【あの伝説のONシリーズから17年】
長嶋茂雄と王貞治を知らない子どもたち。
昨夜、日本シリーズ中継直後にTBS系列『水曜日のダウンタウン』をなんとなく観ていたら、「日本の有名人知名度ランキングTOP100」が放送されていた。あらゆる世代に実際にアンケートを取りまくる執念を感じさせるこの企画で、長嶋と王は70代から40代の世代には認知度90%以上と圧倒的に知られていたが、30代は約85%、20代は70%前半、そして10代の認知度が30%前半にまで落ち込んでしまっていた。
そりゃあそうだよな…と思った。あの騒がれた「ON日本シリーズ」はもう17年前の秋だ。ちなみに今年のドラフト会議でついに2000年生まれの高校生選手が1位指名されている。思えば遠くに来たもんだ。平成12年と言えば、プレイステーション2や初の内蔵型カメラ付き携帯電話が発売。ドコモのiモード契約数も1000万件を突破して、携帯電話加入者が固定電話を抜いたのもこの年のことである。グラビア界では癒し系の井川遥旋風、野球界ではシドニー五輪において国際オリンピック委員会の方針でプロ選手の出場解禁。ついに日本代表チームも当時プロ2年目の松坂大輔(西武)や全盛期バリバリの黒木和宏(ロッテ)や中村紀洋(近鉄)ら、24名中8名のプロ選手が選出され話題となった。
そんな20世紀最後の1年は世の中全体が浮かれていた印象が強い。ミレニアム? 2000円札ってなんやねん…みたいなあの感じ。その能天気な雰囲気は翌01年9月にアメリカ同時多発テロが起きるあたりまで続く。確か「若者の野球離れ」という言葉が頻繁に使われていたのもこの頃だと思う。2年後に控えたサッカー日韓W杯に向けて業界全体が破竹の勢いで、同時期にイタリアセリエAで活躍する中田英寿がペルージャからビッグクラブのFCローマに移籍。プレステのサッカーゲーム『ウイニングイレブン』ブームも絶妙なタイミングで来てニッポンは空前のサッカーバブルに突入しようとしていた。当時大学生だった自分もスカパーのアンテナをベランダに設置し、当然のようにWOWOWにも加入し、チャンピオンズリーグ全試合観戦とわけの分からない生活を送っていた記憶がある。正直、野球を熱心に観ていた同世代は周りには皆無だった。気が付けば20世紀の終わり頃、若者にとってプロ野球は「古さ」と同義語になっていた。
【昭和のオヤジ系メディア最後の祭り】
当然、昔からのオールド野球ファンは「何がサッカーだよ」「中田って若いのは生意気だな」と思う。そんな時に実現したのが、巨人とダイエーが対戦するON日本シリーズだったわけだ。この瞬間のために故・根本陸夫はダイエー王招聘に動いたとさえ噂される夢のカード。2000年12月に発売されたFOCUS増刊号(新潮社)ではONの全面写真にこんなキャプションが付いている。
「その応対は実にていねいで紳士的だ。ほらっ、近頃のヒーローを思い起こせばすぐわかる。自分勝手でクールな(横柄な)、闘志あふれる(ガラの悪い)スターはいても、「おとな」ではない。20世紀最後に実現したON日本シリーズの決戦前夜。日本に本物の「おとな」が少なくなった…。」
これを強引に要約すると「最近の若者はけしからん」となる。ヒデ舐めんなよと。ちなみに日本のアスリートでマスコミを介せず自身の公式ホームページでコメントを発信したパイオニアが中田英寿だ。スポーツ選手自ら情報発信できる時代へと突入。こうなると老舗マスコミは当然面白くない。長嶋さんや王さんは自分たちを大切にしてくれたもんだと。そんな古き良き持ちつ持たれつの関係性をぶっ壊したのが当時23歳のヒデだったのである。だがさすがにONシリーズは冷静に野球界の未来を考えたらヤバイ。だって両チームの監督が一番目立っているわけだから。主役が当時60歳の王さんと64歳のミスター。まだ昭和と平成が混在していた2000年。まさに昭和のオヤジ系メディアの最後の祭りである。
【福岡ドームが使えないアクシデント】
過去とは美化された嘘である。今でこそ17年前の日本シリーズは伝説的に語られることも多いが、実際は野球以外で騒がしかった。なにせ「球場が使えない問題」に襲われていたのだ。日本シリーズ開幕は2000年10月21日(土)、巨人の本拠地東京ドーム。となると土、日はセ・リーグ本拠地。移動日を挟んで火、水、木はパ・リーグ本拠地というのが当然の流れ…のはずが、なんと福岡ドームは週のど真ん中10月24日、25日の2日間に渡り球場を日本脳神経外科学会に貸し出していたのである。
今だったら炎上必至の超ミステイク。3年前の97年にドーム側が球団の許可なく承諾してしまったのが真相だったが、本拠地にも関わらず事実関係の発見が遅れたダイエーサイドにはNPBから制裁金3000万円が課せられた。ソフトバンクが約870億円でヤフオクドームを買収した現在からは考えられない、ダイエー球団のユルい経営姿勢。これにより、日曜日の22日東京ドームで第2戦を行い、23日(月)は移動日なしの福岡で3戦目開催の強行スケジュール。24、25の両日は試合なし。中2日空けて、26日(木)の第4戦から再開して、翌日の第5戦後は再び移動日なしで週末の東京ドーム第6戦へ。この超変則スケジュールの影響を受けたのはやはりプレーする選手だろう。ダイエーは敵地で2連勝スタートをするも、その後4連敗でジ・エンド。本拠地のアドバンテージをほとんど生かせず終戦。仮に通常通りに開催できていたらまた違った結果になっていたかもしれない。
【ON決戦とは“20世紀NPBオールスター”だった】
結局、4勝2敗で巨人が日本一に輝き、MVPは打率.381、3本塁打、8打点の活躍を見せた巨人の4番松井秀喜。激闘賞は3試合連続を含む4本塁打を放ったダイエーの柱・城島健司。この数年後に両者はメジャーリーグへと移籍していく。視聴率も第2戦で32.9%を記録。17年現在、関東地区で日本シリーズ視聴率30%超えはこのシリーズが最後だ。
なにせ両軍ベンチには戦後プロ野球を背負ったミスターと世界の王。80年代から90年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズの中心メンバー秋山幸二がダイエー、清原和博と工藤公康が巨人に在籍。逆指名ドラフトのピークを象徴するかのように、のちに侍ジャパンを率いる小久保裕紀、最後の三冠王・松中信彦、来季からロッテ監督に就任する井口資仁がスタメンに名を連ね、現巨人監督の高橋由伸、メジャーリーガー上原浩治ら錚々たるメンツが顔を揃えた。なお斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己の三本柱が皆出場したシリーズはこれが最後だった。まるで2000年の日本シリーズは世代を超えた超豪華な「20世紀NPBオールスター」である。日本球界の、そしてONとともに生きたオールドファンの最後の祭り。
祭りのあとで翌2001年、長嶋茂雄は巨人監督の座を自ら降りた。ひとつの時代が終わり、同時にプロ野球界の21世紀が始まったのである。
(参考文献)
『FOCUS ANTHOLOGY1981-2000』(新潮社)
『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 2000年』(ベースボールマガジン)
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