【原監督復帰も停滞していた06年の巨人】
すっかり雰囲気が変わったな。
2007年9月、俺は東京ドームの巨人戦を10数年ぶりに観に行った。日米野球やプロレス以外の巨人戦でドームに来るのは、松井秀喜がルーキーだった中学生の時以来だ。なにせ当時はサッカー関連のデザイナーとして勤務していたので、プロ野球からはすっかり離れていた。だが、前年のドイツW杯の日本代表惨敗で一気に仕事が減り、自分も会社を退職することに。就職してからプライベートな時間はほとんどなく、働いてまた働く環境から、いきなり有給消化期間で会社に行く必要がなくなった。マジやることねぇ…20代後半にして、定年退職したお父さんのようにすでに真っ白に燃え尽きた状態である。
そんな時、映画の前売り券を買うためにふと立ち寄った金券ショップで巨人戦のチケットを見かけた。定価割れしていて、かなり安い。昔は巨人戦と言ったらプラチナチケットだったのにな。懐かしくなり、ふと野球を観に行ってみようと思った。当時の自分のプロ野球との距離感はスポーツニュースでダイジェストを確認する程度。とは言っても子どもの頃の憧れのスーパースター原辰徳が監督復帰をしたことくらいはもちろん知っていた。
だが、原監督が復帰した06年の巨人はとにかく弱かった。当時の記録を確認すると、4月は1引き分けを挟んで8連勝を記録し開幕ダッシュに成功も、故障者が続出した6月には8連敗。ようやく連敗が止まったと思ったら、今度は18日から30日まで球団では75年以来となる二桁の10連敗。6月だけでなんと19敗も喫して貯金を使い果たし、さらに7月4日から14日まではダメ押しの9連敗だ。約1カ月ちょいの間に、まるで道を歩いていたら財布を落とした上に犬の糞を踏んでチャリに轢かれるみたいな怒濤の「8連敗→10連敗→9連敗」の連敗地獄である。
結局、06年は2年連続Bクラス、4年連続V逸。チーム打率.251は12球団最低と屈辱的な結果でフィニッシュ。そのあまりに豪快に負けまくったシーズンを、原監督はのちに自著『原点』の中で「最多の貯金14と独走したが、終わってみれば借金14だ。あの“マイナス28”という数字は忘れられない」と自嘲気味に回想している。
【北海道からやってきたMVP男】
そして、06年オフに「上手い選手はいらない、強い選手が欲しい」とチーム再建の切り札として、FA補強したのが当時33歳の小笠原道大だった。移転3年目の日本一に輝いた北海道日本ハムで率.313、32本、100点、OPS.970の堂々たる成績で本塁打王と打点王を獲得。全盛期バリバリのMVPスラッガーだ。さらにオリックスから谷佳知もトレード移籍。近年は怪我もあり精彩を欠いていた高橋由伸をトップバッターに起用することで、07年シーズンの「1番高橋由、2番谷、3番小笠原」という逆襲の攻撃型オーダーが実現したのである。
開幕戦で初回先頭打者初球本塁打をかっ飛ばした由伸は、プロ野球記録の9本の先頭打者アーチを含む自己最多の35本塁打を記録。2番谷はチーム最高打率の318、10本塁打、10盗塁、得点圏打率も3割7分台とクリーンナップクラスの成績を残し完全復活。3番の小笠原は移籍1年目から3割・30本塁打を達成し、両リーグにまたがる2年連続MVPを獲得してみせた。
ちなみにこの年のクローザーはあの上原浩治。55試合に投げて32セーブ。セーブの付く場面で登場して負けたのは1試合だけという抜群の安定度だった。最近のカミネロとは全然違うな…じゃなくて、この年の巨人には各ポジションに頼れる主軸が揃っていた。わずか1年の短期間でチーム再生に成功した原監督の手腕はやっぱり凄い。そして、それを可能にさせたのが、小笠原道大の存在だったのは言うまでもないだろう。
【巨人入団以来、4年連続で3割30本をクリア】
「あれがガッツのフルスイングか」
07年9月、10数年ぶりの東京ドームでの巨人戦観戦は楽しかった。ペナントは中日、阪神との三つ巴の接戦で最後まで目が離せなかったし、とにかくこの年の巨人打線は活発だった。正捕手の阿部慎之助も33本塁打を放ち、由伸、小笠原、イ・スンヨプと史上初の左打者のみの30本塁打カルテットが誕生。左の長距離砲不在に泣く今のチームに誰か欲しいな…と思わずにいられない充実のラインナップだ。すっかり野球の魅力を思い出した自分は球場へ通うようになり、10月2日の清水隆行の内野安打で巨人5年ぶりのリーグ優勝を決めた試合も東京ドーム1塁側二階席から見届けることになる。
翌08年にはアレックス・ラミレス、セス・グライシンガー、マーク・クルーンらエグい補強で強力助っ人陣が加入。野手では19歳の遊撃手・坂本勇人がレギュラーとして定着する。そんな猛スピードで生まれ変わるチームのど真ん中で、移籍後4年連続で3割・30本塁打をクリアしたのが頼れる背番号2である。
こうして、原巨人は充実の黄金時代を迎えて行くわけだが、すべては06年オフの小笠原道大の獲得から始まったと個人的には思う。
(参考文献)
『原点 勝ち続ける組織作り』(原辰徳/中央公論新社)
『週刊プロ野球 セ・パ誕生60年 2006-07』(ベースボール・マガジン社)
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