取材・文/石塚隆 写真/榎本壯三

もう練習をしなくてもいいという現実

「本当に幸せな野球人生でしたね」
 三浦大輔はそう言うと、目線を遠くに向け満足気な表情を見せた。9月29日の引退試合の2日後、横浜スタジアムに三浦の姿はあった。一昨日の感動的な引退セレモニーの余韻がスタジアムに漂っているなか、三浦は“投手コーチ”として社会人チームと練習試合をする横浜DeNAベイスターズに帯同していた。

「いつものようにスタジアムに着いたら、とりあえずランニングをして汗をかきました。で、終わってユニフォームに着替えてグランドに出てきたとき『あっ』て思ったんですよね。ウォーミングアップをしている選手たちの輪に入らなくていいんだって。俺はもう練習をしなくていいんだって……」
 練習嫌いを公言しつつも、勝つためには必要だからと誰よりも練習し、最高の準備を続けてきた25年間。しかし、もう“勝つための練習”はしなくてもいい。

「思うところはありますが、まだ実感としては薄いですよね。たぶん来年のキャンプで『俺はもう選手を辞めたんだな』って強く実感するんじゃないかな。今後のことや自分自身の気持ちは、成り行きに任せるしかないですね」
 インタビューをしながら接しているこちらとしても、あの三浦が現役を退いたという実感は薄い。目の前には、背番号18のユニフォームを身にまとい、一線級の選手としてビルドアップされた三浦がいるのだから無理もない。だが、ハマの番長がプロ野球公式戦のマウンドに立つことは、二度とないのである。

「最後は本当に投げさせてもらって幸せでしたよ」

 三浦が登板するハマスタ最終戦を前にチームは3位でクライマックスシリーズ進出を確定させていた。しかし、勝率5割という命題は残されており、真剣勝負の舞台で行われた引退試合。三浦は、6回3分の1を投げ自己ワーストとなる10失点を喫し、完膚なきまで叩きのめされた。しかしそこには悲壮感などなく、ひとりの野球選手の散りゆく姿として感動を呼ぶものがあった。
「ああいった環境で投げられるとは思っていませんでした。チームメイトがCS進出を決めてくれて、順位が確定していたからこそあそこまで投げさせてもらったんだろうと……。本当に仲間たちに感謝したいです」

選手として感じた最後の最高の喜び

雨がふったりやんだりするコンディションのなか、三浦はいつものように淡々とマウンドをさばいた。観衆は、一挙手一投足を逃すまいと三浦に注視する。この試合、最高のサプライズは、6回裏に三浦が打席に立ったことだろう。雨と涙が入り混じった大歓声に包まれて、打席で三浦は目を赤くしたままフルスイングした。

「正直、6回表を投げて終わりだと思っていたんですよ。点差も点差でしたし、次の回で打席がまわってくるのもわかっていた。『ここまでだな……』って感極まってマウンドからベンチに引き上げていくと、ラミレス監督から『もう一打席、次のイニングにもうひとりだけ投げさせるがいけるか?』って言われたんです。本当にあのときは嬉しかった。いや嬉しかったというよりも、まだやらせてくれるのかって……。もう終わりだと思っていましたからね。で、ベンチを出て打席に向かうとものすごい声援をもらって……。いろんな感情が沸き上がりましたね。それこそ、現役生活でいままでにはないような感覚でした」

三浦は最後の打者となったヤクルトの雄平からこの日8個目の三振を奪うと、ついにマウンドをあとにした。スタンディングオベーションのなか、喝采と感謝の言葉を浴び、三浦は現役として最後の務めを果たした。登板中から最後のセレモニーにかけ、観衆から三浦にかけられた主な言葉は「ありがとう」「がんばって」「ごくろうさま」「おつかれさま」――あの時間帯、日本のなかで一番感謝されていた人物だったのではないかと本気半分冗談半分で尋ねると、三浦は「いやいや、そんなことはないでしょう」と笑った。

「とはいえ、本当にありがたかったですね。ファンの方やまわりの人たちから、多くの言葉をかけてもらいました。引退が決まってからは街中で買い物をしていても、たくさんの方に感謝の言葉を頂いて。野球選手としては最高の喜びだし、財産だと思います。最後のマウンドは、『これで終わりだ』と思って、とにかくおもいっきり腕を振って投げました」

最後まで貫いた三浦大輔の美学

引退の理由は至ってシンプル。本人いわく「勝てなくなったから」である。最後の登板では三浦らしいボール半個分の出し入れや、打者との巧妙な駆け引きがあったが、実際のところは限界を感じさせるものだった。
三浦の投手のとしての美学は“勝利”にある。まず“完全試合”を目指して投げ、フォアボールを出せば“ノーヒットノーラン”へと軌道修正し、さらにヒットを打たれれば“完封”を狙い、点を取られてしまいえば“完投”……けど、とにかく最後は試合に勝てればいい。ゆえに三浦の引退理由は、万人を納得させるものである。

「美学というより、自分の気持ちを貫いたということですよね。もちろんさんざん悩みましたよ。もう1年できるんじゃないか、来年になればもっと勝てるようになるんじゃないかって……。ただ、考えに考えた挙句に思ったのは、今年は若い連中が出てきてくれた。これがいままではとは違うところなんです」
 
 今シーズンは石田健大や今永昇太、砂田毅樹ら多くの若手ピッチャーが台頭し、ローテーションの一角を担った。ここ近年、先発投手の駒が足りなくなると『困ったときの番長頼り』といった感じで三浦に出番がまわってきたが、今年はローテーションに入りこめる余地はあまり残されていなかった。
「コーチ兼任でもあるので自分の置かれている立場も理解しているし、次にファームから上がってくるのはあのピッチャーだということもわかる。もちろん負けないために練習や準備はしてきたけれど、この状況はずっと以前から望んでいたことでもあるんです」

 強いチームになるため、自分を追い抜かす若手選手の登場を、三浦はずっと願っていた。
「それが現実となって嬉しい反面、自分もそろそろかなと。寂しくはありますが、事実、チームは強くなっていますから、僕が思っていたことは間違いではなかった。だから、ここが引き際だって。自分自身、ダラダラいきたくはなかったし、自分で決めなければいけないってことなんです。球団に甘えてしまえば、来年も現役でやらせてもらえたと思うんです。けど、だからこそ自分から辞めなければいけない。甘えてはいけないんですよ」

ほとんどのプロ野球選手は、球団からの要請で進退を決断しなくてはならない。自分で辞める選択をし、しかも盛大なセレモニーをやってもらい見送られる選手は、当然一握りしかいない。だからこそ三浦は「幸せ」だと真摯に感じ、自分らしく「けじめをつけるべきだ」と決断した。

(著者プロフィール)
石塚隆
1972年、神奈川県出身。スポーツを中心に幅広い分野で活動するフリーランスライター。『週刊プレイボーイ』『Spoltiva』『Number』『ベースボールサミット』などに寄稿している。


Ishizuka Takashi