲子園球場、西宮球場の近くに住んでいたこともあり、外野席での球場観戦の折には投手のプレートの踏み位置を確認するクセがついた。コーチが言っていた通り、右投手は三塁側、左投手は一塁側を踏んでいる投手がプロにおいても大勢を占めていた。しかし、なかには逆の投手もいた。記憶に残っているところでは、東尾修(西武)、加藤初(巨人)は右投げなのに一塁側を踏んでいた。「どんな意図であの人たちが基本を無視しているのか、その理由を尋ねてみたい」。そんな衝動に駆られたことを覚えている。
中学に上がり、父親の仕事の都合で約2年間のアメリカ生活を送ることになったわたしは、現地の中学校の野球部に入部した。驚いたのはアメリカでは投手のプレートの踏み位置がバラバラだったことだ。右投手であっても、三塁側もいれば一塁側もおり、真ん中もいる。割合としては右投げなのに一塁側を踏んでいる投手の方が多かった。チームの監督に、「どこを踏んでもいいんですか?」と質問したところ「投げやすいところで投げればいい」という答えが返ってきた。わたしが、「日本では右投手は三塁側を踏むのが基本。理由は外角に投げた時のクロスの角度がよりつき、カーブの威力も増すからだと教えられた」と続けると、監督は次のように返してきた。
「三塁側を踏むことに対する大きなメリットという意味においてはけっして間違っていないと思う。でも右投手が一塁側を踏むことにだってメリットはある。わたしが思う最大のメリットはプレートの幅のなかでボールをリリースすることができること。リリースポイントの段階でボールがホームベースの幅のなかにあるので、楽にストライクがとれる。インコースもアウトコースもコントロールしやすくなる」
プレートを踏む位置の正解は“各投手のなか”にある
論より証拠とばかりに、監督に促され一塁側を踏んで投げてみると、たしかにストライクがとりやすい。無理に腰を回転させなくても、そのまま投げればホームベース上を通過する感覚が生まれる。右打者のインコースにも投げやすい。監督は「マウンドから見える景色が全然違うだろ? 合うと思えばやってみたらいい」と笑った後「おまえも遊びでボウリングとかゴルフしたことあるだろ?」と続けた。
「右打者のインコースが広く見えるのはボウリングで右端に残ったピンを狙うとき、左端から投げたほうが倒しやすいのと同じだよ。ゴルフのティーショットを打つときだって、攻めるコースや打つボールの性質によって、右端に立ったり左端に立ったりと、立ち位置を変えるだろ? ピッチャーだって同じこと。自分の投げる球種やコースによって、試合のなかで立ち位置を変えるくらいの自由な発想でマウンドに立つことが“基本”だとわたしは思う。プレートを踏む位置に万人共通の正解なんかない。正解はひとりひとりのピッチャーのなかにあるんだから」
目からうろこが数枚落ちた気がした。この考え方がアメリカの野球におけるプレート踏み位置論の基本だとすれば、投手たちのプレートの踏み位置がバラバラであることにも合点がいく。「きっといつの日か、この考え方が日本球界に上陸するに違いない」。そんな予感にも襲われた。
1990年、近鉄バファローズに入団した野茂英雄がプレートの一塁側を踏むスタイルでルーキーイヤーから三振の山を築いた。野茂の決め球はストライクゾーンからボールゾーンに鋭くタテに落ちるフォークボール。野茂本人の意図は定かではないが、リリース直後の軌道は打者の目から見て、ストライクに映る方が都合がいい投球スタイルであることを考えれば、一塁側を踏むことは理にかなっていると思えた。
90年代に入ると、大きく割れるカーブを操る投手が減り、フォークボールを筆頭とする、タテに高速で変化する変化球を決め球に使う投手が増えた。一塁側を踏む右投手や三塁側を踏む左投手が増える流れを期待したが、それほど大きな変化の波は感じられなかった。メジャーに目を向けると屈指の本格派右腕、ロジャー・クレメンス(元ヤンキースほか)は一塁側を踏みながら通算354勝を達成。左腕・アロルディス・チャップマン(現カブス)は三塁側を踏み、史上最速スピードを記録した。
ようやく崩壊した従来の固定観念
©︎共同通信2000年代に入ると、日本球界に転機が訪れる。安定感抜群の投球を誇るオリックスの右腕エース・金子千尋が「2009年シーズンより踏み位置を三塁側から一塁側に変更したことで内角のシュートに角度がつき、制球もしやすくなった。投球の幅が広がった」と公言。一塁側への変更を進言したのは臨時コーチを務めた野茂英雄だったことを明かした。
2011年には踏み位置を三塁側から一塁側へ変更したオリックス・西勇輝が前年までの0勝からいきなり10勝を挙げる大ブレイク。プレートの踏み位置に対する関心が高まり、固定観念が崩壊しはじめたのはこの頃ではないかと認識している。
メジャーのスタンダードとなっていた、「打者の手元でボールを動かす」投球スタイルに適応すべく、黒田博樹(元広島)、和田毅(ソフトバンク)は渡米後、振った腕がプレート内に収まるよう、日本時代とは逆の踏み位置へ変更。田中将大(ヤンキース)もツーシーム主体の現在のピッチングをより生かすべく、今シーズン途中より踏み位置を三塁側から一塁側へ変更した。手元でボールを動かす投球スタイルは日本でも主流になりつつあり、ツーシームや高速チェンジアップといった変化球の使い手も増えた。黒田が一塁側を踏んで投げ込む「バックドア」「フロントドア」なるメジャー直伝の攻め方も知られるようになり、一塁側への変更を試みる右投手も増えた。今年ブレイクした広島の野村祐輔もそのひとり。阪神のメッセンジャー等、日本で活躍中の外国人投手もプレート内に腕を収める派が多数だ。
踏み位置を頻繁に変えながら、自分に合った踏み位置の模索に励む投手も珍しくなくなった。
元々三塁側を踏んでいた楽天の則本昂大は最終的に元のさやに収まったものの、昨年は見るたびに踏む位置が変わっており、試行錯誤を続けていた様子が見て取れた。ソフトバンクの和田は今シーズン途中より従来の一塁側に踏み位置を戻してから、以前のクロスファイヤーがよみがえり最多勝を獲得した。
武田翔太(ソフトバンク)のように高校時代から一塁側を踏んでいた右腕が2年前より3塁側に変更したケースもあれば、菅野智之(巨人)、岩隈久志(マリナーズ)、ダルビッシュ有(レンジャーズ)、涌井秀章(ロッテ)のように一貫して三塁側を踏み続ける右腕もいる。
基本とされた従来の常識が崩壊し、「踏み位置の正解はそのときの自分のなかにある」という考え方が常識となりつつある日本球界。来季、飛躍を遂げる投手を見抜くヒントは“足元の変化”に潜んでいるのかもしれない。
(著者プロフィール)
服部健太郎
1967年、兵庫県生まれ。同志社大学卒業後、商社勤務を経て、フリーの野球ライターに転身。関西を拠点に学童野球からプロ野球まで取材対象は幅広い。通算7年の米国在住経験を生かし、外国人選手、監督のインタビューも多数。